« 水蛭子と淡嶋の創生 | Main | なぜ 天武天皇は古事記と日本書紀を同時に作る気になったか »

2004.12.07

天之御柱とは どのようなものでしょう

記紀の訳本では、アマの、アメのミハシラと読んでいます。本当はどう読まれていたか判りません。しかし、アマと読むのと、テンと読むのとでは意味が違ってきます。そのことは、さて置いて、現在「御柱」が残っているところを眺めてみます。

大きく分けて二つです。
①天御柱神、国御柱神という神のなかにある「御柱」です。この神の別称は、志那都比古(級長津彦)神(シナツヒコノカミ)、志那都比売(級長津姫)神(シナツヒメノカミ)、級長戸辺命(シナトベノミコト)とあり、イザナギとイザナミの間に生まれた神とあります。
   「延喜式」の「龍田の風神祭」の祝詞によれば、崇神天皇の御代に龍田の風神が現れ、以来、大雨洪水による不作の年が続いた。どんな神が災いを招いているのか占いをした天皇の夢に現れたその神は、自らを天御柱神、国御柱神と名乗り、不作の災いを除くために龍田の宮を造って祀ることを要求したという。
   以上のことから、この神々は、風神で、国生みのころよりずっと、後に出現した神のようです。

② 御柱という言葉は、4つの神社で残っています。それについて、記してみます。
出雲大社 ・伊勢神宮・諏訪大社 ・貫前神社です。
(ア)出雲大社
出雲大社は、大社造りと称される社殿を有し、本殿の大きさは、10.9m四方で、高さは24.2mで、9本の円柱が、大きな屋根を支えています。その真ん中の柱を、心の御柱と呼んでいます。
この柱は、本来の柱としての役割を持っていますが、この柱だけを心の御柱、他の柱は、宇豆柱とよんでいます。本殿の中心となる柱には違いありませんが、この柱に神が宿っていると考えたのでしょうか?
(イ)伊勢神宮
こちらも心御柱と呼んでいます。長部日出雄著「天皇はどこからきたか」に、いろいろ調べた上で、伊藤ていじ氏の書物を借りて、次のように書いています。
【建築史家伊藤ていじ氏の、すこぶる興味深い論文『謎を秘めた伊勢神宮の建築」(旭屋出版刊)『伊勢神宮』所収)によって、それがどのような謎であるのかを説き明かしてもらおう。
じっさいに見た人が稀な「心御柱」は、檜の柱で、現在のものは内宮で長さ六尺、太さが九寸
、…。「九寸とはいささか太すぎるようにみえるが、とにかくそう風聞されている」と伊藤氏は
いう。】 ようは誰にも真相は判らないということでしょう。
心御柱を伐り出す「木本祭」は、神宮の域内で、夜間に行われ、それを建てる「心御柱奉建
祭」も秘事として夜間に行われる。すべて、非公開で、しかも、夜間にのみ行われるというのは、尋常ではありません。しか、伊勢神宮でもっとも、重要な行事といううわさになっています。
伊勢神宮は、20年ごとに遷宮されることは、有名ですが、現在たっている正宮の横に、前の社殿が立っていた所があります。次の遷宮の時の敷地(古殿地)になりますが、ここに小さな小屋が立っています。その名前を「心御柱覆屋」というそうです。中をうかがい知ることは出来ませんが、その名前からすると、御柱があるのでしょう。
一方、正殿の方のご神体の真下に、心御柱が、埋められており、別のデーターによれば、地上3尺3寸、地中は、2尺とあります。正殿は高床式ですから、見えるはずですが、見た記憶がありません。
こうなると、心柱は2本あることになりますので、調べておきますと書くもものの、きっと、判らないと思います。公開されないところを見ると知られたくないのだなと変に勘ぐってしまいます。
出雲大社と違うところは、柱の役割は全くないということです。
伊勢神宮は、建築様式は神明造りと言われ、他の神社では、使用することが禁止されています。しかし、丹後半島にある籠神社は神明造りで、心御柱もあるそうです。
(ウ)諏訪大社
  諏訪大社は、上社(本宮と前宮)と下社(春宮と秋宮)があり、それぞれに二つの社があり、合計4つの神社の総称です。各4つ神社の境内の4ヶ所に、直径1m、長さ16mほどの大木が立てられます。柱の建て替えは6年に一度です。
諏訪大社以外でも、御柱祭はおこなわれています。諏訪大社と同様に、申、寅の年におこなわれます。
立ケ花(穂崎神社)、柳沢(日高見神社)、北永江(永江神社)、上田市下之郷(生島足島神社) 
(エ) 貫前神社は未調査

諏訪大社は今年見る機会を得ましたが、柱を切り出すところから、柱を立てるまでお祭が延々と続くのですが、そのエネルギーには圧倒されました。町民全員が、祭りに参加する、しかも、祭りの準備は数年前から始まり、全国に散っている人々が戻ってくるエネルギーはどこからくるのでしょうか?
古事記に見られる天之御柱は、生活の出発点のように思えました。

日本書紀にも「御柱」のことは記されていますが、御殿を建てた後に、御柱を立てるようになっています。記紀が作られたときには、すでに、御柱の意味が判らなくなっていたのではないでしょうか?
古事記の作者は、その意味を知っていたのだと思います。日本書紀の作者は、尽く内容は同じようなことですのに、古事記と違うように書いています。ここは、順序を変えてはダメなところです。

イザナギが言った「あなにやし えをとめを」の「えをとめを」は、判りますか? 私は大阪
ですので、すぐ判りました。「ええおとめ」でしょう。「ええ」は「良い」です。
イザナギは関西弁の通ずるところに居たことになります。
(可愛川と書いて、「エノカワ」と読みます。可愛いをエエという言い方があることがわかる)

|

« 水蛭子と淡嶋の創生 | Main | なぜ 天武天皇は古事記と日本書紀を同時に作る気になったか »

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/18266/2178124

Listed below are links to weblogs that reference 天之御柱とは どのようなものでしょう:

« 水蛭子と淡嶋の創生 | Main | なぜ 天武天皇は古事記と日本書紀を同時に作る気になったか »