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2005.03.05

ウケイ(誓約)で判断 その2 

N051
天照大神は、スサノオの十拳剣を三つに折って、口の中に入れて噛み砕いた。スサノオは、天照大御神の左の御角髪にある八尺の勾聰の五百箇の御統の珠を口に入れて噛み砕いたとあります。また、右の御角髪に纏かせる珠を噛んで生まれたのが五人の男子です。
どうして、お互いのものを食べなければならないのか、すっきりしません。
場所は天安河だと書いてあったのに、剣を洗ったのは、天の真名井です。塩釜の地下水が噴出しているところです。吹き棄つる気吹のさ霧とは、どのようなことを云うのでしょう。勢いよく吹いたということでしょうか。そうすると狹霧となったというのです。剣をいくら噛み砕いても霧状にはなりません。狹霧は、ものすごく細かい霧ということでしょう。孫悟空のようにその細かいものが、多くの孫悟空のクローンと化したというのであれば、判りますが、五人の男子に生まれ変わったとは、神話にしても意味が通りません。
 ここは、日本書紀の作者は古事記に書かれていることの意味が判らないので、男子が生まれた方が勝ちと付け加えて、意味が通るように書き換えたのでしょう。
現実的なことで、どのようなことが考えられるかといいますと、
天照大神は、スサノオの剣を手にして、霧の濃い中で、「さあさあ、集まってください。私の持っているものをほしい人は」と言って、口笛をふきました。すると集まってきたのは、三人の女子でした。同じく、右の御角髪に纏かせる珠と御統の珠を手にして、「さあさあ、集まってください。私の持っているものをほしい人は」とスサノオが言いますと、五人の男子が集まりました。
そこで、天照大神は、私の勝ちだといいました。何故かといいますと、集まった五人は、私の持ち物である珠がほしくて集まったのだから、私の子供だといいました。

そこで、スサノオは自分の方が、人数が多かったのだから、私の勝ちと思ったのに、天照大神が五人は私の子供だというので、怒って大あばれをしたというストーリーでないと神話にもなりません。スサノオが勝ったなどと何処にも、書いてありません。スサノオが勝ったのであれば、「私のほうが正しかったでしょう」と言って、帰るのが普通です。
普通は、子供が生まれるときは、男女の数は、半々です。なのに、上手く女子三人と男子六人に別れたのもおかしなことです。どちらが勝つか負けるかは、力が強いか弱いか、頭が良いか悪いか、人数が多いか少ないかなどが、普通の考え方です。男子が生まれた方が、勝ちとなると、此の当時は、男子の方が、少なかったから値打ちがあつたとか、当時の社会は男子中心の社会であったなどの屁理屈を述べなければなりません。

そんなことより、大切なことは、古事記の作者は、此の部分で何が言いたかったのだといいますと、
① 三人の女子とは
  多紀理毘売命は、胸形の奥津宮に坐す。
市寸島比売命は、胸形の中津宮に坐す。
 田寸津比売命は、胸形の辺津宮に坐す。
名前とおられる場所を書き残すためでしょう。 この三人は、稗田阿礼が、この近辺の神社を調べたら、祀られていたのでしょう。
 五人の男子は
  正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命。
天之菩卑能命
  天津日子根命
  活津日子根命
  熊野久須毘命
です。同じく、この五人も祀られていたのでしょう。
この八人の名前を使って、神話を作ったことになります。
日本書紀の作者は 意味が判らないので、辻褄があうように物語をかえました。古事記の真似と思われてはいけませんから、この八人の名前は、すべて漢字を変えました。
どのようにしたか、ご覧ください。

多紀理毘売命(古事記) -----田心姫、田霧姫命
田寸津比売命-------------湍津姫
市寸島比売命-------------市杵嶋姫

 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命------正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊
天之菩卑能命-------------------天穂日命
  天津日子根命-------------------天津彦根命
活津日子根命-------------------活津彦根命
  熊野久須毘命-------------------熊野櫲樟日命

どのように読むかといいますと、多分、同じだと思います。同じにしておけば、で何処は同じと読むほうは思いますのに、これだけ徹底して変えたということは、神社のほうに伝えられている祭神名も日本書紀と同じように書き換えたと思います。(この件は、後日調査しようと思います) それだけ、古事記の話を取り入れているのに、同じにしたくなかったということは、どのように理解したらいいのでしょうか。

② この三柱の神は、胸形君等のもち斎く三前の大神なり。
此の部分がわかりません。三前は三崎、御崎、岬いろいろあります。 やはり 「ミサキ」と読むのでしょう。他は宿題です。

③ 天菩比命の子、建比良鳥命、こは、上菟上国国造、下菟上国国造、伊自牟国造、津島縣直、近江国国造等が祖なり。
次に天津日子根命は、凡川内国造、額田部湯坐連、倭田中直、山代国造、馬来田国造、道尻岐閇国造、周芳国造、倭淹知造、高市縣主、蒲生稲寸、三枝部造等が祖なり。

私は③の部分が最も、大切な所だろうと思います。なぜかと云いますと、この同じ部分が日本書紀ではどのように書かれているかといますと、
天穂日命—出雲臣・土師連たちの祖先である。
天津彦根命—これは凡川内直・山代直たちの祖先である。

出雲臣と出雲国国造とは、どのように違うのでしょうか。出雲臣が出雲国の国造になったのであれば、同じことですが、国造は地方の高官です。現在で云えば、知事みたいなものでしょうか。
古事記の作者にしてみれば、地方の国造は、それぞれ天つ族であると好き勝手に吹聴しているとでも言いたかったのでしょう。皆さん、そうではありません。出雲国国造、上菟上国国造、下菟上国国造、伊自牟国造、津島縣直、近江国国造等は、建比良鳥命の系列なのですよ。ウケイのときに集まってきた人たちですよと駄目押しをしたのだと思います。日本書紀の作者は、全部削除するのは、気が引けたのか、地方のことはなにも載せていません。天穂日命は出雲臣・土師連たちの祖先であるとだけ記しています。

以上が、古事記の作者が是非とも言っておきたかったことですが、今度は、私が付け加えて起きます。
日本書紀は天穂日命が出雲臣の祖先だと記していますが、古事記では天菩比命の子、建比良鳥命が、出雲国国造の祖先だと記しています。ということは、建比良鳥命(タケヒラトリ)の親が天菩比命(アメホヒノミコト) です。この天菩比命は、天(アメ)ガ付いていますから、天孫族だとおもっていました。天照大神が、大国主命(オオクニヌシノミコト)に豊葦原中国を明け渡すように交渉する役として、派遣した神です。古事記には、「すなわち大国主神に媚び附きて、三年に至るまで復奏(カヘリゴトマヲ)さざりき」とありますから、大国主命の味方について戻りませんでした。この話は紀元前の話ですが、今(古事記編纂時)では出雲国国造は、天菩比命の子、建比良鳥命の子孫がやっていますと。気に入らないのでしょう。皆さんだまされてはいけないのですよと言いたげです。
 建比良鳥命が漢人であることは、小野妹子が遣隋使として派遣されて時のことを書いた遣書にも伺えますが、国内資料としては、天武天皇4年4月14日のところに、「外国の人で官人として出仕しようと思う者は、臣、連、伴造の子、および国造の子ならば許すこととする」とあります。私が使っている現代訳本の「日本書紀」井上光貞は、「とつくに」と振り仮名をして、(京・畿内以外の国)と書いていますが、周りの人が、中国人で締められていたのですから、「外国」をわざわざ、 (京・畿内以外の国)と断らなくても、外国(ガイコク)でいいと思います。勝手に自分の都合の良い出自を述べるものも現れたであろうから、815年に「新撰姓氏録」という本が編纂されています。 しかし、成績がよければ良いというのが、天武天皇の4年の記事です。

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