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2005.02.05

イザナギは中山王国の出身か  その2

(5)編鐘 14点 周王朝の礼楽制度を取り入れたらしい。14個の編鐘は、小から大まで、すべて大きさが異なり、吊るすようになっている。

(6)黒色陶器 ---容器です。形は鼎、豆、壺、碗などですが、使われていた食器を模倣して死者の持ち物とした工芸品です。特徴は、表面を漆で塗ったように黒光りをし、装飾された模様は複雑で黒色陶器のなかでも王様であると解説されています。

(7)金銀製首輪の猟犬骸骨 2体
 シェパードぐらいの大きな犬で、埋葬者の愛犬であろうか。中国王国の犬は,北犬といわれ有名であったらしい。

以上、図録のうち、イザナギと関係ありそうなものだけ、ピックアップして見ました。
以下、どのように関係あるのか記してみます。
(1) すべて銅で作る。また、鉄で作るのは、難しいことではないと思います。融点の異なる物質をつなぎ合わせるのは高等技術だと思います。それ故に、日本にやってきた他の民族のリーダーになれた。
(2) 銅鐸に書かれた絵がどうして、幼稚なのか理解に苦しむほどですが、この作品では、猿などは生き生きと作られています。図録の説明では、龍が二匹いるように書かれていましたので、そのように書きましたが、写真で見る限り、蛇と思われます。蛇を大切にしていたと思われます。ヒルゼン高原には、大蛇、蛇ヶ乢、加勢蛇川とあまり地名になじまない蛇地名があります。
(3) 三匹の虎がいます。日本には、虎はいませんから、虎の名前がつく地名は特別なものです。徳島県神社誌を調べますと、熊野神社が多いことがわかります。この周辺にイザナギの部下が派遣されました。初めての土地に行きますと、一番に高い山に登りますと、全体が判ります。一番に白狄人は、剣山に登って測量をしたでしょう。四国が4つの部分からなることを知り、そのことが古事記に記されています。測量の結果、真東にある山に、虎ヶ峰と名前を付けました。虎ヶ峰は剣山と熊野本宮を結んだ線上にあります。同じ線の上に高尾山(イザナギ一族の目印の山・きれいな三角の山)があります。この線上だから、虎の名前を付けたのでしょう。
(4) 黄玉佩には緒を付けるようになっています。古事記には、イザナギが着けていたことになっています。日本の墓からは、所謂玉が数珠のように繋がって、多数出土していますが、転載したものは、龍ですが、外に、人物・蛇・蛙・亀・虎・蝉・蚕・鳳の透かし彫りの玉器が沢山出土し、きわだった特色だと書かれています。
(5) 編鐘 14点は、14個であるところが、気になりました。現在の音楽は、ドレミファソラシと7つの音で成り立っています。明らかに、その倍の数です。形はやや異なりますが、銅鐸は、現在祭祀に使われたとの意見が主流を占めていますが、銅鐸が、14個で出土したところは、日本でも二ヶ所ありますから、大いにイザナギ族と関係があるように思われます。犬の生理は、7の倍数が関係あります。7で発情が始まり、14で終了。63で生まれます。犬の好きな白狄人は、当然知っており、その正確さには驚いていたでしょう。人の生理も7に関係がありそうです。彼等が、仏教を知っていたかどうか判りませんが、死んでからでも、7が関係してきます。
7は動物が、本来持っている正しいリズムかもしれません。
(6) 黒色陶器は、中山大国の特産物ではないそうです。
  解説書には、「原始社会の晩期の山東龍山文化遺跡からは、表面の黒く光る胎質の薄い一種の黒陶が出土している。河南省輝県の戦国時代の墓葬からも一群の黒陶器が出土した」とありますが、全く同じものかどうかわかりません。中山大国のそれは、美しい形、高い芸術性、精細な装飾文様がいずれのものより優れていると書いています。
  解説書では、制作課程も詳しく書かれています。ただ、問題は、「・・・それを更に加減し煙でいぶし焼きして制作したため、この種の陶器の表面は漆のように真っ黒くて光っている・・・、」とあります。いぶしたら、黒光りがするかもしれませんが、表面だけでしょう。割った中を知りたいものです。
  漆は実際に塗られていたのではないかとか知りたいことはいっぱいですが、それよりも大切なことは、これと同じものが、日本にもあるということです。
   津軽の亀ヶ岡遺跡と八戸市の是川の歴史資料館と南郷村の個人の資料館に存在します。こちらも、実物は見ていませんが、写真で見る限り、中山大国のものより、色が薄いですが、黒色陶器です。
  こちらは、葦の腐植土でできた土でつくると黒い陶器が出来るそうです。
  田村誠一氏は、イザナギが、中山大国から移民であるというだけでなく、津軽に住んでいた縄文人が、忽然と居なくなったときと、中山大国が建設された紀元前530年がほぼ、一致するから、縄文人は中国に移動し、遊牧生活をした後、中山大国のところで定住したと述べています。あまりにも、突拍子な考えですが、楽しいストーリーだと思います。それゆえ、「中山」という日本名となっていると。
(7)  金銀製首輪の猟犬骸骨です。 ペットブームの日本ですが、金銀の首輪をつけている犬はいるでしょうか? 犬が好きだったイザナギ一族は、あちこちに、「犬」がつく地名を作っていきました。隠岐には犬来と犬町。ヒルゼン高原には犬挟峠と犬畑。高原で最高峰の毛無山と同じ緯度で、近江の犬上郡があります。ここは、イザナギが、住んだところで、多賀神社があります。イザナギにとって、第二の都でした。   

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