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2005.10.06

倭地温暖

No36
原文
倭地温暖、冬夏食生菜、皆徒跣。有屋室、父母兄弟臥息異處。以朱丹塗其身體、如中國用粉也。食飮用[竹+下に邊]豆、手食。
其死、有棺無槨、封土作冢。始死停喪十餘日、當時不食肉、喪主哭泣、他人就歌舞飮酒。
已葬、舉家詣水中澡浴、以如練沐。
訳文
倭の地は温暖で、冬も夏も生野菜を食べている。皆徒跣(ハダシ)である。屋室があり、父母兄弟で、異なる処で、寝ている。朱丹(赤い顔料)をその身体に塗って、中国人が粉を用いるようだ。飲食には、ヘントウをもちいて、手で食べる。
死に際し、棺があって榔がない。土で封して冢(つか)をつくる。死ぬと、まず喪を停めること十余日、(その) その時は、肉をたべない。喪主は哭泣し、他人は歌舞飲酒につく。すでに葬れば、家をあげて(家じゅう)水中に入り、澡浴をする。それは(中国における)練沐のようである。

① 以朱丹塗其身體--朱丹を以って、その身体に塗る。朱も丹も赤いことです。赤い色の顔料でしょうか? 頬紅とは違うのでしょう。だけど、こんなもの身体に塗るでしょうか? 中国でもするとありますから、まあ、いいでしょう。
② 飲食のときに、ヘン豆を用いるとあります。ヘン豆は、竹製のタカツキだと説明してあるものもありますが、正しいかどうか確かめていません。手で食べるのは、インドでは、現在でも残っていますから、普通だったのでしょう。記録したということは、中国では手でたべなかったのでしょう。
③ 其死、有棺無槨、封土作冢は、重要な記述です。棺おけはあるが、槨が無いとあります。
この記述が正しいとしますと、槨がある墳墓があれば、日本人の墳墓でないことになります。前方後円墳は、殆ど槨どころか、石槨があります。時代が5~6世紀ともなればそうかもしれませんが、それにしても、始めは、日本人でない者が、槨を作ったのを真似たとしますと、魏の国のころには、まだ、有棺無槨であったことになります。
④ 封土作冢は、当たり前のようですが、冢を作るとなると石垣のようなものがあって、初めて冢を作るの表現になるでしょう。ただ、土を盛っただけでは、冢とは云わないでしょう。(中国では、ただ土を盛っただけのものを冢というと漢和辞典にはあります)
⑤ 始死停喪十餘日---始死は、死んで始めてぐらいしか読めません。始めて死んだのでは何のことか判りません。停喪とはなんのことでしょうか? 喪を停止する。喪とは、喪に服するなどと使います。辞書をひきますと、「も。うしなう。ほろびる。ほろぼす」とあります。このうち、「も」が一番いいようにも思いますが、「も」は死者に別れをする行事でしょうか? 外出や仕事などを控えて行うように思います。それを停止するということは、喪に服さないことになります。十餘日。十餘日喪に服すのであれば解りますが、十餘日喪に服さないでは、何のことか解りません。澡浴は現在もあるでしょうか?

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