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2006.02.19

皇位継承(その3)  皇極天皇はどのような人

前々回に持統天皇をみてみました。前回は、天皇制というものは、長子が受け継ぐとか、男子が受け継ぐとはっきり決まったものは無かったのではないかと書きました。

今回は、第35代 皇極天皇(642年~645年)と第37代 斎明天皇(655年~661年)について調べてみます。全く歴史の知識がないのに、書くつもりになっています。
ざっと、インターネットに書かれていることを読んでみました。なんだか凄い時代なのだなと云うのが、第一印象です。
皇極天皇と斎明天皇は同じ方です。皇極天皇は舒明天皇のとき皇后です。
舒明天皇の前は推古天皇です。推古天皇の在位は、36年ですから、一応安定していたと考えていいと思われます。推古天皇は跡継ぎを決めていなかったので、蘇我蝦夷は独断で決めようとしたが群臣にはかって、田村皇子を立てて天皇にした。(と日本書紀に書かれていますが、本当でしょうか。日本書紀は藤原不比等が自分たちに有利なように作ったのではないかと疑っていますので、一応、確かめるくせがついています) どうやら、蘇我氏の力が強かったことは確からしいです。蘇我氏自身の出自は良く判っていません。渡来系の氏族と深い関係にあったのは確かなようで、天皇を動かす力があったようです。
舒明天皇は初めて遣唐使を派遣したことになっています。そして、唐からの高表仁の返訪を受けた。 (本当に舒明天皇がご自身で考えて遣唐使を派遣したのであろうか・蘇我氏の主導では?)
舒明天皇の死後、皇極天皇が皇位につきます。
皇極天皇4年(645年)6月12日、乙巳の変が起こり蘇我蝦夷・入鹿親子が中大兄皇子(後の天智天皇)・中臣鎌足(藤原鎌足)に倒され、いわゆる「大化の改新」が始まりました。天皇は退位し、中大兄に後事を託しますが、皇子は自分では即位せず、14日、叔父の軽皇子が、天皇(孝徳天皇)となります。
皇極天皇の在位は、僅か3年です。

これは予想していた通り、頭大混乱です。書いている人の思惑があって微妙に歴史の解釈が異なっています。殆どの方は、天皇の皇位の奪い合いと捕らえておられます。

孝徳天皇の死後、35代皇極天皇は第7代斎明天皇となります。
斎明天皇は百済を助けるために出陣し筑紫で亡くなられています。
所謂、白村江の戦いへ行く途中のことです。私は白村江の戦い自体が、唐によって嵌められた戦争と考えていますから、斎明天皇の死も謎を感じます。

私は「大化の改新」は中国人(漢人)の日本征服の第一段階達成の印だと考えています。中国に遣唐使を派遣したのは、天皇家ではなく、漢人だと思います。天皇家は苗族で、漢人とは宿命的に敵同士だと思っています。だから、天皇が中国に従うような朝貢を行うことは無いと思います。同じ中国への使者でも、遣隋使と遣唐使では意味がことなります。宋は漢人による国ですから、使者を送ったのは、中国人だと考えないといけないと思います。

中臣鎌足は中国人ではないかと思っていますが、これから調べるつもりです。中臣鎌足も中国にお伺いを出しています。第二回の遣唐使のときに、長男の定恵を派遣しています。しかし、唐は自分達の方針で日本征服を試みます。そして、そのためには、中臣鎌足は邪魔になり殺されます。中臣鎌足と天智天皇は蹴鞠をして仲が良かったように思われていますが、斎明天皇の死後、即位するのに、7年も掛っています。中臣鎌足が中大兄皇子の即位の邪魔をしていたのではと想像しています。
しかし、唐は白村江の戦いのあと、郭務悰を日本に派遣、軍隊も派遣し、中大兄皇子を天皇にするようにします。天智天皇の誕生ですが、天皇の周囲は百済人で固めます。百済の人を滋賀の蒲生郡に入植させたり、関東に移動させたりします。傀儡政権を作ろうとしますが、上手くいかなかったのでしょう。毒殺を企てます。それに気がついた天智天皇は
大海人皇子を枕辺に呼びます。大海人皇子の皇位継承辞退。唐の思惑とおり、大友皇子が皇位につく。その後、大友皇子と大海人皇子の戦争になります。壬申の乱です。

そんな話し、聞いたこと無いなと思われたと思います。
私は舒明天皇のときから、ずっと中国がらみで天皇家は翻弄された時代だと思っています。
もっとも、皇極天皇と斎明天皇の時代は、もっと時間をかけて勉強する必要がありそうです。
次の文は、神戸市の有馬温泉のホームページに書かれた一文です。
「第34代舒明天皇(593~641年)、第36代孝徳天皇(596~654年)の頃からで両天皇の行幸がきっかけとなり有馬の名は一躍有名になりました。日本書紀の「舒明記」には、舒明3(631)年9月19日から12月13日までの86日間舒明天皇が摂津の国有馬(原文は有間)温湯宮に立ち寄り入浴を楽しんだという記述があり、それを裏付けています。」

私は読んで「あれっ」と思って、日本書紀を調べました。この文には一部誤りがあります。「入浴を楽しんだ」とありますが、楽しんだかどうか判りません。外には豊臣秀吉も訪れていますが、病気の治癒で訪れています。舒明天皇のことは、少ししか述べませんでしたが、温泉旅行どころでなかったと思います。
 天皇が有馬に行かれるときは、どれぐらいの人が付き添うのであろうかと調べたことがあります。よく判りませんでしたが、少人数ではなかったと思っています。伊勢の斎宮王が交代されるときでも、400人ぐらいだったと言われます。警備をいれると相当な部隊になると思われます。仮に少人数であれば、陸上では危険が多すぎます。河を利用しないと無理であろうと考えました。有馬へ行く道は、神戸から。神戸市住吉から真っ直ぐに山越え、宝塚市を通るの三本が考えられますが、武庫川が利用可能か調べたことがあります。
この河の両岸は、アマテラスを祭った神社に囲まれています。昔から天皇家の勢力が強かった所だと思われます。実際に船で遡れるのかといいますと、河の深さを数箇所で調べましたが、西宮インターのあるところまでは、充分可能でした。ただ、ここから有馬までは両岸から引っ張らないと無理かなと思いました。
宝塚市には高司(鷹司?)、御所の前町、御殿山などの 皇室に関係ありそうな地名が残っています。記録にはなくても皇室の人が有馬を訪れたのではないかと思いました。
舒明天皇は、この時以外にもう一度有馬に行かれています。私の頭は、どうしても、又もや、毒殺の所為で体調を悪くされたと考えてしまうのです。
女帝は、男でなり手がなかったのではなく、傀儡政権の飾り物にされた可能性が大きいです。

天皇系図


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2006.02.15

東京地検特捜部は悪くない?

東京地検特捜部は正義の味方で素晴らしい活躍をしておられます。でもやり方がよくないのではないでしょうか? 
先日来、新聞報道でホリエモンが調べに応じないことが記事になっています。このような事は誰が流したのでしょう。東京地検特捜部の人しかいないと思うのです。これはけしからんと言うことでしょう。これを元にいかに、ホリエモンが悪いかの記事が続きます。
東京地検特捜部の人は、これを流すことによって、自分達の調べが考えているように進むことを意図していることは間違いないと思われます。新聞報道で世論を先につくりますと、それを跳ね除けてまで、裁判官はホリエモンに有利になるように判決することはできないと思います。
ホリエモンが調べに応じないことぐらいは良いかなと思っていましたら、今日(2月15日)の読売新聞のトップにすごい記事が出ています。
 ライブドア粉飾 広告掲載データーねつ造 架空取引隠し関連会社に指示 監査法人欺く
兎に角大きいタイトルですから、実際に見てください。
 記事要約は、インターネット関連企業「ライブドア」が2004年9月期粉飾した際、架空売り上げの計上が発覚しないよう、データーのねつ造を関連会社に指示していることが、関係者の話で分かった。監査法人の会計監査をごまかす狙いがあり、ねつ造データーは監査法人に提出されていた。東京地検特捜部も同様の事実を把握しており、証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)容疑で、前社長の堀江貴文(33)らの再逮捕に向けた捜査を続けている。」

後に、3段組の記事が詳細に掲載されています。
この要約はおかしいと思われませんか? 「関係者の話」とは誰なのでしょう。
① ライブドアの会計に携わった人
② データーを受け取った監査法人の人
③ 東京地検特捜部の人
この三つのケースが考えることができます。
① は内部告発で許されると思われます。それなら、誰だと名前を書けばいいです。
② この人であれば、職務上知り得たことを新聞記者に喋ってもいいのでしょうか? 東京地検特捜部の調べで話すのであれば判りますが・・・。
③ 東京地検特捜部の人が、新聞記者に喋ったら駄目でしょう。憶測するとすれば、元東京地検特捜部の人が、東京地検特捜部の人から聞いて、それを新聞記者に流した。この可能性は一番です。

その証拠に「東京地検特捜部も同様の事実を把握しており、証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)容疑で、前社長の堀江貴文(33)らの再逮捕に向けた捜査を続けている」と書いています。
この新聞記者は、どうして、東京地検特捜部も同様の事実を把握していることを知ったのでしょう。しかも、ご丁寧に「証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)容疑で、前社長の堀江貴文(33)らの再逮捕」しようとしていることまで書きました。
新聞記者も悪いですが、意図的に流した東京地検特捜部も悪いです。

CCF20060215_00000
(画像クリックで大きくなります)

 
自分達が考えている通りになるように、いろいろ細工をすることは良くありません。
この新聞記者と東京地検特捜部の人は、誰がさばくのでしょうか?

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2006.02.14

皇位継承 と 天皇制

天皇制というものがあって、日本の天皇は初代の神武天皇から連綿と125代続いていると思われています。本当でしょうか?  どうして調べたらいいと思われますか? 

天皇家誕生の謎、古代天皇家物語、歴代天皇紀、天皇制の研究、天皇制批判について 、天皇制国家の謎、新天皇系譜の研究ー万世一系の演出と実態、天皇家はなぜ続いたか 

上の二行は本の題名です。インターネットの古書のページで検索しました。これを全部読めば、少しは判ると思いますが、私は読まなくてもいいように思います。どれも、元になるものは同じと思うからです。
 日本の天皇歴代については、いろいろの書物がありますが、古くて、基本になるものは日本書紀と古事記だと思います。天皇制の研究をするのであれば、初代から125代天皇まである資料すべてを調べる必要があります。しかし、学者でなければ、日本書紀と古事記の二冊で充分だと思います。

難しいことはありません。両方とも翻訳本でいいですから、買い求めてください。そして、先ず、古事記を開いてください。
 神武天皇の前の部分を見てください。天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と玉依毘売命の間に、4人生れたことが書いてあります。
神武天皇は若御毛沼命、亦の名豊御毛沼命、亦の名神倭伊波礼毘古命と書いてあります。
普通は若御毛沼命と呼ばれていたと思われます。 ところが、古事記を書くに当って古事記の作者が考えたのが、「神倭伊波礼毘古命」の名前だと思います。「神」はユダヤ人を表します。「倭」は出身地を表します。「伊波礼」が呼び名です。「毘古」は男性を表します。
「命」は尊称です。
話しのついでに、「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命」を書きますと、こんな長い名前があるわけがありません。どのような名前であったか判らなかったのだと思います。「天津」天孫族であることを表します。お父さんが生れるときに、産殿を作ってそこで、産む風習があったのですが、鵜の羽と草を使って産殿を波限即ち、波ぎわ、海岸に作ったのです。屋根は葺いたのですが、まだ、完成しないうちに生れましたと、その前のところに書いてあります。何故間に合わなかったかといいます、おばあさんがそのような風習を知らなかったからだと書いてあります。(ついでに読んでください)
このように、古事記ではこのような言い伝えがあったので、名前を創作したのだと思います。そんなこととは知らない日本書紀の作者は、古事記を参考にして作ったのに、古事記と同じ文字は一切使っていません。しかし、古事記は「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズノミコト」のことをどのように表現したかといいますと、「彦波瀲武鸕?草葺不合尊ヒコナギサタケウガヤフキアヘズノミコト」(?は滋の右側の横に鳥です)と書きました。
「天津」の意味は判ったらしく外しました。
これが前置きです。このようなことを書いた本は、きっと、無いと思います。(田村誠一と云う人は別です)
こんな解説は、歴史のプロにかかったら、イチコロでやられてしまいます。このように眺めますと、日本書紀はいかに作為に満ちたものであるか理解して頂けると思います。

では本論です。
古事記のすべての天皇を読んでください。はじめだけでいいのです。神武天皇は初代天皇など書いてありません。二代天皇も神沼河耳命と書いてあるだけで、何時即位した、皇太子になったなど書かれていません。ここは、簡単に書いてあると思われるでしょう。崇神天皇でも同じことです。この頃は、大切なことは、誰がだれから生れたのかという関係です。もし、即位したのが判っているのであれば、書いたはずです。判っているどころか、天皇制というものは無かったと思います。
一方、日本書紀の方は、何時生れて、いつ皇太子になって、いつ即位したか、月までかかれています。現在の天皇でも、他人は記録しているでしょうが、自分ではされていないでしょう。日本書紀が詳しすぎることに疑問を持たないで、日本書紀をもとにして、古事記に書いてあることは間違っていると自分の説を主張しておられる方がいっぱいです。

私の本論は、これで終りです。
しかし、いつの時代からか、あるルールはあったのだと思います。それは、学者の意見を聞いていただければと思います。

もう一度、念を押しますと、日本書紀は、712年に古事記が完成したときに、あまりにも都合の悪いことが書かれていますので、書き換えることになったのだと思います。完成するのに8年掛りました。見事に書き換えただけでなく、実際に無かった所へ、神社を作ったりしました。そして、古事記はすべて、処分したのだと思います。

肝心の天皇制ですが、これは、大化改新のときに、中国の制度を取り入れ、その後の天皇は、ある程度この制度に縛られたのではと想像しているだけです。
では、その前の天皇制は? 勿論、それまでの即位や立太子の式などは無かったはずです。年月日などは当然、日本書紀の作者の創作です。 

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2006.02.12

遺跡の発掘は今のままで良いのか

高松塚古墳の壁がカビによって劣化しました。解体して修復保存することになりました。言葉は劣化しかないのでしょう。修復不可能になりました。文化庁は住民説明会を開き、地区代表ら約100人が集まったところで、同庁の加茂川幸夫次長は「無策だったのではなく、それぞれの時点で最高の対策をとってきた」として劣化が進んだ責任は認めなかったと報道されました。最高の対策をとっていたのでしょうか? カビが問題であったのは確かでした。予想されただけに、空気調整や温度調整もされていたはずです。それでもカビ賀生えてきたということは、細菌学者の処置が間違っていたことになります。完全に処置をすれば100パーセント防ぐことが出来たはずです。出来ないのであれば、発掘しなければ良かったのです。勿論、今だから言えるのですが、細菌をいろいろの状態で関与させれば、しっくいはどのような状態になるのか、そのときに使われた顔料によってどのように反応が異なるのか、すべて実験すべきです。日本一の細菌学者に依頼されたのでしょうか? 何人の細菌学者が関与されたのか、名前はなんと言われるのか、公開する必要があると思われます。
 高松塚古墳だけであれば、まだ許されるかも知れません。明日香村阿部山のキトラ古墳も、漆喰が浮き上がってきて、剥ぎ取って修復することになりました。
この二つのことに対して、すでに、多くの人が意見を述べておられますから、素人の私がとやかく言う必要もなさそうですが、現在、姉歯一級建築士による設計偽装のため、軽い地震でも崩壊の恐れがあるので、大問題になっています。
 こちらの問題は現在の時点であれば、お金さえだせば簡単に解決です。全員が私は悪くありませんと云っていますが、全員が悪いのでしょう。あの建物を建てるまでに、関係あった人のうち、一人でもこれは良くないなと思えば防げた事件です。
 高松塚古墳とキトラ古墳は、もう元に戻すことは不可能です。こちらの方に携わった人は専門家でなかったことになります。もし、最高の人だと思ったのであれば、それは間違っていたのでしょう。
どうしても間違っていなかったと言われるのであれば、これから10年ほどは、発掘はストップすべきでしょう。
発掘をして発掘の研究は、すべて終了したのでしょうか? 終了したのであれば、ネットなどで公開すべきです。消えてしまった壁画は今さらどうすることも出来ませんが、せめて低価格で写真の販売をすべきです。専門家だといって、自分達だけが肉眼で見て、後の者は、見せても頂けないで、莫大な保存費用だけを税金から取られるのはお断りです。
                          
まあ、私の愚痴みたいなものです。

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2006.02.09

皇位継承について

皇位継承問題
 紀子様ご懐妊の知らせで、メディアはテンヤワンヤの大騒ぎです。ご懐妊のニュースの以前から、小泉首相は今国会で男子優先になっている法律を改正しようとしています。大きな流れは有識者がよく考えて、結論を出すということになっていますが、そのようなことはお構いなしに、各新聞社はアンケートをとり、80パーセントの国民は、女性天皇容認しているなどと報道して、圧力をかけようとしています。
最近は欧米の考え方が優先していまして、何でも多数決・法律に従ってというような意見が優先されています。
これを持ち出しますと、話は簡単です。男女平等ですから、天皇家といえども、男子が優先的に天皇になるということを決めても無効です。
私の家は、男女二人の子供がいますが、どちらが継いでくれてもかまいません。継いでくれなくても構いません。勿論、私の兄弟についで貰うなどは微塵にも考えません。天皇家の人は気の毒ですね。継ぐのは嫌だとはいえないのでしょうか? 全員が言えば日本から天皇家がなくなるだけの事です。
嘘か本当かわかりませんが、私が調べたところでは、初代神武天皇が奈良にて即位してから、2000年と5年になります。この間、一度も途切れることもなかったと言われています。世界中で、これほど長く続いている家はないでしょう。誇っても仕方がありませんが、誇っても良いかなとも思っています。
天皇家ほど、他人がとやかく言って家を継ぐのに、いちゃもんを付けられた家はないでしょう。天皇家のことですから、天皇陛下が決められたらいいでしょう。愛子さんがどのような方であるのか、秋篠宮さまがどのようなかたであるのか、一番知っておられるのは陛下のはずです。日本の天皇は、昔から法律があって男子が優先的に天皇になると決められていたのではありません。明治時代に決められただけです。しかし、誰でも男子が天皇家を継いできたのは知っています。現在の天皇も当然、それを望まれているでしょう。ただ、必ずそうなるとは限りません。そこで、小泉さんがしゃしゃり出たことになります。失礼な人たちです。
有識者の意見としては、過去にも女性の天皇が居られるのですから、良いだろうとの意見が大勢を占めているらしいです。本当に、だれからも望まれて天皇になられたのでしょうか?
過去の女性天皇をみますと、
初代神武天皇から今上天皇陛下まで125代の天皇のうち、過去に女帝は8人、二度なられた方(重祚)が居られますから、10代存在することになります。
第33代 推古天皇(592年~628年)
第35代 皇極天皇(642年~645年)
第37代 斎明天皇(665年~661年)※皇極天皇の重祚
第41代 持統天皇(690年~697年)
第43代 元明天皇(707年~715年)
第44代 元正天皇(715年~724年)
第46代 孝謙天皇(749年~758年)
第48代 称徳天皇(764年~770年)※孝謙天皇の重祚
第109代 明正天皇(1629年~1643年)
第117代 後桜町天皇(1762年~1770年)
皇極天皇から元正天皇までは、少なくとも中国人の支配下で、いろいろ複雑な理由があってなられたのではないかと考えています。

壬申の乱は、大友皇子 (弘文天皇)と後の天武天皇との皇位の争いのように言われていますが、中国が仕組んで、日本に傀儡政権をつくるために生じた争いでしょう。天智天皇も天武天皇も、中国人に殺されます。持統天皇は天武天皇の皇后です。このような歴史の見方は間違っていると思われていますが、一般の歴史の見方が間違っているのではないでしょうか? 持統天皇は大変な時代に天皇になられています。

傀儡政権を目指す、中国人(藤原氏)によって、天皇にならされたと思っています。 天皇家の祖先であるアマテラスを祭る伊勢神宮に持統天皇ははじめて参拝されました。 すんなり参拝できたのではありません。そのときの中納言だった三輪の神主は役を辞してまで止めたと伝えられています。しかし、その後、天皇が伊勢神宮に参拝することは許されず、明治天皇が参拝を果たしておられます。
何故 このような不自然なことが起こっているのか、説明できる方はおられるのでしょうか? (有識者の中に) 
全国に式内社と呼ばれている神社が3132社あります。その内、伊勢には253社あります。式内社は皆さんは朝廷から幣帛を受けていますから、天皇家と関係が深いように思っておられますが、アマテラスを祭っている神社は殆どありません。
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page257.htmlに少し、書いていますから、神社名と祭神をごらんください。
一番多い国は大和の286社です。中国人が支配していた地域です。伯耆7社、美作11社は天皇家の支配していた地域です。伊勢にはアマテラスを祭る伊勢神宮がありましたが、その周りには、286社の中国人支配者が伊勢神宮を囲んで、天皇が近寄ることは出来ませんでした。参拝すると暗殺される危険があったはずです。
 
持統天皇が即位したのは天武天皇がなくなられてから、4年後です。いろいろ問題があったと考えるのが、普通です。天智天皇も斉明天皇が亡くなったあと7年もたってから即位しています。天智天皇は鎌足によって、即位をストップさせられたのではないかと思っています。持統天皇は天皇在位中に吉野へ31回も行幸されています。なぜ そんなに多く行幸をしなければならなかったか 現在の歴史家は解明されていません。

このような調子で眺めていくと、女性が天皇になるには、事情があったのでしょう。そのような事情も知った上で、皇位継承問題に口を出すのは良いですが、やたらと口を出すのは???????

「新しい日本の歴史」 http://blog.so-net.ne.jp/nihonnsi/2006-02-01
のNo152辺りから、中国人の支配が強まっていく様子を書いています。読んでください。
但し、ここに書いてあることを理解するためには、「新しい日本の歴史」のはじめから読んでいただくことと、古事記と日本書紀と魏志倭人伝を読んで頂く必要があります。
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page106.html

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2006.02.06

北朝鮮は何のために日本人を拉致をしたか?

昨日、北京で北朝鮮と9時間におよぶ交渉が持たれました。国交正常化に向けて先ず、拉致問題を解決してからという日本と拉致問題は解決済みという北朝鮮と話しはかみ合いませんでした。予想された通りですが、北朝鮮は、新たな提案を差し出しました。
拉致の実行犯である辛光洙の引渡しを要求したのに対して、「日本は北朝鮮に対して引き渡さなければならない犯人がいる」と反論しました。
 このニュースはテレビで報道しましたが、読売新聞は拉致問題の報道は、6日付けの一面に書いていますが、「日本は北朝鮮に対して引き渡さなければならない犯人がいる」という内容は報道していません。テレビが正しいとすると読売新聞はこの事実を知らなかったか、報道したくなかったかのどちらかになります。
 報道したくなければ報道しなくてもいいのですが、報道の仕方が間違っているのではないかと思います。これまであった拉致問題は、北朝鮮による誘拐と云うことで報道されています。
拉致の実行犯である辛光洙は、一時、韓国でとらえられ死刑の判決がでていた人です。政治的な理由で恩赦になり、北朝鮮に帰国したとテレビは伝えています。テレビの威力は凄いもので、その時の辛光洙は英雄として迎えられた様子が、映像に残っています。
辛光洙は北朝鮮の国に対して、貢献があったことを北朝鮮が認めています。そのよう偉大な人を引き渡すように北朝鮮に要求しても「はい、判りました」と云うわけがありません。
それも日本の犯人引渡しの理由が、「入国管理」上の問題だといいます。理由が弱すぎます。殺人の容疑であるなら判りますが、日本政府は、こんな理由で、北朝鮮の英雄を引渡すように要求できると考えているのでしょうか?

「北朝鮮は何のために拉致をしたか? 」は判っているが、報道規制されているのでしょうか?
私は、北朝鮮は、日本と韓国を征服するために、両国民を拉致したと思っています。拉致はいろいろのところで行われたことと、人数が多いことがその理由です。日本に侵略するには、日本全国にスパイをはりめぐらす必要があります。それが済めば軍人を送り込む必要があります。こうした人たちの破壊工作があってはじめて正規軍を派遣すると侵略は成功します。
仮に青森県にスパイを送り込むとします。当然、青森で生活しますが、変な言葉を喋っていると、直ぐにばれてしまいます。しかし、鹿児島の言葉を使っていますとばれません。しかし、鹿児島の人と接触する機会があるかもしれません。その時に、変な言葉と思われても、鹿児島のことを何でも知っていますとばれることはありません。日本にスパイを送り込もうとすると、各府県別にスパイが必要になります。拉致された人の人数が多いのは、スパイ養成のためだと思われます。拉致された人は、日本語の指導をされていた様です。

同じ朝鮮人ですのに、韓国人も拉致されています。韓国にも方言があるでしょう。いろいろの理由で拉致したのでしょう。
拉致のお手本は中国です。


『後漢書』の倭伝に「安帝の永初元年、倭の国王帥升等、生口百六十人を献じ、請見を願う」
永初元年は西暦107年です。
ここには、貢物は書かれていません。「生口百六十人」が書かれています。奴隷ならば、中国にいくらでも居たでしょう。「生口」とは、捕虜のことです。倭人が捕まえた倭人を差し出すというのは変ですが、差し出したのでしょう。 「倭の国王帥升」と書きましたが、原文はひらかなの「の」はありません。「倭の国王帥升」ですと、倭の国王である帥升となりますが、「倭の国の王帥升」としますと、倭の国の王帥升という人が、請見を願ったことになります。王帥升は中国人で、生口百六十人を連れて中国に行ったとも考えられます。

もう一つの話しです。
倭の女王である卑弥呼が難升米という人を使者にして、中国に送ったことが、中国の歴史書の『魏志倭人伝』に書かれています。こちらは、女性が6人、男性が4人と書かれています。景初2年(238年)のことです。先ほどと同じく、生口と書いてありますから、難升米は中国人であるか、中国から派遣された人だと思います。
どこの世界に自分の国の歴史書に、外国人をスパイ養成のたに拉致したと書くでしょうか?
その後、膨大な中国人が日本にやってきて、藤原鎌足のときに、完成間近いとなり、中国の元号を取り入れ、「大化」が決められます。そして、藤原不比等のときに、完成しその記念として日本書紀が作られます。
以上、二つの拉致事件を記しましたが、他の国のことですと、いっぱいあります。
漢は94年に天山山脈のクチャで生口1500人を得ています。勿論、その後、クチャは滅ぼされます。紀元前130年ごろ、前漢の武帝が、匈奴から侵入を防ぐ目的(?)で、大月氏国に張騫を派遣しています。この時は、張騫は逆に捕虜となりますが、帰国しています。
少し、年代は下りますと、魏は、大月氏王に親魏大月氏王の称号を与えています。しかし、大月氏国はその後、滅ぼされています。
 中国は、高句麗、朝鮮などを滅ぼしています。勿論、南の方へも10万単位の兵を送り滅ぼしています。 この時もスパイを使ったのかといいますと、そこまでは調べていませんが、スパイは常識のことです。
日本はどのような目的で、国家的な英雄に拉致を命令したのか 正面から尋ねるべきです。

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