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2004.12.03

オノコロ島の造成

少し、量が多いですが、先ず原文を書きます。
於是天神諸命以詔伊邪那岐命伊邪那美命二柱神。修理固成是多陀用幣流之國。賜天沼矛而。言依賜也。故二柱神立【訓立云多多志】天浮橋而。指下其沼矛以畫者。鹽許袁呂許袁呂迩【此七字以音】畫鳴【訓鳴云那志】而。引上時。自其矛末垂落之鹽。累積成嶋。是淤能碁呂嶋【自淤以下四字以音】

「於是天神諸命以詔伊邪那岐命伊邪那美命二柱神」 この部分の訳です。 漢字をすべて、並べて文章にしますと、
「是れに於いて天神の諸の命を以って、伊邪那岐命伊邪那美命二柱神に詔(ミコトノリ)して」となるでしょうか? もう少し、やわらかく書き直して、「ここに於いて天神のもろもろの神たちで、伊邪那岐命と伊邪那美命の二柱神に言いました」とぐらいにしたく思います。

問題は、天神です。いままでに、出てきた神は、五柱と神世七代の15人の神さんだけです。私の古事記の読み方からしますと、天神(天つ神か)は、10人だけです。
そのうち、五柱の神さんは、身を隠されました。神世七代のうち、国之常立神と豊雲野神の二人も身を隠されました。残っている神は、伊邪那岐命と伊邪那美命を除くと、8人の神となります。解らないのは、「神」ではなく、なぜ「命」なのでしょうか? 「命」は、「ミコト」と読ませてあることが多いですが、この読み方が正しいかどうかわかりません。この違いは究明すべきですが、宿題にします。

次は
「修理固成是多陀用幣流之國」です。是だけの漢字を使って意味が通るように並べ替えてみます。 「是の多陀用幣流之國(漂へる国) を修理し固くなるように成しなさい」 「この漂える国を固くなるように作り変えなさい」 どのように書き換えてもあまり、違いは生じない部分です。

 「賜天沼矛而。言依賜也。故二柱神立【訓立云多多志】天浮橋而」
「天沼矛を賜いて、言依を賜い也」なんのこっちゃです。天沼矛がわかりません。言依がわかりません。今度は宿題にしないで、挑戦です。
「天沼矛」は「天沼の矛」か「天の沼矛」に分けることができます。「天沼の矛」ですと、天沼という名前の矛となります。矛は、武器です。まだ 戦いどころではありません。天沼がまた、困りますので、
「天の沼矛」の方を採用します。(岩波の本もそうしています。ところが、注釈の欄に、玉で飾った矛とあります) 沼と矛と分けては駄目なのでしょう。後ほど、「天の御柱」とか「天の真名井」とか「天之狭手依比売」というように、「天」のオンパレードです。これは、「天つ神」の天を付けて、強いて訳せば「ありがたい」とか「正真正銘」のとでも訳せるでしょうか。尊称の言葉ですから、訳さないことにすれば、今後、この悩みから開放されます。「沼矛」とはなんでしょうか。沼で使用する矛となれば、武器ではなく、スコップのようなものでしょう。すこし、荒っぽいですが、スコップということにします。
古事記では 後に、天の詔琴、天の班馬が出てきます。これらに共通するとは、後ろに書かれてあるものは、名詞です。天から持ってきた沼矛、詔琴、班馬です。天(テン)とは、現在の中国の雲南省の古代の国の名前ではないかと思われます。 漢字は サンズイ偏に眞です。読み方は 「テン」です。テンの国から、沼矛、詔琴、班馬を連れて日本へやって来た人達が、日本を作ったと考えられます。よって、「テンのヌマホコ」と読むべきです。高天原のところで、この天は、阿麻と読むようにと注釈がありました。だから、「天の真名井」や「天の浮橋」は、「あまのまない」と読むべきです。

「言依」という熟語はあるのでしょうか? 「依頼」という言葉に使われるように、頼むとか、頼るとかの意味のようです。「タノム・タヨル」となりますと、「頼む」の漢字になりますが、「依」も「頼」も頼るだとおもわれます。「言依」は、言葉でお願いするぐらいの意味でしょう。
訳を続けます。
「そして、二柱の神は、 天浮橋に立って」
以前に橋について調べたことがありますが、文献にでてくる橋では、最初のものです。昔はあまり橋をかけるという発想はなかったように思われます。日本では、川幅が狭く流れが急であるため、しばらく待てば川を渡れたからではないでしょうか。木の橋は、古くから作られ利用されたでしょうが、石橋の歴史は古くはありません。
浮き橋は、浮いている橋です。この浮橋の袂に立ってという表現は、国を作るときにあったのではなく、古事記を書いた人が、高天原から見て、何もないところに見えるものは、ふあふあ浮いている雲を見立てて、浮いている橋と表現したのだと思います。普通、雲海と呼んでいるものです。橋と表現したということは、橋の向こうにも山があり、高天原の橋の向こうにも山があったことになります。(富士山を当てはめるとしますと東側はあてはまりません)
中蒜山の麓から100mの位置のところ雲海が朝に出来るそうです。この位置を御所に定めたことになります。
「指下其沼矛以畫者。鹽許袁呂許袁呂迩【此七字以音】畫鳴【訓鳴云那志】而」
 「其の下を指し沼矛を以て書きますと、塩がコオロコオロと書き鳴らす」 「書鳴」は「かきならす」勢いよくかき回すことでしょう。
「引上時。自其矛末垂落之鹽。累積成嶋。是淤能碁呂嶋【自淤以下四字以音】」
「引き上げた時、其の矛自(ヨ)り垂れ落ちる塩」「累積して成れる嶋」「是がオノコロ島です」

日本列島で最初にできた島が、オノコロ島であると宣言しています。塩が溜まって出来たとは、どういうことでしょうか? そのような馬鹿なことはありえません。いくら、伝説にあったと考えるにしても、古事記ができた700年頃に考え付く話ではありません。オノコロ島の造成にさいして、塩が関係あったと言うことでしょう。
日本人は、四方を海に囲まれていますから、塩といえば、海からと考えますが、普通は岩塩のことです。中蒜山の麓に、「塩釜」と地図に書かれたところがあります。以前は塩釜の冷泉と言われていましたが、現在は泉から大量の水が湧き出し、旭川の源水になっています。今流行のミネラルウォーターとしてペットボトルに詰めて売られていました。
神戸市北区に有馬温泉があります。この有馬の周辺に、「塩」の字がつく地名がいくつかあります。西宮市の名塩、宝塚市の塩尾、三田市にもあったように思って、いろいろ理由を探していましたら、神戸市の西側に入り口があり、内海の形で、三田や名塩のあたりまで、海が広がっていた図を見たことがあります。塩という字がつく、地名はやはり塩と関係があると考えてもいいでしょう。塩釜の水は、飲んだところ塩分が多いようには思えませんでしたが、紀元前は、塩分を含んでいたのかも知れません。御所を作るときに、土を固めるのに、塩分を含んだ塩釜の水が必要だったのだと田村誠一氏は述べておられます。
古事記では、海の塩になっていますが、「修理固成」の中に、固めるとありますから、実際に固めるのに使われたのかも知れません。其のときに、天の沼矛を使用したのは言うまでもありません。

田村誠一氏は、オノコロ島は、中蒜山の中腹に見られる平らな部分だと書いておられます。中蒜山の五合目に「日留神社」があるというので、確かめるために登ってきました。神社はなくて、小さな祠がありました。いつからあるものか確かめようがありませんが、日留宮と呼ばれているそうです。五合目まで登るのが、私には限界で、青息吐息で到着しまして、御所のあった平地を確かめないで下山してしまいました。


「オノコロ」が解りませんが、「島」は、海にある島とは限りません。日本にいっぱい島と名のつくところがありますが、あるもので囲まれたところを島と名づけた可能性はあります。
私の住んでいる町には、「白島ハクノシマ」「坊島ボウノシマ」という大字名の町があります。勿論、海とは関係ありません。従いまして、「オノコロ島」は、山の上にあってもいいことになります。イザナギとイザナミは、二人して、はじめに、「オノコロ島」を作ったことになります。                        
愈々、イザナギとイザナミの結婚生活がはじまります。


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