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2004.12.16

淡道之穗之狹別嶋はどこだ

① 「天神の御所に曰す」とあります。訳本は、「天つ神」と「つ」を入れて、「あまつかみ」と読まそうととしておられます。これは正しいかどうか判りません。ただ、言えることは、古事記のはじめから登場した神は多くありません。この外に「天つ神」が居ることにするのかハッキリしません。今までに登場した神々だとしますと、「身を隠された神」を除きますと、
宇比地迩神・妹須比智迩神
角杙神・妹活杙神
意富斗能地神・妹大斗乃辨神
淤母陀流神
妹阿夜訶志古泥神
是だけの神です。さて、この神たちは、果たして、御柱の周りをどのように廻ったら正しいのかしっていたのでしょうか。知っていたとしますと、同じところの出身者ということになります。どこの出身かは、後に譲ります。 こうしたことを調べた上で無いと「天神」をどのように読むかは断定できません。

②「淡道之穗之狹別嶋」は、訳本ではどのように訳しておられるかと言いますと、「淡道の穗の狹別嶋」です。これは、どこの島か判らなかったのだと思いましたら、注釈に「淡路島」と書いておられます。淡路島というには、淡路島に存在する字は、「淡」と「島」だけです。「淡」と「島」の間に、六文字もあります。これを淡路島とするには、無理があります。これなら、水蛭子と淡嶋の創生のページに出てきた「淡島」を淡路島にすべきです。 大八嶋のことを述べた部分に書かれている島の名前ですから、翻訳者としては、なにがなんでも、ここは淡路島と比定したかったと思います。そのために、水蛭子と淡嶋の創生における「淡島」は、不明とせざるを得ませんでした。
この嶋には、名前が無かったのだと思います。無いときはどうするか。古事記の作者は、高天原がどこにあるのか、地名を言うわけに行きませんでしたから、高天原がどのようなところかを記しました。覚えておられますか? 採録します。
「次國稚如浮脂而。久羅下那洲多陀用幣琉之時 如葦牙因萌騰之物而」  ***クラゲなすです。

それでは、「淡道之穗之狹別嶋」も同じ調子で読みます。
淡道です。淡は、漢字の意味からせまりますと、 あわい 、あっさり。これでは なんのことか判りません。 淡を使った熟語には、 淡海・これは淡水の淡です。淡路・どうして淡路というかわかりませんが、古事記にすでに、粟国がありましたが、粟国へ行く路が素直ですが、そうであれば、神戸の方からなぜ言うのかが説明つきません。後ほどイザナギが淡海の多賀へ行く話しが出てきます。
このように考えますと、「淡」は「あわい」ぐらいしか残りません。
以前に登場して頂きました田村誠一氏は、次のように解釈をしておられます。私の解釈も加えて島の名前に迫ります。
イザナギとイザナミは、はじめ隠岐島に渡来し、島根半島に渡った。その頃は、半島ではなく島でした。それは島の一番高いところに登ればすぐに分かることです。地図を広げてください。出雲大社のあるところは、つながって半島になりました。一方北の方は、米子市から境港に向かって、夜見の濱が伸びています。現在では、幅は相当広いものになっています。当時は、潮の満ち干きにより、消えてしまったり、道が出来たのだと思われます。この様子を表現したが、「淡」です。「道」は、辞書をひきますと、沢山ある中で、一番に「ある方向に伸びるみち」とあります。境港の付近は、現在のように、接近していなくて先の方が、ススキの穂のように大きくなっていたのではと思われます。島根島(島根半島)は、南北に山が走っていて、島を南北に別けている狭い島です。
先のほうが「穂」に見えたということは、稗田阿礼は、大山または笛吹き山辺りから、島根半島を眺め島の名前にしたと思います。このように、実際に行かないと分からないことです。古事記は、日本書紀の真似をしたのではないことが分かります。 以上の説明に当てはまる地名の第一候補は、島根半島になります。

②それに加えて重要なことは、大八嶋の中で,「淡道之穗之狹別嶋」のみが、別名がありません。
それだけ重要なポイントだと思います。なぜ、亦の名が無いとおもわれますか?
^他の嶋は、亦の名があります。生まれたのが嶋ばかりなのに、亦の名は狹手依比賣とか、天御虚空豐秋津根別と、どうやら人の名前のようです。比賣は女性で、別は男性かも知れません。
イザナギとイザナミは次々と部下を派遣して、その土地を治めさせたのだと思います。実質的に治めたかどうか別にして、部下を全国に派遣したことは確かでしょう。
このように考えると、「淡道之穗之狹別嶋」は、部下を派遣しなかったのです。

直ぐに、ピンときませんか?

「オノコロ島の造成」に戻ってください。二人は、オノコロ嶋を作りました。次に、
「水蛭子と淡嶋の創生」に戻ってください。ここで、二人は、水蛭子と淡嶋を生んだとあります。
「これも亦、子の例には入れません」と書いてありました。
この意味が解明できたことになります。部下を派遣したか、しなかったかで古事記の作者は言い伝えを正確に表現したことになります。

これから後にも、初めて現れるところでは、詳しく状況を説明しています。
随分、先になりますが、有名な「天孫降臨」の場面があります。
ニニギノ命は、天児屋命らを従えて、「竺紫の日向の高千穂のくじふる嶺」に降りまさしめしと有ります。竺紫、日向、高千穂のすべてを地名捉えて翻訳するために、訳が分からなくなっています。
山の上降りたというのは確かですが、竺紫、日向、高千穂が揃ったところがありません。
この場面にいきつくのは 何時のことでしょうか? こじ付けでも構いません。竺紫の日向の高千穂というところの訳よりはましだと思います。 宿題にしておきます。  
【問題あり・淡道之穗之狹別嶋の前に子があります。他の島に子はありません。】

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