« 魏志倭人伝を読む  No12 他の諸国 | Main | 古事記を読む  速須佐之男命の大蛇退治 その2 »

2005.04.07

古事記を読む  速須佐之男命の大蛇退治

No62 速須佐之男命の大蛇退治
又、須佐之男命の有名な神話の部分です。少し長いので分けて解読です。
故所避追而。降出雲國之肥(上)河上在鳥髮地。此時箸從其河流下。於是須佐之男命。以爲人有其河上而。尋覔上往者。老夫與老女二人在而。童女置中而泣。爾問賜之汝等者誰。故其老夫答言。僕者國神。大山(上)津見神之子焉。僕名謂足(上)名椎。妻名謂手(上)名椎。女名謂櫛名田比賣。亦問汝哭由者何。答白言。我之女者自本在八稚女。是高志之八俣遠呂智【此三字以音】毎年來喫。今其可來時故泣。爾問其形如何。答白。彼目如赤加賀智而。身一有八頭、八尾。亦其身生蘿及桧榲。其長度谿八谷峽八尾而。見其腹者。悉常血爛也【此謂赤加賀知者今酸醤者也】

さて、追放されて、出雲國の肥の河の上流の鳥髮の地に降りました。この時、お箸が河を流れ下ってきました。そこで須佐之男命は、其の河の上流に、人がいると思って尋ね覔(モ)とめて上って往くと、二人の老夫と老女がいて、二人の仲に童女を置いて泣いていました。「汝等は誰か」と問われますと、其の老夫が答えて言うには、「僕は國の神です。大山津見神(オオヤマツミノカミ)の子ですよ。僕の名は足名椎(アシナズチ)と謂(イ)う。妻の名は手名椎(テナズチ)と謂う。女(ムスメ)の名は櫛名田比賣(クシナダヒメ)と謂います」 亦、問う「汝は何の理由で哭(ナ)いているのか」。 答えて白(モ)して言うには、「私の娘は、元八人の幼い子がいました。そして、高志(コシ)の八俣(ヤマタ)の遠呂智(オロチ)が毎年来て喫(ク)ってしまいました」「今が来るときなので泣いています」と。 その形は如何かと問いますと、「その目は赤加賀智(アカガチ)の如くで、身が一つなのに、頭が八つあり、尾が八つあります。 亦、身体には蘿(コケ)と桧と榲(スギ)が生(ハ)え、その長さは八つの谷峽と八つの尾根に度(マタ)カがっています。其の腹を見れば、どこもかしこも血で爛(タダ)れています」【此に赤加賀知と謂(イ)うのは、今の酸醤(ホオズキ)なり】  以上が、私の翻訳です。
出雲國の肥の河の上流の鳥髮の地とあります。肥の河は、斐伊川のことでしょう。(日野川かもしれません)どんどん登っていきますと、大呂(島根県横田町)に着きます。この近くに船通山(1142m)の麓に、鳥上(トリガミ)があります。これが古事記にある鳥髮と思われます。手元の大まかな地図では、大呂は六本ぐらいの道が集まっていますから、その当時は、八つぐらいあったのでしょう。古事記では、【高志之八俣遠呂智】と書かれている【八俣遠呂智】が【八俣の大呂】であることが判ります。
古事記のどこを読んでも大蛇とは書いてありませんのに、いつの間にか大蛇となり、大蛇退治になっています。「大蛇」を「オロチ」と読むようになったのはいつ頃からなのでしょうか。このように眺めてきますと、地名「大呂」は、その時代からあったと思われます。
稗田阿礼は、やはり横田町の大呂も訪れたと思われます。そして、スサノオがここの製鉄所を襲撃した話を聞いたのだと思います。その製鉄所は跡形もなく、全山が製鉄工場のようになっている話を聞いたのだと思います。この製鉄所は、踏鞴製鉄より進んでいたと思われますが、稗田阿礼が行ったときは、それを守る者はなく、過酷な製鉄所に嫁ぐものは無いため、略奪結婚が行われていたと考えられます。素晴らしい推理ですが、これは、私の物ではなく、田村誠一氏の推理です。
氏の推理をそのまま、続けます。
ここの製鉄所の構造を説明します。山の中腹に胴体が一つあります。その胴の上には、八つに分かれた煙突状のものがあります。一番上には、目のように見える真っ赤なホオズキのようなものがありました。ここから、温度を知るため、中の様子をみたのでしょうか?
加賀智は出雲の方言で、すり鉢のことですので、すり鉢状になっていて、そこから、炎が噴出していたのかも知れません。 胴の下にも、八つの部分があり、恰も尾のようでした。山ですから、その背に当たるところには、コケが生え、杉や桧が生えていました。お腹の部分は見ることは出来ませんが、血が出て、真っ赤に爛れているようになっていたでしょう。
陶器を焼く釜に、登り窯というのがあります。山の傾斜に窯を作り、高温を作り出す装置です。登り窯には、八つの頭も八つの尾もありませんが、この製鉄所はあったのでしょう。
コケや杉や桧が生えているのですから、地中深く、穴が開けてあったのではないでしょうか? 溶鉱炉に当たる部分は、上の方でしょう。上に行くほど高温になったのではないでしょうか? そして下の八つの部分から、鉄が流れ出てきたのではないでしょうか。
地中深くから、この製鉄所が発見されるかもしれません。
ここの人たちは、素晴らしい品質の鉄を生産していたと考えられます。この鉄を使って、素晴らしい切れ味の良い刀を作り、腰に下げていました。この後、古事記は続きますが、スサノオは、彼らをやっつけ、その刀を取り上げます。この刀が草薙の太刀と呼ばれるものです。現在でも、この辺りで作られる鉄は、日本刀にされています。
鉄を作るためには、膨大な木や炭が必要です。これを運ぶために、川が使われ、そしてそこを船が通りましたので、山の名前に、「船通山」が付けられました。少し、調子が良すぎるでしょうか? 地名はその場所で利用する人が誰にでも判るように付けますから、案外合っているかもしれません。
話変わって、地名「大呂」ですが、下記のように五ヶ所確認しています。

県 町名 東経 北緯 標高
1 島根 仁多郡横田町 133-07 35-11

2 島根 簸川郡佐田町 132-42 35-12

3 鳥取 八頭郡智頭町 134-17 35-16

4 京都 中郡峰山町

5 京都 福知山市 135-05 35-21-41.5 107m

あたかも、北緯35度11分~21分の間に、鉱脈があるかのように、「大呂」は並んであります。福知山市は、現地にいってきました。大呂に住んでおられる加藤さんにお話をお聞きしましたところ、昭和の初め(?) 田に鉄分の多い水が流れこみ、護岸をして流れを止めようとしたが停まらなかったとの話を聞きました。その辺りと思えると所を探しましたが、判りませんでした。中郡峰山町は現在でも、鉄ではなさそうですが、鉱山があり会社も存続しているようです。 

|

« 魏志倭人伝を読む  No12 他の諸国 | Main | 古事記を読む  速須佐之男命の大蛇退治 その2 »

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/18266/3599188

Listed below are links to weblogs that reference 古事記を読む  速須佐之男命の大蛇退治:

« 魏志倭人伝を読む  No12 他の諸国 | Main | 古事記を読む  速須佐之男命の大蛇退治 その2 »