« 正倉院展へ行ってきました | Main | 古事記を読む  火照命の服従 その2 »

2005.11.15

古事記を読む   火照命の服従

No147
原文
於是火袁理命思其初事而。大一歎。故豐玉毘賣命聞其歎以。白其父言。三年雖住。恆無歎。今夜爲大一歎。若有何由。故其父大神問其聟夫日。今旦聞我女之語云三年雖坐。恆無歎。今夜爲大歎。若有由哉。亦到此間之由奈何。爾語下其大神備如兄罰失鉤之状。是以海神悉召集海之大小魚問曰。若有取此鉤魚乎。故諸魚白之。頃者赤海[魚へんに即]魚於喉[魚へんに更]。物不得食愁言故必是取。於是探赤海[魚即]魚之。喉者。有鉤。即取出而清洗。奉火遠理命之時。其綿津見大神。誨曰之。以此鉤給其兄時。言状者。此鉤者。淤煩鉤、須須鉤、貧鉤、宇流鉤云而。於後手賜【於煩及須須。亦宇流六字以音】然而其兄作高田者。汝命營下田。其兄作下田者。汝命營高田。爲然者。吾掌水故。三年之間必其兄貧窮。若恨怨其爲然之事而攻戰者。出鹽盈珠而溺。若其愁請者。出鹽乾珠而活。如此令惚苦云。
翻訳
是において、火袁理命は其初めの頃の事を思って、大いに一つ歎げきました。そこで、豐玉毘賣命は其の歎きを聞いて、其の父に白し言いました。「三年住んでいると雖えども、恒には歎げくことは無いが、今夜は大いに歎いておられます。若し何の理由が有るのでしょう」。そこで、其の父である大神は其の聟夫(むこ)に問うて言われました。「今朝、聞我の女の語るのを聞けば、『三年坐ますといえ、恒は歎げか無くても、今夜は大いに歎げいた』と言われました。若し理由が有る哉。亦、此間に到った理由は奈何」と言われました。爾に、語下其の大神に備(つぶ)さに兄の失しなった鉤の状の如くを語り下しました。是れで以って、海神は、海之大小魚を悉く召し集めて問うて曰烏されました。「若し此の鉤取った魚は有る乎」。すると、諸の魚は白しました。「この頃は、赤海の魚、魚の喉に於いてノギが刺っていて、物を食べれないと言って愁いています。だから、必らず、是れを取りたい」。是に於いて、探赤いチヌの喉を探ると、鉤が有り、。すぐに、取り出して清く洗って、奉火遠理命にそれを奉て祀ったときに、其の綿津見大神が誨(おしえて)言われました。
「此の鉤を其の兄に給う時に言う状(さま)は、『此の鉤は、淤煩鉤(おぼち)、須須鉤(すすぢ)、貧鉤(まぢち)、宇流鉤(うるぢ)』と云うて、後手にして、賜いなさい。然し而、の兄が高田を作ったら、汝じの命は、下田を營みなさい。其の兄が下田を作れば、汝命は高田を營見なさい。そのように爲せば、吾の掌の水であるから、三年之間には、必らず其の兄は、貧しくなり窮すであろう。若し、其のことを恨怨(うらん)で攻め戦うのであれば、鹽盈珠を出して溺らせ、若し、其のことを愁いて請(もう)須用であれば、鹽乾珠を出して活(い)かして、此の如く令惚(なや)まし、苦しめなさい」と云われました。

考えたこと
 『此の鉤は、淤煩鉤(おぼち)、須須鉤(すすぢ)、貧鉤(まぢち)、宇流鉤(うるぢ)』と云うて、後手にして、賜いなさい。
この部分は、気になるところです。「後手」を訳本では、「しりへで」と読ませて、注釈には、「人を呪うときの行為」とあります。本当でしょうか? なぜ、疑問に思うかといいますと、もし、呪いの言葉であるとしますと、「この針は、おぼ針、すす針、貧針、うる針」だぞと言ったことになります。なんのことか、さっぱり判りません。倉野氏は、心のふさがる針、心のたけり狂う針、貧乏な針、愚かな針と書いておられます。原文をみてください。【於煩及須須。亦宇流六字以音】このように書いてあります。漢字には意味はなく、音だけですよと、断ってあるのに、「貧鉤」を「貧乏な針」と訳しておられます。貧乏な針、愚かな針とは、どういうことでしょうか? この針を持った人は、貧乏になる、愚かになるということでしょうか? 私はもし、呪いの言葉であるのであれば、聴いた相手が、何のことか判らないので、気味が悪くなって、気になって仕方が無いようになると思うのですが・・。
「後手」も手を後ろにやってでは翻訳は間違っているのでしょうか? 「後手」は、前に手をやる動作です。手を前にしますと、姿勢は自然と前屈みになります。手を擦ると揉み手になります。後ろ手にすると、自分ですると、姿勢は良くなり、堂々として見えます。この状態で、紐でくくられると犯罪者になります。自信満々で、言いなさいということではないでしょうか?
ところが、判らなかったのは、私ばかりではなく、日本書紀の作者も判らなかったようです。日本書紀の作者が正しいと思っている内容は、別書の部分ではない、はじめのところに書いてあります。ここには、「この釣鉤を兄上にお渡しになるときは、そっとこの釣鉤に『貧鉤(貧乏になるつりばり)と言っておあげなさい』と言っておあげなさい」と書いてあります。是であれば、意味がよく判ります。「淤煩鉤、須須鉤、貧鉤、宇流鉤」の4つが書いてあるのに、何故、貧鉤しかないのか? 古事記が間違いで日本書紀が正しいのかと思いきや、日本書紀は、ある一書には、「貧鉤、滅鉤、落薄」とあると書き、ある一書には、「大鉤、踉?(足+旁鉤、貧鉤、痴騃鉤」と書かれています。後者は、きっと、古事記のことだと思います。「淤煩鉤、須須鉤、貧鉤、宇流鉤」と同じ、4つあり、順序も同じです。宇流鉤は痴騃鉤と変換するのは判りません。宇流鉤はウルヂでしょうが、痴騃鉤をウルヂと読ませるのは、無理でしょう。しかし、井上光貞氏の訳本では、ウルケヂとして、意味は(おろかもの)としています。
それにして、内容は陰湿ですね。天皇家といえども、この様に呪いながら、自分が生き残ろうとしたということでしょう。日本書紀を書いた漢人も、自分達の都合の良いように書き、籠神社の人たちは『丹波国造本記』に記録として残し、物部氏の人たちは、自分達の書いたものや、古事記などを参考にして、先代旧事本紀に残したのではないでしょうか?

|

« 正倉院展へ行ってきました | Main | 古事記を読む  火照命の服従 その2 »

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/18266/7119795

Listed below are links to weblogs that reference 古事記を読む   火照命の服従:

« 正倉院展へ行ってきました | Main | 古事記を読む  火照命の服従 その2 »