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2005.09.18

古事記を読む  猿田毘古神

No137
原文 
爾日子番能迩迩藝命將天降之時。居天之八衢而。上光高天原下光葦原中國之神於是有。故爾天照大御神、高木神之命以。詔天宇受賣神。汝者雖有手弱女人。與伊牟迦布神【自伊至布以音】面勝神。故專汝往將問者。吾御子爲天降之道。誰如此而居。故問賜之時。答白。僕者國神。名猿田毘古神也。所以出居者。聞天神御子天降坐故。仕奉御前而。參向之侍。
翻訳
 ここに日子番能迩迩藝命將、天降りする時、天の八衢(ヤチマタ)に居て、上は高天原を光(テラ)し、下は葦原中國を光らす神 是れに有り。故ここに天照大御神、高木神の命を以(モ)ちて、天(アメ)の宇受賣神(ウヅメノカミ)に詔(ノ)りたまわれた。「汝は手弱女人(タワヤメ)で有ると雖えども、伊牟迦布神(イムカフカミ)と面勝神(オモカツカミ)なり。故 專(モ)はら汝往(イ)って將に問う、『吾が御子の天降りする道を 誰ぞ此の如くに居る』ととへ。」とのり賜いました。
故 問い賜いし時、答えて白しました。「僕は國つ神。名は猿田毘古神也。出で居る者所以(ユエ)は、。天つ神の御子天降り坐すと聞いた故に、仕奉御前に仕え奉てまつろうと、參い向え侍ぶらう」と。

考えたこと
①「故爾天照大御神、高木神之命以」この部分が重要です。迩迩藝命が降臨する現場にいないのに、どうして、天照大御神、高木神が判ったのか不思議ですが、天宇受賣神に聞きなさいと命令しています。その場所にいないときは、このように間接的に命令しています。では、どこにいたのかと言いますと、福知山へ行っていたはずです。
五人のお供の中の宇受賣神に依頼しました。宇受賣神は天岩戸の前で、踊った神です。この時の役目と今回とはつながりがありません。
②「居天之八衢而」八は数が多いときに使われますが、実際に八つに道が分かれているところがあるのかもしれません。これを指摘できれば、いよいよ、高天原と降臨の地・高千穂が確定できますが、スサノオが、八俣の遠呂智を退治したところが、横田町の八方に道が通じていた八俣でしたから、同じ「ヤマタ」ですから、単に道が分かれていて間違いやすいので、道案内に来たと受け取ってもいいかもしれません。
③大勢に関係ありませんが、天の宇受賣神は、手弱女人ではあるが、伊牟迦布神と面勝神の両方の性格を持っているので、適任者だと判断されたことになります。どのような性格でしょうか?
④猿田毘古神が重要人物ですが、だれの説を読んでもなるほどと思われません。私は仮定の話しですが、上は高天原を光(テラ)し、下は葦原中國を光らす神 とありますから、光と大いに関係があって、天津神ではないことは確かです。光輝きながら現われた人が外にもいます。それは大物主神です。この神も正体不明のところがありますが、奈良の大神神社の祭神で、崇神天皇のときにも天皇の上に立ち、命令を下しています。
私はユダヤ人だと思います。ユダヤ人は神武東征のときにも、天皇の応援をしています。ユダヤ人は、常に自分の居る位置を知る方法をもっていたのと、お金として当時通用していた絹を持っていました。 
田村誠一氏は、やちまたの様子を次のように表現されています。
「やちまたで高天原や葦原の中ツ国を原の中ツ国を猿田彦が光らしていました。が光らしていました。これは鏡を利用して通信が行われていたことです。古代に現代人が創造もできない、通信網が全国に出来ていました。この問題を解く一つの鍵が鉄を鍛えて作った鏡の利用と考えられます。
ここに出てくるやちまたは道が各方面に分かれている所で、れに該当する所は鏡成(カガミナル)です。道を間違わないために、原の中ツ国を猿田彦が光らしていました。が道案内を引き受けました。
これから一行は蒜山高原の明連川を遡り、鏡成を経由して高千穂に下ったことが分かり
ます。一行は天の浮橋すなはち雲海が出ている、早朝に出発し明ッ神が連れ立って遡った川は明連川と名付けられました。明連川の北側の山は擬宝珠山で、天の浮橋の欄干に由来に由来している地名です。地名は紀元前150年の大ロマンを教えてくれます。

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