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2004.11.30

那岐神社の祭神

Ⅷ 那岐神社の祭神                  ―8
 那岐神社所在地  鳥取県頭郡智頭町大字智頭2067-1
那岐神社は、古くから那岐山(1240m)全体を御神体として祀られてきましたが、天徳年中( 957~ 961)ごろ、今の社殿の後方の山頂に移し祭り、いつのころが現在地に遷宮したと伝えられています。


 祭 神  古事記に記載の神   日本書紀  書紀における読み

1 国之常立神 国之常立神 国常立尊  クニノトコタチノミコト

2 豊雲野神  豊雲野神  豊組野尊  トヨクミヌノミコト

3 宇比地邇神 宇比地邇神 A土根尊  ウヒジネノミコト
 
4 妹須比智邇神 妹須比智邇神 沙土根尊 スヒジネノミコト

5 角杙神  角杙神  角B尊  ツヌグイノミコト

6 妹活杙神  妹活杙神  活B尊  イクグイノミコト

7 意冨手能地神 意冨手能地神 大富道尊  オオトノヂノミコト

8 妹大斗乃辨神 妹大斗乃辨神 大富辺尊  オオトマベノミコト

9 於母陀流神 於母陀流神 面足尊  オモタルノミコト

10 妹阿夜訶志古泥神 妹阿夜訶志古泥神 惶根尊  カシコネノミコト

A---泥+土  B--職の耳が木へん  尊は読むときはミコトと読む
   日本書紀の祭神は、いろいろある書から、古事記に似通った祭神を収録。

 この表を見て何がわかりますか? 那岐神社に伝えられている祭神と古事記に記載されている祭神は、すべて同じです。日本書紀は、同じものはありません。
 これをどのように考えたらいいかということになります。

 日本書紀には、本文がありその外に、いっぱい資料がありますという編集の形をとっています。一つの書で、七つの神が揃っている書はありません。
 となりますと、古事記の編集者が日本書紀を参考にして、全部の神を書き連ねたことになります。ところが、日本書紀は本文は正しいのですが、次のような伝承がありますからと、次々別の資料を書き加えています。当然、古事記に書かれている神の名前が、一書として、書かれていなくてはなりませんが書かれていません。
 日本書紀は、前に読みました「別天つ神五柱」のことは、記されていません。

無理なく考えれば、やはり逆で日本書紀が古事記を参考にして、「別天つ神五柱」の部分は、
必要でないのではなく、書きたくなかったから、書かなかったと意地悪く考えました。
この部分を抜きますと、天つ神とはなんだということが、無くなります。

日本書紀の作者は、古事記を参考にしただけではありません。最大に意識して書いています。
上に見られるように、一字一句と言っていいほど、漢字を書き換えています。日本書紀全部
についてそうです。(そのうちに、一覧表にして見て頂くつもりです)

古事記に書かれている神の名前と那岐神社の祭神名が、全部同じということはどう考えたら
良いのでしょう。こんなに複雑な字であれば、一字ぐらい違って当然です。
那岐神社の神主さんが、いつか古事記をみて違っているから古事記に合わせた。これで解決
です。抜群ですが、証拠がありません。これは、また、逆で稗田阿礼が那岐神社まで足を運
んで、神主さんから祭神の名前を教えて貰って、古事記の神話の中に、挿入したと考えるの
に無理がありません。
高天原のある場所の描写は、「次國稚如浮脂而。久羅下那洲多陀用幣琉之時【琉字以上十字以
音】如葦牙因萌騰之物而」でした。この描写は,空想では書けません。実際に稗田阿礼が行って、
見たから書けた情景だと思われます。高天原がもし、九州であれば、九州まで行かなくてはなりません。行けないことはありませんが、那岐神社も、出雲大社もとなりますと、現在なら行くことが出来ますが、当時であれば無理だと思われます。
稗田阿例は、高天原へ実際に行った。那岐神社にも実際に行ったことになります。今後、実際に行ったと思われるところがありましたら、指摘するつもりですが、記憶しておいてください。すべて、蒜山高原の周りになってきます。
 それ故に、佐竹・田村両氏は蒜山高原が、高天原と思われたのでしょう。

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2004.11.29

神社を残そう

11月21日 津山市の中山神社を訪れました。昔の美作国の一宮です。
着いたのが、殆ど、太陽が沈もうとしている時間でしたので、初めはあまり気がつきませんでしたが、境内にトラックが一台停まって居て、大きな材木が積まれていました。周りを良く見ますと、境内から切り出した木のようです。次第に、様子が判ってきました。境内の木という木がすべて倒れています。直径が30センチもあろうかと思える杉やケヤキの木です。折れている木もありますが、大半は、根元から掘り起こされて倒れていました。作業を終えようとされている人に声を掛けますと、台風23号による被害だそうです。
この神社に来る前に、奈義町の那岐山の登山口に行きますと、麓の檜が大きな範囲で倒れていました。こちらも、直径が20センチはあったと思います。
23号台風といえば、出石市・舞鶴市が被害に遭ったときです。その後、続けて中越地震がありましたから、こちらの被害は報道されませんでしたが、相当酷いものであったようです。神社の杜は、全滅でした。幸い神社の建物は、倒れた木で屋根の一部が壊れていましたが、暗い中のことで確かに判りませんでした。

この神社は中山神社、読み方は「なかやまじんじゃ」です。目的は、「ちゅうざんじんじゃ」と言われたことがあるのではないかを確かめに行きました。お参りに来ておられる35,6歳のご夫婦に確かめました。社務所の中には、すでに電灯がともっていましたので、尋ねようと思いましたが、止めにしました。神社の存続に関わるかもしれない状態なのに、聞くことは出来ませんでした。
何故 知りたいのかといいますと、この神社の祭神は、金山彦です。鉱山資源の加工技術やその製品の守護神として祭られていることが多いですが、元々は、鉱石を採取する技術を伝えた人を祭ったのではないかと考えています。この神社から北は、日本海まで、鉄の産地です。古事記に出てくるイザナギ命は、中国にあった中山王国が、趙に滅ぼされたのが、前296年です。この国の人たちが、日本に逃げてきて、製鉄や銅鐸を伝えたのではと考えています。中国の王国ですから、なかやま王国では困りますので、いつの時代までは、「チュウザン」「チュウセン」「チュウサン」ぐらいで呼ばれていたのではないかと思ったのです。こんな話を困っている神社の方にするわけにはいきません。
そのまま、帰宅したのですが、現在のように国が宗教法人にお金を出しはいけないといってますと、古事記にでてくるような神社は、すべて無くなってしまうように思いました。立派な神社ですが、社殿は古く、あのままでは氏子だけの力で、残すことは困難になると思います。(中山神社に少し失礼かな) 
イラクも大切かもしれませんが、どこかが狂っているように思いました。  平成16年11月29日

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神世七代

次成神名。國之常立神【訓常立亦如上】次豐雲(上)野神。此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。次成神名。宇比地迩(上)神。次妹須比智迩(去)神【此二神名以音】次角杙神。次妹活杙神【二柱】次意富斗能地神。次妹大斗乃辨神【此二神名亦以音】次淤母陀流神。次妹阿夜(上)訶志古泥神【此二神名皆以音】次伊邪那岐神。次妹伊邪那美神【此二神名亦以智如上】

 上件自國之常立神以下。伊邪那美神以前。并稱神世七代【上二柱。獨神各云一代。次雙十神。各合二神云一代也。】

次の神世七代について書かれた原文です。國之常立神は、天之常立神の時と同様に、常立はトコタチと訓むと書かれています。
「獨神」の獨の漢字は、辞書に
①ひとり、一匹の獣、牡獣。②ひとりもの、老いて子無きもの。③ただ、ひたすら、もっぱら。④犬が噛みあう⑤なんぞ、はた、いずれ、むしろ、あに。
古訓 ヒトリ・ムカフ・ヨル・ヤモメ
とかかれてあり、 もともと、牡獣の意味があるようです。ただの独身ではなく、男の神さんであったようです。

原文は、漢字の羅列になっていますが、並べて整理しますと、よく、見えてきます。
 以下翻訳 但し、私のものです。
次にやってきた神の名は、國之常立神、次に豐雲野神です。この神も又、独神で、身を隠してしまいました。

次は、宇比地迩神。次は、妹須比智迩神
次は、角杙神。次は、妹活杙神
次は、意富斗能地神。次は、妹大斗乃辨神
次は、淤母陀流神。
次は、妹阿夜訶志古泥神
次は、伊邪那岐神。次は、妹伊邪那美神

上の神の名のうち、國之常立神以下で、伊邪那岐神より以前を、合わせて神世七代という。〔二柱。独身の神は各々で一代。次の十神は、各二神が一代です〕

①上記の二人の独神も身を隠しました。こうも身を隠すのであれば、「身を隠す」とはどういうことか検討する必要がありそうです。ただ、いなくなったのではなく、  することをして、去っていったのでしょう。
②神世の七代の「七」は、國之常立神、次に豐雲野神の二柱で、二代です。後は
  宇比地迩神。次妹須比智迩神の二柱で、一代です。都合、七代です。
この七代が、天津神の基礎を築いた人ですよと、太安万侶は言いたかったのだと思  います。
③ 七代のうち、五代は、夫婦の神だと思います。問題は「妹」だと思います。
 妹は兄弟関係の妹ではなく、女性を著すものだと思われます。

読み方を書きます。同じ読み方と違う字を太字にします。
1. クニノトコタチノカミ
2. トヨクモノノカミ
3. ツノグヒノカミ    妹イクグヒノカミ
4. オホトノヂノカミ   妹オホトノベノカミ
5. オモダルノカミ    
6. 妹アヤカシコネノカミ
7. イザナギノカミ    妹イザナミノカミ
太文字の部分でなにか共通のものが現れるかとおもいましたが、なんら関係はないようです。

このページで、古事記の作者が言いたかったことは、「并稱神世七代」だと思われます。
なのに、この七代の神が、「天つ神です」とはかいていません。ここで言わないで、「別天神五柱」とところで、「上の件の五柱の神は、別天神」とわざわざ断りました。

なぜ、このように天つ神であることを、ぼかさなくてはならないのか気になるところです。古事記では、今後、このような箇所が随所に見られます。消されることを予測してはじめから取り掛かったのだと思います。その一番が、稗田阿礼に暗誦させたことでしょう。その2が、神話の形にすることによって、反対勢力の圧力を減らそうとしたのだと思われます。それでも、完成してから500年も見つからないほど、徹底した古事記隠しが行われたのだと思います。
このようなことばかり書いていますと、古事記の解読が少しも進みませんが、話は平行に進めたいと思います。
古事記を作るにあたって、天武天皇の意気込みは、結構強かったように思っています。なぜならば、天皇は稗田阿礼に、現存する書かれたものをかき集め、それを見て古事記を編集したのではなく、実際に、蒜山高原の周りの神社を実際に調べさせたのだと思います。その例の一つを次に、記します。  

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2004.11.26

高天原は蒜山だった 

古事記のはじめの部分を読まれて感想はいかがでしたか。 五人の神さんが陽春の高天原をめざして登ってくる様子を想像して頂けましたか。
 これは私のオリジナルではありません。
『神代遺跡考』という本を出された人があります。それは、昭和3年、勝山中学の英語の先生で教頭であった佐竹先生です。「高天原は日留山高原だった」の副題がついていたそうです。当時は、このような本を書くことは、国から認められず先生は、京城中学のヒラ教員に格下げされました。この本を五十年後に、中塚貴志という人が復刻され、それを読んだ田村誠一(故人)という人が、国の処置に怒りを覚えることになります。私に言わせれば、気の狂ったように、全国を車で走り回り、佐竹先生が書かれたことを確かめることに没頭されます。
この田村誠一が書かれた本には、〔岡山県真庭郡川上村福田〕という住所が書かれています。田村氏は、蒜山高原の住民だったのです。
蒜山の中腹には、現在は、ブナはありませんが、ごく最近までブナの原生林があったことを書いておられます。少し長いですが、その全文を記します。
「新大地を開発しようとして三人の独身の神が高天原にやって来ました。大山・蒜山国立田公園の蒜山高原は広い諏訪湖の半分位の面積の水田か広がっていて、この水田は海抜五〇〇米てす。周囲を一干米級の山か囲んでいて要害の土地です。水田の周囲はなたらかな高原で東西.二〇粁、南北一〇粁の広大な盆地です。太古の時代には盆地は湖水て、一ケ所が切れて旭川となって流れだしました。湖水の湖底が平坦で古代には葦が茂っていました、これが豊葦原の国です。高原地帯は全部ブナの原生林におおわれていました。この林は近くの大山の南壁の原生林から想像できる様に日中薄日が刺していました。水田の面積に応じて津山藩が年貢米を割り当てていました。日照時間が少なくて高冷地のため米の収穫が少ないと事情を訴えても役人が聞いてくれません。最後には百姓一揆まで起きて沢山の人が打ち首になった悲しい歴史があります。米が収穫が少ないのは水田に絶えず冷たい水が流れ込むためと分かって、古老に聞いた所では四年かかって、ブナの原生林を全部焼き払いました。現在の高原にはフナは全く見られないのはこのためです、この蒜山高原は天ツ神が開国した高原たから高天原と呼はれました。高天原に関係がある地名や物等はすべて天をアマと発音します.例えは高天原の雲海は天の浮き橋、旭川の源流の塩釜の泉は天の真名井、鉄は天の鉄山と書いて天の文字をアマと読みます。」
一度、ブナの原生林はないが、古事記に書かれている情景は、経験できます。一度蒜山高原にいってくださいと言っておられます。田村氏の翻訳によりますと、クラゲが漂う様子は、山の中腹で、ブナの木に残った雪の様で、麓の様子は、葦が日に日に、伸びていく様だと言っておらせます。
 「高天原は蒜山だった」かどうかは、私はまだ確かめていませんが、2000年も昔であれば、殆どが、このような状態であったのではないかと思われます。
その代表は、奈良盆地でしょう。
奈良には、下つ道、中つ道、上つ道の三本の大きな道が南北に通っています。これに平行して東の山側に、「山の辺の道」と呼ばれている道があります。農道のような狭い道ですが、古くから歩かれていた道のようで、私は奈良盆地全体が湿地帯であったときの湖岸にあたるところではないかと想像しています。亀の瀬付近で断層による陥没が生じ、湖水の水は現在の大和川になって流れ出ます。6000年ほど前の水面は70mの辺でありましたが、2500年頃には、50m辺に低下、その後、どんどん低くなって、人々が住むようになりました。古くは、唐古・鍵遺跡に見られる環濠集落であり、現在では当時の湖底が奈良市街を形成しています。奈良の川はすべて、もっとも低い所に流れ、いつも氾濫を繰り返したことでしょう。一箇所に集まるところは、法隆寺のあるところで、地名は斑鳩となっています。全国で「イカルガ」という地名を調べた人に、辻 保治氏(故人)がおられます。辻氏は、川が集まったところにこの名前が多いことを述べておられます。川が「怒る」から、このような名前がついたのでしょうか。それにしては、漢字は、斑鳩であったり、鵤で、鳥の字が見えます。
京都も南の部分は、池がありました。
現在広大な葦の原をみるには、釧路湿原や尾瀬において見られますが、山に囲まれて攻撃を受けにくいとなりますと、このように眺めていきますと、古事記が現した高天原は、神話の世界ではなく、建国を志した人々が、外的から攻められなくて食料を確保できるところを探しながら、見つけたところが高天原であったと思われます。
蒜山高原は都にするには、適当な土地の一つと考えてもおかしくありません。

現在、高天原は九州の日向であるという説が有力です。はじめに書きましたように、佐竹先生の左遷で見られるように、国の権力で歴史が定められた時期があったことは事実です。戦前一時期、古事記を読むのを禁止されたときがあったことをどこかで見たような気がします。
古事記が生まれてから、1300年も経っているのに。
古事記が編纂されて、500年後にやっと、見つけられたということは、古事記に読まれたら困ることが書かれていたと考えるべきだと思います

古事記にかかれた高天原は、クラゲが漂うように見え、葦がいっぱいあるところであれば、候補地になります。奈良盆地も一級の候補地です。富士山の裾野であってもいいのです。
ただ、その後に古事記に書かれたことが、すべて説明がつかなくては、候補地とはなり得ません。
以下、このことも念頭に入れて、古事記を読んでいこうと思っています。

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2004.11.24

古事記の作者が読者に伝えたいこと

古事記の作者は読者に何を伝えたかったのか。これは大切なことだと思います。裏を読む必要があるということです。話しはとんでもない方にとびます。男女の間において、好きな気持ちが生まれたときに、好きだと言えばいいのに、好きな人の前に行きますと逆の行動をとることがあります。相手が嫌がるようなことを言ったり、きらいだと言ったりです。逆のことを言われたら、判るわけがありませんが、よく観察すると判るものです。しかし、これでは相手に自分の言いたいことが上手く伝わりません。
 書き物をするときは、そのようなときより、時間がありますから、もっと複雑になると思います。書物全体の構成を考えたりします。日本書紀は編年体といって、いついつにどのような事件があったというように書かれています。記紀(古事記と日本書紀の略)が出来た頃、中国では、この形式で歴史書が作られていました。このことから、日本書紀は、日本も真似をして、国内よりも対外を意識して書かれた本であるというような言い方をしておられる方もあります。
本当かも知れませんし、作者はそのようなことを微塵にも考えなかったかもしれません。
限られた紙面ですから、なにか伝えたいから書いています。受け取る方は、そのことを念頭において読む必要があります。

作者が伝えたかったこと  その1
 前のページの復習です。もう一度原文を掲げます。これだけの範囲で、作者は一番になにを言いたかったかを考えます。私は、最後の「上件五柱神者。別天神。」だと思い、一行勝手に開けました。

天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神【訓高下天云阿麻下此】次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也。
次國稚如浮脂而。久羅下那洲多陀用幣琉之時【琉字以上十字以音】如葦牙因萌騰之物而。成神名。宇摩志阿斯訶備比古遲神【此神名以音】次天之常立神【訓常云登許訓立云多知】此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。

 上件五柱神者。別天神。

原文を並べ替えます。
天地初發之時。於高天原成神名。
① 天之御中主神
② 高御産巣日神
③      神産巣日神
國稚如浮脂而。久羅下那洲多陀用幣琉之時(高天原から眺めた光景を表現したものでしょう)
④ 宇摩志阿斯訶備比古遲神
⑤ 天之常立神   
                                     5-2

その他、神さんは 一人二人と言わないで、五柱ということ。獨神成坐(独身?) 隱身也
最後に、「上件五柱神者。別天神」とあります。
すなわち、天皇と違う神が先におられたのだと宣言しています。

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このページは、途中までです。 あまりにもコメントが多くて、コンピューターが壊れる寸前です。 上記より以下は削除しました。

コメントは書きこまないでください。

【楽しい人生】のブログは、近日中に閉鎖しようと思っています。 長いことありがとうございました。

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2004.11.20

初めての神の誕生

別天つ神五柱                                               4
天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神【訓高下天云阿麻下此】次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也。
次國稚如浮脂而。久羅下那洲多陀用幣琉之時【琉字以上十字以音】如葦牙因萌騰之物而。成神名。宇摩志阿斯訶備比古遲神【此神名以音】次天之常立神【訓常云登許訓立云多知】此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。

 上件五柱神者。別天神。

はじめから漢字ばかりで申し訳けありません。古事記のはじめの部分の原文です。(句読点は、仮にうちました。原文にはありません)
「新しい古事記の読み方」は、一緒に読んで頂こうと思っています。日本書紀は すべて、漢文で書かれているそうです。古事記は、古い事を書物からのみ集めたのではなく、人から聞いたことを載せたとあります。聞いたことは、話言葉ですから、漢文にするには難しいところがあるそうです。
太安萬侶は、古事記の序文の中で、「上古の時、言意(ことばこころ)並び朴(すなほ)にして、文を敷き句を構ふること、字におきてすなはち難(かた)し。已(すで)に訓によりて述べたるは、詞(ことば)心に逮(およ)ばず、全く音をもちて連ねたるるは、事の趣更に長し。・・・・・」と書き、難儀をしたのだと述べています。
苦心のあとは何処だといいますと、一行目に 【訓高下天云阿麻下此】とあります。これは、太安萬侶が付けた注釈です。前文の「於高天原成神名」の高の下の天は、阿麻(アマ)と訓みます。これから後にでてきたら、阿麻と読んでくださいという注だと思います。このように注釈を入れたということは、普通は阿麻と読まないのだと思います。なんと読むかといいますと、「テン」と読むのでしょう。普通、「天照大御神」を「アマテラス・・・」と読んでいますが、本当は、「テンテラス」か「テンテル」と読むのかもしれません。 (これは素人の私がいうことですから、あまり、信用しない方がいいかもしれません)
それでは、はじめに戻って、「天地初發之時」、これはなんと読むか、天はアマと読んだらいけないことになります。「テンチショハツノトキ」と読んでも構いません。岩波の本では、著者は「天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時」と読んでおられます。本当はどのように読んでいたのか判りませんから、どちらでもいいと思います。
意味は、どうにか解ります。 「発」は辞書をひきますと、字音は、ハツ・漢、 /ホツ、ホチ呉
意読は、はなつ、おこす、ひらく、あばく  が掲載されていて、岩波の本では「ひらく」を採用したことが判ります。ところが、「初発」で辞書をひきますと、「しょはつ、しょほつ」とあり、「ことの始まり」とあります。なんのことはありません。はじめから、少し、気取って 「しょほつ」と読んで、砕けて「天地の始まった時」と読めば、判り易いのに、「ひらけし」などと書くから、意味がよく判らないことになります。
僅か六文字を読むだけで、こんなに手間が掛かりますが、素人でも読めるということです。
調子に乗って、次の「於高天原成神名」です。岩波の本では「高天(たかま)の原に成れる神の名は」とあります。太安萬侶の注を読んでおられないことになります。「天」はアマと読めとあったのに、勝手に、訛って 高天を「たかま」と読んでいます。「之」の必要なときは、「天地初發之時」のときのように、「之」を入れてあります。ここは、入っていませんから、
「たかあまはら」と読むべきでしょう。そんなに煩い事を言わないことにして、次に進みます。
「於高天原成神名」ここは短いですが、重要な部分です。岩波の本では「高天(たかま)の原に成れる神の名は」とありますが、成れる神とは、どういう意味でしょうか? 同じ字が使われたところが、もう少し後に出てきます。「汝が身は如何にか成れる」身体がどのように出来ているかと尋ねるところがあります。別のところでは、「この漂へる国を修め理()つくり固め成(な)せ」とあります。「成し遂げる」の意味です。、成れる神は、他の本では、殆ど「生まれる」と書いてあります。
神は生まれたり、死んだりするものでしょうか? 神になった瞬間を生まれたと表現すれば、生まれることはあるでしょう。イザナミが死んで、黄泉の国へ行きます。悲しんだイザナギが追いかけていきます。イザナミという神は、死ぬこともあるのです(?) と書いたものの、すっきりしません。
すっきり、しませんので、続けてみます。付き合ってください。
「成」は、辞書をひきますと、意読は、なる/ なす/ たいらぎ とあります。古訓では、タヒラム、タヒラクなどもあります。成を含む熟語は、生育・成果・成家・成器・成功・成形・成算・成事・成就・成人・成熟・成性・成童など 多数ありますが、殆ど、出来上がる意味に使われています。・
  元々は、生まれる意味はないようです。。
成敗という言葉がありますが、政治を行う意味があります。これを採用しますと、「 高天原を執政した神の名は」となります。続いて、「身を隠したまひき」とありますから、三柱の神とも、何所かへいってしまったと書かれています。ということは、この三柱の神も何処からかやってきたことになります。
「成」には、「戈ホコ」の意味があり、戈を使って、平定しながら、やって来たのかもしれません。「成れる」は、「やって来た」ぐらいに訳せばと思います。


生意気にも、私なりの訳をしてみます。
天(テン)と地ができて初めのころ、高天原に、平定しながらやってきたのは、
天之御中主神(テンノミナカヌシ)です。その次にやってきたのは、高御産巣日神。そして、神産巣日神て゛した。この三人は、独身者で、そのうちに、身を隠しました。
国はわかくて、(季節は)浮いたあぶらのように、クラゲが漂うに、葦の芽が萌えあがるように見える時です。そのような時、成れる神の名は、
宇摩志阿斯訶備比古遲神 次にやってきたのは、天之常立神(テンノトコタチ)。この二人もまた、独神でした。そして、ここを去っていきました。
上に書きました五人の神は、天つ神とは、別の神さんです。

H2006.8.06に日本書紀との関連で書きました。少し、違う所があるかもしれませんが、読んでください。

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2004.11.19

古事記全体の流れを見ます

古事記は、普通に言われています神話の部分と中巻である神武天皇から応神天皇までの部分、そして下巻の仁徳天皇から推古天皇までのことが記されています。全部読んでいませんから、自分の考えは書くわけにいきません。
これまでに研究された方の話をまとめてみますと、神話の部分は、作り話であるということは、間違いないようです。次に、理由は学者によってまちまちですが、神武天皇と第2代の綏靖天皇から開化天皇までは、欠史時代と名づけて、簡単にいえば、これも作り話で、実在しない天皇であるというのが、現在の流れのようです。
第10代の祟神天皇を、後の世の人が、「ハツクニシラススメラミコト」と呼んでいます。漢字で表しますと、「御肇国天皇」です。同じように、「ハツクニシラススメラミコト」と呼ばれている天皇がいます。それは神武天皇です。「始国天下之天皇」と漢字で書かれています。漢字の意味から考えると、どちらも、日本を始めて治めた天皇だということです。始めた人が二人いますと、おかしいですから、神武天皇の記述は信用置けないことになっています。それどころか、祟神天皇も信用置けないといわれているようです。信用できるのは、中国の文献に載っている倭の五王からだという考え方が主流のようです。
中国の文献に載っているから信用できるという考えは、変ですが、古事記に書かれていることが正しいかどうか判断しようというときに、古事記に書かれていることを利用するのも理屈に合いません。それでは、日本書紀を参考にしようとしても、日本書紀のほうも、欠史時代の天皇を取り上げていますから、役にたちません。

五人の倭国王とは、讃・珍・済・興・武を云い,413~478年の間に少なくとも9回にわたって南朝に使いを送って貢物を献じたと中国の書物に書かれていますから、この五人の天皇が中国に挨拶に行ったのは、間違いないことのようです。(なぜ、ことと書きましたかと言いますと、中国の人は間違ったことは書かないと断定できるものを私は持っていないからです)
倭国王・讃は日本の書物には見ることができません。讃は、どの天皇かといいますと、学者によって異なるようで、正確なことは判らないといえます。このように、学者の論争に巻き込まれますと、いくら勉強しても切りがありませんので、素人らしく、荒っぽい論法で以下、古事記を眺めます。
荒っぽい論法ですと、古事記を読むのは簡単なことです。詳しく書かれている部分は、よく判っていたから書いたか、沢山書きたいから書いたかどちらかです。書きたくなくても書かなければならなかったら、体裁だけ整えて、お茶を濁したということもあるでしょう。第9代まで、実在しなかったと騒ぐことはありません。どうせ、誰にも判らないのですから。歴史を考えるときに、参考にしなければ良いだけのことです。

 そこで、神話の部分のみ、考察してみます。
神話の部分は、大きく分けますと
① イザナギ・イザナミの世界以前
② イザナギ・イザナミの時代
③ 天照大神とスサノオ(高天原の世界)
④ 大国主神
⑤ ニニギノミコト以後の世界
 とになります。
この部分に、作者はどれだけの字数を費やしたかを調べてみます。本当は、古事記の原文を調べるべきですが、いい加減ですが、岩波文庫の「古事記」という本において、どれぐらい使用されているか調べました。手を抜いて字数ではなく行数を調べました。

① 14行 ②169行 ③131行 ④298行 ⑤196行

いい加減な数字ですが、この数字から、推察してみますと、
イザナギ・イザナミの世界以前が少ないのは当然です。
時代が新しくなるほど、詳しいことが判っているはずですが、大国主神のところが一番多いということは、作者が書きたかったのでしょう。または、実際に活躍したから、全国にその証拠が残っていることになります。
日本の始めを作ったのは、イザナギ・イザナミと言ってもいいほど、ページが費やされています。
ニニギノミコト以後の世界の部分になりますと、天皇とは 呼ばれていなかったが、初代天皇と考えてもいいように、構成されています。

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2004.11.17

天武天皇は古事記をなぜ作る気になったか

Ⅱ天武天皇は古事記をなぜ作る気になったか             --2  
古事記の序文に当たるところに、次のような部分があります。
「私は聞いた。諸家にもたらされている帝紀及び本辞は、既に真実と違っている、多く虚偽が加えられている。今この時期に、その誤りを改めねば、数年しないうちに本当のことは消えてしまうだろう。これは国家行政の根本であり、天皇徳化の基本である。ここに、帝紀を撰録し、旧辞を皆で調べ、偽りを削り真実を見定めて、後世に伝えたいと思う。」と言われた。
帝紀とは、天皇家のことを記したものだと思われますが、「諸家にもたらされている」とあります。それが「真実と違っている」と書かれています。勝手に書き換えられているということです。
「今この時期に、その誤りを改めねば、数年しないうちに本当のことは消えてしまうだろう」
どうして、消えてしまうのでしょう。天皇は、消そうとしている人がいることを知っているのでしょう。
最後になりましたが、「私は聞いた」が最も、重要な部分です。天皇は、帝紀及び本辞を自分で見ることが出来ないので、(見せて貰えない)聞いたと表現したことになります。
この短い言葉が、次に続く文章の伏線になっています。
同じく、古事記の序文の続きです。
「時に舎人がいた。姓は稗田、名は阿礼、年は二十八。人となりは聰明で、一見しただけで、すぐ口ずさめ、一度聞いただけで、心に刻み付けて忘れない。そこで、阿礼に天皇の命令で帝皇日継(すめらみことのひつぎ)及び先代旧辞(さきつのよのふること)を誦み習わしめた。しかし時が変っても、未だこの事は行なわれていない。」
「私は聞いた」という状態とは、どのようなことが考えられるでしょうか?
一番ひどい状態は、囚われの身である。手元に帝紀がない。
仮に、古事記が完成しても、没収されてしまうと考えるのが正しいでしょう。よって、記憶させて没収できないように、稗田阿礼に暗誦させたと思われます。
事実、天武天皇は、発病してから、4ヶ月後686年に、亡くなられています。古事記を作るように命じてから、4年後のことになります。
「数年しないうちに本当のことは消えてしまうだろう」と書かれていますが、本当のことどころか、ご本人が消えてしまったことになります。
太安万侶は、このことを伝えたかったのではないでしょうか?
蛇足を加えますと、稗田阿礼は舎人とあります。下級の者であったが、天皇は最も信頼のおける者に命じたと思われます。

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2004.11.16

新しい古事記の読み方

新しい古事記の読み方 と題して 文章を毎日書くことにしました。以前から書いてみようかなと思っていましたが、
誰も読んでくれません。お一人だけ、私の古事記の読み方を読んでみたいと言われましたので、真に受けて9月25日に書き出しました。日記を書くのと違って、どうして、従来の読み方と異なる読み方をしたのかを知って貰う為に、すべて根拠となるものを書いていますので、毎日書くことに追われています。
折角、書き出しましたのに、だれも読んで頂けませんので、メールを交換している人や知り合いの人に無理矢理送って読んで貰っています。どれぐらいの方に読んでいただけるか分かりませんが、何回か、毎日掲載しようと思います。

NO1
新しい古事記の読み方 1
 開始 平成16年9月25日                  
【はじめに】
 全くの素人の私が、タイトルのようなことを書くつもりになりました。その動機は、今までに読んだ本などと読み方が大分違うからです。あまり、違いますと誰からも相手にされません。そこで、少しでも多くの人に知って頂き、そう試みることによって、私の頭の中で、バラバラになっている古事記を一つのものにしようと思っています。
古事記を読むときに、書かれていることの意味を追求します。その方法はいろいろですが、方法によって解釈の仕方が変わってきます。何分、古事記と日本書紀は、もっとも古い書物であり、ここに書かれていることが、日本の歴史を知るために役立っています。
そこで、私の方法ですが、私は逆に日本の歴史の中の古事記という考えで読み進めていこうと思っています。

Ⅰ 古事記とは どのようなものか
 古事記は、第40代天武天皇の命令により、太安万侶が編集し、成立の経緯を序文にしるし、712年(和銅5年)1月28日に、第43代元明天皇に提出したとあります。
不思議なことに、古事記のことは、古事記の序文に書かれている以外に、8年後(720年)に完成した、国家の正史である『日本書紀』(720年)にも記録なく、同じ頃、存在した国家の正史である『続日本紀』にも記録はありません。
 本の形は、序文にあたるものと、三巻から出来ています。書かれていることは、日本の成り立ちから天皇を中心とした歴史が書かれていますが、完成後、100年近く世の中に現れることはありませんでした。
あるときは、後世の人が書いたという偽物説が出たり、最近では、日本書紀のほうが先に書かれたという説が主流を占めるようになるなどし、その価値は、日本書紀より落ちていくように思えます。
古事記は、日本書紀を参考にして作られたといった文章も目にとまります。

「古事記」 読んで字のごとく、「古い事を記した本」という捉え方がされています。
あまり難いことを言わないで、書いてみます。

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2004.11.11

ファルージャーへの進攻

「ファルージャー」の文字が、新聞に氾濫しています。NHKまでが、夜の10時、定時番組を組んで、人殺しの
映像を流し続けています。
政府の親玉である小泉首相は、ブッシュのしていることは正しいから、自衛隊の派遣は続けるといっています。

アメリカは、口を開けば、正義のためだといってますが、何のことはありません。石油ほしさに傀儡政権を作ろうとし
ているだけです。

現在の日本も、体よく傀儡政権にされたようなものです。云いたいことも云わないで、アメリカの云うがままです。

日本の歴史を振りかえりますと、中国は、卑弥呼のときに、傀儡政権を作ろうとしました。卑弥呼は魏の国に、使いを送りました。そして、魏の国から鏡を100枚貰いました。日本の歴史家は、当時の日本としては、破格の扱いであったと自慢げに書物に書いている人がありますが、私は傀儡政権を作るための一つの作戦であったと思っています。
それは、中国の正史である魏志倭人伝に書かれていることです。日本の資料にはありません。本当に貰ったのかどうかは誰にも判りませんが、中国の言うことだから、間違いないということで殆どの人は正しいと思っています。

その後、天智天皇のときも、中国は、傀儡政権を作ろうとしました。上手く事をすすめて、大友皇子を天皇にするところまで運びましたが、大友皇子は壬申の乱で負け、天武天皇の世の中になります。
壬申の乱は、皇位継承の争いといわれていますが、中国が傀儡政権を作ろうとしたための事件です。そのご、天武天皇は毒殺されます。その後、中国人による政治が、藤原不比等によって完成しますが、天武天皇はそれに対抗して、古事記の編纂を思い立ちますが、成功せず、逆に、漢人による日本の正史として日本書紀が作られ、古事記は、江戸時代まで葬り去られることになりました。

世界の大国は、ずっとこのようにして、大きくなってきたのですね。  平成16年11月11日

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