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2005.10.10

古事記を読む  木花佐久夜毘売は富士山麓へ

No143
古事記では、木花の佐久夜毘売でNo142登場して終わりです。そこで全く別の角度から
木花佐久夜毘売のその後、探ってみます。
ニニギ命が、伯耆の久米郡、高千穂に遷都したのは、紀元前150年頃とおもわれますが、その頃漢の武帝は周囲の国々に勢力を広げていた時代で、お金が必要ですから、わが国に大量の漢族を潜入させて絹の収奪をしていました。なぜそうかといいますと、この時代の漢鏡の出土数が多くなるからです。
それに対して、ニニギとニニギの父である天忍穂耳命は、九州に進出しました。天忍穂耳命は遠賀川の源の英彦山に移っています。また、二人を祭る神社が嘉穂郡、鞍手郡、田川郡、遠賀郡、京都郡から14座見つかります。
このころ、天照大御神、丹波に遷都し、全国に水田を普及させようとしました。
あまりにも、東西に忙しくなったためか、天照大御神は静岡に多くの苗族を入植させました。そのときの指導者が、木花佐久夜毘売です。
No142の最後に、「なんだか すっきりしません」と書きましたが、本当は、古事記には、この後に木花佐久夜毘売が静岡県へ行きましたという一言ぐらいが書かれていたのではないでしょうか?
富士吉田市上吉田に、北口富士浅間神社があり、木花開耶姫命が、祀られています。
二人で輿入れしたが、容貌が悪いために、父親のもとに返された石長比賣は、その後、応援に派遣されたのでしょうか?
富士吉田登山口五合目の小御嶽神社に祀られています。祭神名は、磐長姫命です。
木花開耶姫命と磐長姫命に注目してください。これは、日本書紀に書かれている漢字です。どのように読まれていたのでしょう。古事記では、木花佐久夜毘売と石長比賣です。どの翻訳本でも、前をコノハナサクヤヒメ、後ろをイワナガヒメと読んでいます。本当は、同じように読んだかもしれませんが、古事記に書かれている木花佐久夜毘売は、後の世の人には、知られたくないものですから、日本書紀の作者は、苦労して書き換えました。書き換えたのに、現場の神社の記録に、木花佐久夜毘売と書かれていますと困りますから、北口富士浅間神社と小御嶽神社では、祭神を日本書紀と同じになるように書き換えました。書き換えたときがいつか判りませんが、その時は、木花佐久夜毘売の勢力圏ではなく、漢人の勢力範囲であったことになります。
静岡の地図をごらんください。苗族が入植した証拠に、田に関する地名がいっぱいです。
ここには、木花佐久夜毘売の父も一緒に出動したのでしょう。大山祇命を祀った神社が、伊豆国に102座、駿東郡の富士山東に48座、富士川流域に60座、安部川流域に26座、大井川流域に14座、遠近国に109座残っています。

勿論、この人たちばかりではありません。絹をめぐって、建御名方神を祀る諏訪神社も、134座あります。反対勢力の速須佐男命を祀った神社も519座ありますから、これらの数字が、そのまま、当時の勢力を現すものではありませんが、争いが当然起こり、古墳の数が多いことの説明ができます。
あらすじを書きましたから、このような話は信じられないと思われるでしょう。騙されたと思って、静岡県の神社と福岡県の神社を全部書き出して調べていただければいいと思います。そして、その後で、両方の神社がどのような所にあるか、自分の足で回られますと、当時の彼等が、ある山を挟んで、いがみ合っていた姿などが目に浮かぶのではと思っています。
私は全部していませんから、結果を教えてください。

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