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2005.01.31

イザナギは中山王国の出身か

中山王国、聞かれたことがありますか? 地図を見て頂いた方が早いですが、地図をよう載せませんので、説明します。北京のすこし南西280Kmぐらいのところに石家荘市があります。そこから、西北40Kmのところに太行山がありその麓に平山県というところにあります。 
 http://homepage1.nifty.com/o-mino/page384.html
http://o-mino.la.coocan.jp/page157.html
上のアドレスに地図を掲載しました。

中山をどのように読むのか判りません。「チュウザン」でしょうか? 「ナカヤマ」ではないと思います。中山王国は、燕と趙と斉に囲まれた国です。左上に 「戦国時代地図」とあるように、戦争が頻繁に行われた時代です。前475年―前221年の辺りを云うらしいです。小さな国が、戦国七雄(秦、燕、趙、斉、楚、魏、韓)と呼ばれる国に、次々併合されていきました。中山大国は趙に滅ぼされました。前296年です。
この頃の私の知識は、燕、趙、楚という国名は、見たことがあるなという程度です。
そこで、文物展の冊子に説明文より、その大部分を拝借して、紹介しようと思いますが、文を書かれた方は、「劉来成」となっています。中国の方だと思いますが、中山大国の資料が少なくて、よく判っていないと書いておられます。
 そこで、私の考えを交えながら、紹介をすすめます。
地図のなかで、四角で囲まれた漢字は、国の名前のようです。全部一字です。中山王国だけが、二文字です。日本の県名は、二文字か三文字です。日本に似ているということです。インターネットで、「王国」で検索しますと、この外にもあるようです。そして、王国の前の文字が、二文字もありましたから、別に珍しいのではないのかも知れません。
しかし、地図に見られるような広大な国は、中山王国だけです。
冊子7ページより
《中山王国はもと中国の陜西北部にいた白狄人(ハクテキジン)が春秋戦国時代に建てたものである、と歴史家は一般に考えている。『世本』には、「中山の武公は顧に居し、桓公は霊寿に徙(ウツ)る」と書かれている。顧は現在の河北省の定県であり、霊寿は現在の石家荘地区かの霊寿県からあまり遠くないところにあった》・・・・・・《遊牧を生業とする白狄の部族が春秋時代に西北部から河北の北部に到達するともに、北から南に向かって発展し、保定や石家荘の一帯に定住して国家を樹立したのである》
《1974年から平山県の三汲公社一帯で、大規模な考古学的な調査・発掘を行った結果、戦国時代の王都であった霊寿城の遺跡と何代かの王陵を発見した》
この文章から見られるように、文章を書いている劉来成氏も、「歴史家は一般に考えている」というほどに、確かなことは判らないということです。発掘に携わった方ですら、このような表現になるほど、知られていない民族であるといえます。
 発掘は4年にわたって行われました。例に漏れず、この遺跡も盗掘にあっていましたが、19000点の文物が収集されました。
 予談ですが、それから、僅か7年後に東京国立博物館は、文物展を開いていますから、博物館の力は凄いなと思いました。
文物展とは聞きなれないものですが、出展されていたもののうち、中山王九鼎の一番目に「鉄足大鼎」があり、その胴の部分に、銘文が77行刻まれ、その字数は469字で戦国時代の銘文では最高のものです。三本足の鼎は、肉類を似た礼器で、周時代の礼制では、天子が使う鼎は九鼎と定まっていましたから、この「鉄足大鼎」は位の高い人が使用したことが判ります。
その他の遺物は、文字がありませんが、沢山のことを教えてくれます。私は残念ながら、
文物展は見ませんでしたので、冊子を古書店で買い求めました。出展それた一部が写真で公開されていますので、この写真から、考えたことを記します。

(1) 鉄足大鼎 ---鉄足とあります。三本足で、鉄製です。肉などの材料が入るところは、銅製です。別々に作って、上に置くだけですと、簡単ですが、融解温度の異なるものをつなぐのは、どうするのでしょうか。そんなもの簡単だと一言で終わる気もします。先に、下の部分を作って、完成してから上の銅の部分を作ればいいことになります。先日、NHKのテレビで、大阪の鋳物師(?) さんが、銅鐸の製作を試み、大騒ぎをしている映像がありました。銅鐸どころのものではないと思われます。技術か格段上と思われます。
(2) 銀製頭部男子像燭代台---青銅・銀   通高66.4 重11.6kg
これこそ 写真を転載したいのですが、したら叱られるでしょうね。男子の背の高さは、20センチぐらいです。両手を横にのばし、竜をつかんでいます。ロウソクを建てる部分は、二ヶ所で、左手の竜は、横にのびて、途中から首を上にもたげて、男子の肩の辺りに、燭台があります。横に伸びている竜を、その下で、とぐろを巻いているもう一匹の竜が、首をのばして、横に伸びている竜を支えています。
右手の竜は、昇っていき灯柱に繋がりますが、そこに猿がいて、竜と戯れている構図になっています。最上階は、お皿の状態になっていて、そこにローソクが立てられます。男子頭部は、銀製ですが、髪、顔、着ている着物、宝石をはめられた目など、本当に精細に作られています。
(3) 十五連盞燭台
  全体は樹枝状に作られており、其の枝の先にロウソクを立てるようになっています。高さは80cmの小さなものなのに、その枝の上に、鳥が止まっていたり、数匹のサルが戯れています。中心と幹には龍。下にはサルにえさを与えている人がつくられており、サルには表情が見えますから、素晴らしいものです。日本では、銅鐸に線で鹿が描かれていると注目されていますが、文化の差を感じさせます。
(4) ? 龍形黄玉佩 (?の字は 草カンムリ+ナベブタ+真ん中に 百 左に正、右に犯の右の部分+その下に 変の下の部分  クイと読むらしい?)
 黄玉。長さ6.1 幅2.8 重さ9g
身をくねらせる龍。両面は雲文で飾られる。背に綬にかける孔がある。
古事記に、「御頚珠の玉の緒もゆらに取りゆらかして」という部分がありましたが、
上のようなものも、黄玉ということを知っていただくために掲載したかったのですが、写真をよう載せません。 黄玉佩とあります。

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