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2005.06.18

古事記を読む  少名毘古那神 よもやま話

No98
① 大国主と少名毘古那神の二人を一緒に祀った神社は、東北から四国までで70座ほどあります。これをどのように考えたらいいのでしょう。少名毘古那神が外国からやって来たときに、ラマ船にのって、鵞鳥の羽を使った服をきたと考えましたが、鳥の羽は利用できますが、なめして皮にしますと、毛が抜けてしまいます。蛾の皮を蚕の繭と考えますと、諸国を歩いて養蚕と稲作を広めたことになります。
 水戸の大洗海岸の大洗磯前神社。酒別磯前神社。山形県の出羽三山神社。米沢市の一宮神社などに、二人が祀られています。
② 大洲市に少名彦神社があります。次の由緒が書かれています。
  「肱川を渡ろうとされた少彦名命は激流にのまれて溺死された。土地の人々が『みこがよけ』の岩の間に骸をみつけて丁重に「お壷谷」に葬った。その後御陵を設けてお祀りしたのがこの神社である。少彦名命は医学・養蚕・酒造等の神様で県下は勿論のこと高知県、九州方面から参拝者も多い。命の神体を祀ってあるところは全国に多数あるが終焉の地は当地といわれている」
① で養蚕を書きましたが、この由緒には、医学と酒造もあります。これはどこからわかるのでしょう。日本書紀も古事記にも書かれていないことです。
③ 出雲風土記に二人で飯石郡多彌郷に巡回してきて、稲の種を播いたとあります。陸稲を広めたのでしょう。
④ 三輪神社 西伯郡大和村大字小波字東岡畑(旧表示)に、大物主命と速須佐之男命と少名毘古那命が祭神です。すべて大国主神と関係ある人達です。どれぐらいの期間かわかりませんが、この土地と関係があったと考えてもいいです。
⑤ 配志和神社--中里字根岸九番地 旧奥州街道沿(ホームページ 小野寺啓氏作より )
  天明六年(AD1786)九月、菅江真澄の「はしわのわかば続」には、配志和神社の天孫降臨の祭礼の事が書かれている。その中に『根岸という処にお着きになると、少彦名の神がお出迎えになって、こうしてどんどんお進みになり、お帰りの道でも少彦名の神がお送り申し上げる』とある。小野寺氏は、次のように述べておられます。「県神社庁登録八五九社中で少名彦神社を名乗っているのは、ここだけである。この神が合同されているのは、四十二社(うち、主神六社)土地神・氏神の社に多く、国土・領内鋳護と薬師神社のように、病気療養の神として祭られている」
⑥ 大阪の道修町にある少名彦神社は、薬の町の守り神です。神農さんと呼ばれ、今は11月の22日と23日にお祭が行われます。お祭では、笹に張子の虎を頂くことになりますが、江戸時代に流行ったコレラと関係があるそうですが、何故虎なのか判りません。薬の神さん・範囲を広げて医学の神さんということでしょうか?
⑥ 出石神社---兵庫県高砂市阿弥陀町生石171 
祭神---大穴牟遲命、少毘古那命  
祭神を大国主神と書かずに、大穴牟遲命と書かれています。式外社。巨大な石造物が御神体。『播磨国風土記』の印南の郡大国の里の條に出てきます。

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