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2006.03.23

須恵器の生産は4世紀後半

今日(3/23)は嬉しいニュースが新聞(読売)に掲載されています。
タイトルには、「動乱の半島から先進文明渡来」
 付け足しに「遺跡年代見直しも」の記事もあります。
前のタイトルは間違っていると思います。考えようでは、これでいいのかも知れませんが・・・。
動乱のときに、日本へ文化を伝えたように書いてありますが、動乱であれば、他国へ文化どころではありません。朝鮮半島の大部分を中国に獲られてしまって、多くの朝鮮の人々が逃げてこられたのだと思います。朝鮮の人たちが伝えたのではなく、文化は「伝わった」のだと思います。
私にとっては、「遺跡年代見直しも」の方が、大切です。
 古事記に書かれている神話の部分は、実際にあった話であると考えてきました。殆ど、誰にも見向きもされませんでした。神話でないとしますと、神話に出てくる神々は実際に渡来してきた人たちであるということになります。
 紀元前200年ぐらい前から、大勢の人がやってきたようです。ユダヤ人がやってきていることを秦の始皇帝は知っていました。だから、日本へ徐福を派遣しました。情報がたしかであったから、3000人もやってきました。
 順序よく考えていきますと、次は中国人がやってきました。あまり多くやってきまして、九州は殆ど、漢の人たちが占領しました。ところが、卑弥呼は新羅に使者を派遣し、中国の進出を阻止するために、新羅と共同で任那を作りました。
 そのために、中国は朝鮮経由で日本へやってくることが出来なくなります。そして、後漢は滅びることになります。220年の事です。その後、九州には呉の国の人が、丹後半島には魏の国の人がやってきます。卑弥呼は247年、魏の国の難升米に殺されます。

こんな歴史は聞いたことがないなと思われたと思います。この辺りは、資料がないので、私は好きなことを言っておればいいのですが、崇神天皇のあたりになりますと、記紀には、相当詳しいことが記されています。こうしたものと、考古学の資料をあわせますと、辻褄が合わなくなってきます。
 なぜ合わないかといいますと、これまでの遺跡や古墳が発掘されますと、一緒に出土した土器からいつの時代のものであるかが、説明されていました。しかし、これによる年代は、私のトンデモ無い「古事記に書かれている神話の部分は、実際にあった話である」という説は、完全に否定されてしまいます。常々、現在の遺跡の年代(2~7世紀)は、100年ぐらい遡らないと、辻褄が合わないと考えてきました。
これで、一挙に私が一番、困った部分が解決することになります。
昨年、10月から、八幡市、城陽市、山城町、そして、今年は、枚方市の樟葉と走ってきました。これらの町の北にある宇治市から4世紀後半の須恵器が発見されました。
今回発見された須恵器は、一緒に発掘された木製品から時代を判定する年輪年代法による判定です。この判定は、正確でないといわれる人がおられますが、2~3世紀の時代が、100年遡ることになります、なぞと言われていたことが、いっぱい謎でなくなると思います。

100年遡るとどうなるのか、ゆっくり考えてみます。               H18.03.23

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