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2005.02.26

妻木晩田遺跡

No46
妻木晩田遺跡は、紀元前から出来始め、卑弥呼の時代ころまで栄えた遺跡と考えられています。古墳時代前には殆ど生活の形跡が見られなくなります。位置は鳥取県大山町と淀江町にまたがる晩田山丘陵全域です。現在全体の10分の1ぐらいの発掘が進んでいます。
発掘状況
平成12年 
① 環壕の内側の壁を高くするための工夫、土盛り発見。2000年前に作られた。
② 約1900年前には、環壕が埋まっていた
平成13年
① 竪穴住居跡--最盛期を迎える弥生時代後期後半(1900~1800年前)のものと考えられます。
② 環濠 --弥生時代後期後半(1900~1800年前)には、すでに窪地のような状態になり、ゴミ捨て場となった。多くの遺物(土器や石器)が出土。
平成14年
① 弥生時代後期中葉から後葉(約1900~1800年前)の家の跡が9棟。
② 縄文時代の落とし穴
平成15年 平成16年 不明

地域別発掘状況
妻木山地区では、紀元前後から約300年の間に造られた竪穴住居跡156棟、高床倉庫とみられる掘立柱建物跡など217棟。妻木晩田遺跡全体でみつかっている建物跡の約1/3にあたることから、この遺跡が最盛期だった時代の生活の中心的な場所?
洞ノ原地区西側丘陵(標高約90m)の頂部を円形に取り囲む大きな空堀。弥生時代後期初頭(1世紀中頃)に掘られたと考えられています。
洞ノ原東側丘陵(標高約110m)には、弥生時代後期初頭(1世紀)~後期中葉(2世紀前葉)にかけて造営された25基の墳墓発見。このうち山陰地方特有の四隅突出型墳丘墓とわかるものは11基確認。
仙谷地区 四隅突出型墳丘墓2基を含む7基の墳墓発掘。弥生時代後期前葉(2世紀前葉)~後期中葉(2世紀中葉)に造営。貼り石をもつ方形の墳丘墓である仙谷3号墓からは、20基の埋葬施設が見つかる。
妻木新山地区 竪穴住居跡88棟、高床倉庫とみられる掘立柱建物跡などが152棟が見つかる。
松尾頭地区 弥生時代中期後葉(紀元前1世紀後半)の竪穴住居跡が見つかっています。中国製の青銅鏡の破片が出土。
松尾城地区 2世紀後半の竪穴住居跡から青銅鏡の紐の破片が出土。

どのような人たちが住んでいたか考えてみます。
① 青谷上寺地遺跡と違うところは、丘陵地帯であるので、稲作には適しません。水田の遺構は現在のところ見つかっていない。
② 四隅突出型墳丘が見つかっているところから、青谷上寺地遺跡の人たちと違う人たちと思われます。
③ 環濠が深いので、攻められることに気を使ったが、深さが浅いのと空堀であるので、攻撃をあまり受けなかったのではないでしょうか? 弥生後期には、必要なくなったようである。しかし、環濠の形は、吉野ヶ里遺跡と同様のⅤ字形である。
④ 鏡が出ていないので、漢人ではないようである。
⑤ 松尾頭地区から弥生時代中期後葉(紀元前1世紀後半)の竪穴住居跡が見つかっていますから、唐王に住んでいたスサノオと同じ民族かもしれない。
馬の骨が出土すれば、可能性は大きいが、人骨・動物の骨の報告はありませんから、断定は出来ません。

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