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2005.03.23

イザナギの墓 その2

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左上が明石海峡です。海岸から少し入ったところに国道2号線。その右に、電車が2本走っています。国道2号線と電車には、2mほどの段差がありますから、昔は国道のところは海だったと思われます。墳墓は大きすぎて、後円部しかカメラに収まりません。
この大きい天皇級の墳墓が誰の墓か判っていません。兵庫県では最大の前方後円墳です。神戸市は、10億円もかけて、築造当時の姿に復元しました。誰の墳墓かわからないから可能になったことです。写真に写っていませんが、10cm大の丸い川原石が、葺きつめられています。その数、2233500個と推察されています。是ぐらい大きい古墳ですと、多くは宮内庁の管理下にあって、元の姿に復元などとんでもありません。墓の上に登ることすらできませんが、ここは登ることが出来ます。写真が小さいので、見えませんが、2200個の埴輪が並べられています。墳丘は三段に作られていまして、各段の境に並べてあります。頂上は円形になっていますが、その周囲に埴輪があります。
 No57をもう一度見てください。出土品が僅かしかありません。詳しい発掘状況はわかりませんが、概要を記した冊子には、石室が発見されたとは書いてありません。石室は、有るかも知れませんし、無いかも知れません。どうして、築造が4~5世紀と決定されたか判りませんが、大型の前方後円墳は、この頃が大部分だから、そのようにされたのかも知れません。ある本に、ここから14個の銅鐸が出土したと書かれていましたが、神戸市発行の冊子には、書かれていません。銅鐸はあったが、紛失してしまったのか、初めから無かったのか知る術がありません。
 さて、話題は全く別のものになります。
日本書紀に、仲哀天皇の死に際し、カゴ坂王・忍熊王が謀りごとをしたという記事があります。『新羅を討たれた翌年二月、皇后は群卿百寮を率いて、穴門の豊浦宮に移られた。天皇の遺骸をおさめて海路より京に向かわれた。そのときにカゴ坂王・忍熊王(仲哀天皇の御子)は、天皇は亡くなられたし、皇后は新羅を討たれ、皇子が新たに生まれられたと聞き、密かに謀っていうのに、「いま皇后は子があり、群臣は皆従っている。きっと共に議って幼い王を立てるだろう。吾らは兄であるのに、どうして弟に従うことができようか」と。そこで偽って天皇の為に陵を造るまねをして、播磨に行き山陵を明石に立てることとし、船団をつくって淡路島にわたし、その島の石を運んだ。人毎に武器を取らせて皇后を待った。』と。
仲哀天皇の墓ですから、大きさから見て不足はありません。又、明石とありますから、これ以外にはありません。カゴ坂王・忍熊王の反逆のことは、古事記にも書かれていますが、古墳を築いたとはかいてありません。その作戦の一つとして、五色塚古墳をつくると称して、カムフラージュに利用したとすると、本当のお墓で無いから、出土品が無いのは、うなづけます。意外と本当の話かもしれません。古事記は、天皇家の醜い争いのことは書きたく無かったのかもしれません。真実はわかりませんが、仲哀天皇の墓と言われているものは、大阪府藤井寺市に存在します。何分、カムフラージュですませるような大きさのものではありません。
 古事記のむこうを張って、日本書紀の作者は作り話をかいたのではないでしょうか。
そうだとしますと、この墳墓はなんだとなります。仲哀天皇のおられたのはいつか判りませんが、350~390年頃となっています。日本書紀が出来たのは、720年ですから、この時には、すでに、五色塚古墳は存在したが、全く誰の古墳か判らなかったと思われます。日本書紀は、その後、神功皇后は明石を通らずに難を避けて、和歌山の方へ廻りますが、船がぐるぐる廻って進めなくなりましたので、武庫の港へ行って占いますと、天照大神が教えていわれるのに、「わが荒魂を皇后の近くに置くのは良くない。広田国(摂津国広田神社の地に置くのがよい」と。山背根子の女、葉山媛に祭らせた。また稚日女尊(天照大神の妹)が教えていわれるのに、「自分は活田長峡国(摂津国生田神社)に居りたい」と。それで海上五十狭茅に祭らせた。また事代主命が教えていわれるのに、「自分を長田国(摂津国長田神社の地)に一祠るように」と。葉山媛の妹の長媛に祭らせた。表筒男・中筒男・底筒男の三神が教えていわれるのに、「わが和魂を大津の渟名倉の長峡に居さしむべきである。そうすれば往来する船を見守ることもできる」と。そこで神の教えのままに鎮座し頂いた。それで平穏に海をわたることができるようになった。
 と記し、広田神社、生田神社、長田神社、住吉神社の誕生の経緯を述べています。

うらを返せば、広田神社、生田神社、長田神社、住吉神社は、720年には存在していましたが、どのような縁起があるのかわからなかったのだと思われます。何もかも、一気に解決なるように、日本書紀の作者は、この物語を作ったと思われます。
肝心のイザナギの墓のことは、一言も述べずで、紙面を費やしましたので、次回にします。 

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