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2006.08.31

No14 国生み その2

他の島のことも少し書いて見ます。
伊豫の二名嶋がどうして、二つの名と始めは呼ばれていたか判りません。しかし、丸い一つの島ですが、古事記は面を四つ持っていると書きました。剣山と石鎚山に登って、室戸岬と屋島が出っ張っていることを観察はずです。東が粟の国です。西側の今治半島と石摺岬の間が愛媛というように、4つの部分に分けることができると判断したことになります。 ただ、登山をして眺めただけではありません。どんどん、測量もして、その後、この地に部下が派遣されたはずです。だから、四国にも銅鐸が出土するはずですし、高天原が四国にあったという人もおられます。調べていくと、四国を中心に生活をしていた人が浮かびあがるはずです。
九州も同じことです。
古事記には、「筑紫島を生みき。この島も又、身一つにして、面4つあり」と記しています。測量したことが判ります。九州を海岸に沿って、走っていたら、元のところに到達したから、島であることが分かりました。そこで、九州北部の最高峰である英彦山(1200米)に登って測量をしました。測量するだけではありません。部下を派遣したはずです。英彦山には、天照大御紙の子の天忍穂耳命が祀られています。西の高天原になります。この一帯を丁寧に調べると、天孫族が生活していた後を発見することが出来ます。高天原から高千穂に遷都が行われたときは、漢の武帝が周辺の国々に版図を広げていた時代で、わが国へも大量の漢民族を潜入させて絹の収奪が激しくなった時代です。降臨したニニギ命と父の天忍穂耳命は九州に出動しました。
私は、ここの人たちの助けを借りて、神武天皇が吉野ヶ里を攻撃して、その後、ゆっくりと奈良を攻撃した話しを書いた「神武天皇は吉野ヶ里を攻撃した」を出版しましたが、あまりにも、荒唐無稽なストーリーであるため、誰一人として認める人は有りませんでした。勿論、本は売れませんでした。
英彦山の周辺一帯の地名、神社を丁寧に調べますと、ここでも高天原の存在を見つけれるはずです。このように、日本全国を回って調べたと思われます。最後に、青森までぐるりと回ったために、本州が島であることを発見したと思われます。
最後に、発見したから大八島となったはずです。 

本州を一周して見物しただけではありません。どこに入植したらいいか調べたはずです。
あちこちに、山の名前もつけました。例えば、伯耆大山と丹波の大江山と富士山が同じ緯度であることを知りました。相模にも大山があり、ここは伯耆大山と略同じ緯度です。銅鐸が39個出土した出雲の加茂岩倉遺跡の直ぐ北にも大山があります。こちらは伯耆大山と全く同じ緯度です。大山の「大」は大王の大です。イザナギ命を現しています。
 その後、丹波の大江山には、天照大御神を派遣しています。大江町に皇大神社があり、天照大御神と月読命が祀られています。ここを基点にして、丹後に上陸した中国人の南下を防ぎました。両方に大山があるだけではありません。ニニギ命と結婚した木之花佐久夜比売は、富士山に派遣されました。富士吉田市にある北口浅間神社の祭神として祭られています。従いまして、この辺りを調べていきますと、東の高天原と言ってもいいような事がいっぱい発見されるはずです。 
 上10行ほどは、少し脱線をしました。このようなことは、古事記のどこにも書いてありませんが、古事記に登場する神さん、そして、現在でも祀られている神社、地名、外国の文献を総合しますと、ストーリーは正しいのではないかと説明できると思います。

最後に、両児(ふたご)島について書いてみます。倉野憲司氏は、この島は長崎の男女群島であると書いておられます。島は日本にいっぱいありますから、ここだと断定されてもいいのですが、命をかけて古事記を編纂したのですから、天皇家にとって、両児(ふたご)島は重要でないと、二つ並んであるとか、男女と名前があるだけでは、古事記に書いた意味がありません。
 神武天皇が、奈良を攻めるときに、吉備の高島に行在所を置きました。戦争に必要なものは、食料と武器です。苗族の屯田兵を吉備に入植させるときに、苗続を受け入れる港が、現在では、島ではありませんが、神島(こうのしま)です。何故、そのような事が分かるのかといいますと、神島に福浦という地名があるからです。実際に云って見ましたが、それらしきものは、何一つ残っていません。神島には資料館がありましたが、ここでも発見することはできませんでした。それなら、証拠にならないと言われるかもしれませんが、全国に、青森まで、福浦という地名が分布しています。現在は海岸線でなくても、当時は海岸線であったはずです。 この神島は、神武天皇が奈良に進軍するときに、強力した人たちです。「神」の付いている地名、人物はユダヤ人の可能性が大いにあります。このことをかいていますと、本論と益々はなれますので、やめにします。神島があったから、高島が行在所に選ばれました。この二つの島を合わせて、両児島と呼び、古事記に収録しました。天皇家にとっては、重要な島ですが、本来の大八島とは別に、島を列挙しました。別名を天の両屋と記されていますが、なんとなく、意味が伝わってくると思われませんか?
他の島は、どのように重要なのか、調査に挑戦してください。

福浦の方、その一部を挙げておきます。
全国に「福浦・福良」と呼ぶ地名があります。田村誠一氏は、「福浦」の地名は、渡来の人たちが、船でやって来たときの港であり、その港を基点に、次々と移動するときの補給港だったと述べています。ただあるだけではなく、
程よい距離にあります。計画的につくったのではないかと思われます。

全国に存在する「福浦」は、次の通りです。
1.青森県青森市大字飛鳥字福浦
2.青森県五所川原市大字梅田字福浦
3.青森県むつ市川内町福浦山
4.青森県つがる市森田町中田福浦
5.青森県北津軽郡中泊町大字福浦
6.青森県下北郡佐井村大字長後字福浦
7.青森県下北郡佐井村大字長後字福浦川目
8.宮城県古川市福浦
9.宮城県宮城郡松島町松島字福浦島
10.神奈川県横浜市金沢区福浦1丁目
11.神奈川県足柄下郡湯河原町福浦
12.新潟県佐渡市福浦
13.石川県羽咋郡富来町福浦港
14.兵庫県赤穂市福浦
15.島根県松江市美保関町福浦
16.島根県隠岐郡隠岐の島町北方福浦
17.広島県呉市天応福浦町
18.山口県下関市彦島福浦町1丁目
19.愛媛県南宇和郡愛南町福浦

全部検討したわけではありませんが、古代には、潟であったところが多く、所謂葦原を求めて、入植し稲作をはじめたと想像できます。福浦に似た発音の地名に、「福良」があります。
①福島県 郡山市湖南町福良    猪苗代湖近く
②栃木県小山市大字福良      結城の北
③愛知県 蒲郡市清田町福良   
④兵庫県 南あわじ市福良乙     港
⑤山口県 山口市大字黒川      港から少し離れる
⑥徳島県海部郡海南町浅川字福良  港
⑦高知県須崎市浦ノ内福良      港
⑧高知県宿毛市小筑紫町福良    港
⑨大分県大分市大字福良      少し内陸
⑩大分県臼杵市大字福良      少し内陸
⑪宮崎県東臼杵郡椎葉村大字下福良  山の中・椎葉の近く
⑫鹿児島県指宿市東方中福良     港
⑬鹿児島県薩摩川内市中福良町   少し内陸

 もっと、詳しく知りたい方は、「福浦と福良」
http://www.hcn.zaq.ne.jp/caarc303/page363.htmlをクリックしてください。

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2006.08.29

No 13 国生み(くにうみ)—古事記の場合

記紀では、日本の国というか、八つの島がどうしてできたかを記しています。多くの人は、これを国生みと呼んでいますが、歴史学者による造語でしょう。国は、生まれるものではありませんが、記紀には、イサナギ神とイサナミ神が結婚して国が生まれたと書いてあります。誰が読んでも間違いがないように、セックスをして国を作ったと書いてあります。
 セックスの結果で、国が出来上がったのであれば、雌が持っていた元になるものと、雄が持っていた元になるものが、結合してできあがったとも書いてあるかといいますと、日本書紀には、陰と陽を使って書いてあります。古事記には書いてありません。国に限ぎらず、宇宙に存在するものは、すべて、陰と陽に分けることができる。言い方を変えますと、陰と陽があって、始めて物ができあがるということでしょうか? このような考え方は、中国にあって、当時の日本人は、取り入れたことになりますと、ご自分の著書に書いておられる方がおられますが、日本書紀を書いた人が、中国人であれば、取り入れたことにはなりません。
 
前置きが長くなりました。それでは、国がどのようにして生まれのかを見ていきます。
先ず、古事記です。
如此言竟而。御合。生子淡道之穗之狹別嶋【訓別云和氣下效此】次生伊豫之二名嶋。此嶋者身一而有面四。毎面有名。故伊豫國謂愛(上)比賣【此二字以音下效此】讚岐國謂飯依比古。粟國謂大宜都比賣【此四字以音】土左國謂建依別。次生隱伎之三子嶋。亦名天之忍許呂別【許呂二字以音】次生筑紫嶋。此嶋亦身一而有面四。毎面有名。故筑紫國謂白日別。豐國謂豐日別。肥國謂建日向日豐久士比泥別。【自久至泥以音】熊曾國謂建日別【曾字以音】次生伊岐嶋。亦名謂天比登都柱【自比至都以音訓天如云】次生津嶋。亦名謂天之狹手依比賣。次生佐度嶋。次生大倭豐秋津嶋。亦名謂天御虚空豐秋津根別。故因此八嶋先所生。謂大八嶋國。然後還坐之時。生吉備兒嶋。亦名謂建日方別。次生小豆嶋。亦名謂大野手(上)比賣。次生大嶋。亦名謂大多麻(上)流別【自多至流以音】次生女嶋。亦名謂天一根【訓天如天】次生知訶嶋。亦名謂天之忍男。次生兩兒嶋。亦名謂天兩屋。【自吉備兒嶋至天兩屋嶋并六嶋】

岩波文庫の倉野憲司氏の訳を拝借します。
 かく一言ひ竟へ御合して、生めるは、淡道の穂の挾別島。次に伊豫の二名島を生みき。この島は、身一つにして面四つあり。面毎に名あり。故、伊豫國は愛比売と謂ひ、讃岐國は飯依比古と謂ひ、粟國は大宜都比売と謂ひ、土左國は建依別と謂ふ。次に隠伎の三子島を生みき。亦の名は天之忍許呂別。次に筑紫島を生みき。この島もまた、身一つにして面四つあり。面毎に名あり。故、筑紫國は白日別と謂ひ、豊國は豊日別と謂ひ、肥國は建日向日豊久士比泥別と謂ひ、熊曾國は建口別と謂ふ。次に伊伎島を生みき。亦の名は天比登都桂と謂ふ。次に津島を生みき。亦の名は天之狭手依比売と謂ふ。次に佐度島を生みき。次に大倭豊秋津島を生みき。亦の名は天御虚空豊秋津根別と謂ふ。故、この八島を先に生めるによりて、大八島國と謂ふ。然ありて後、還ります時、吉備児島を生みき。亦の名は建日方別と謂ふ。次に小豆島を生みき。亦の名は大野手比売と謂ふ。次に大島を生みき。亦の名は大多麻流別と謂ふ。攻に女島を生みき。亦の名は天一根と謂ふ。次に知詞島を生みき。亦の名は天之忍男と謂ふ。次に兩児島を生みき。亦の名は天兩屋と謂ふ。
吉備児島より天兩屋島まで併せて六島。
No11において、「次に淡島を生みき。こも亦、子の例には入れざりき」とありますと書きました。訳本では、ここの「淡島」は、どこにあるのか不明と書かれています。
水蛭子と淡島は、特別で、〔こも亦、子の例には入れざりき〕と書いてあるということは、
淤能碁呂島に続いて、特別の島ですと念を入れているのです。
 淡路島は、二神にとって、特別の島だからこそ、最後に落ち着いたところでもあり、その後に、二神が作った神社なども緯度などで一致することが解ります。

淡島が現在の淡路島であるとなりますと、淡道の穂の挾別島はどこだと言うことになります。淡道の穂の挾別島は、淡道の穂と挾別島とにわけられるでしょうか?

どうやら 分けれそうですが、意味が通じません。
倉野憲司氏の訳が間違っているのではないでしょうか。 

倉野憲司氏の原文は、句読点と返り点がしるされています。
  〔於是此言竟而御合、生子、淡道之穗之狹別嶋〕
訳は、〔生める子は、淡道の穂の挾別島〕です。

以下の生まれた島の表記を縦に並べて見ます。
①生子淡道之穗之狹別嶋
②生 伊豫之二名嶋
     伊豫國---愛(上)比賣
     讚岐國---飯依比古
     粟國-----大宜都比賣
     土左國---建依別
③生 隱伎之三子嶋---天之忍許呂別
④生 筑紫嶋
     筑紫國---白日別
     豐國-----豐日別
     肥國-----建日向日豐久士比泥別
     熊曾國---建日別
⑤生 伊岐嶋-----天比登都柱
⑥生 津嶋-------天之狹手依比賣
⑦生 佐度嶋--------又の名なし
⑧生 大倭豐秋津嶋--天御虚空豐秋津根別
以上 大八島国
然後還坐之時
①生 吉備兒嶋---建日方別
②生 小豆嶋-----大野手(上)比賣
③生 大嶋-------大多麻(上)流別
④生 女嶋-------天一根
⑤生 知訶嶋-----天之忍男
⑥生 兩兒嶋-----天兩屋
「生」と島名との間に空を入れました。ここに、文字が入るのは、
①の生子淡道之穗之狹別嶋だけです。子淡道之穗之狹別嶋、全てが島の名前と言うことになります。
大八島の①は、他の島と違うことが一目瞭然です。①には又の名がありません。(佐度嶋もなし) 又の名前は、島の名前と言うことになっていますが、この名前は、この島を平定した人の名前だと思われます。①と④は、又の名がないということは、イザナギとイザナミが二人で平定したと考えれば良いことになります。

子淡道之穗之狹別嶋は、大八島に入っています。他の島を眺めれば、やはり、主要な島であることが解ります。島の大きさから考えると、淡路島しかないでしょう。 では、淡路島と書けばいいことになります。太安万侶が古事記を書いたときには、まだ、この島には名前がなかったのでしょうか?
もう一度、14の島を眺めて下さい。すべて、島の名前は短いです。子淡道之穗之狹別嶋だけが長いです。本当なら、狹別嶋だけでいいはずです。この島の名前は、各漢字には意味があるらしいです。 この島の後ろに、〔訓別云和気下效此〕と添え字があります。

島名には、淡道が含まれていて、淡路島に似ています。淡道は〔あわじ〕と読むことができるでしょうか? 少し、無理のように思えます。
狹別嶋は、狭いと別れている島です。狭いは解りますが、別れているとはどういう意味でしょうか。
淡道は淡い道---ふあふあの道? 砂州のように、出来たり、消えたりする道。
このように考えると、意味は解りますが、が分断されます。
子淡道之穗に分けますと、意味が通じません。子淡道之穗の部分は、狹別嶋を説明した部分だと思われます。日本書紀には、淡路洲という文字が、2冊の本に見られます。日本書紀が完成したときには、すでに淡路という島があったことは、確かです。そうであれば、古事記には、淡島などと書かないで、淡路島とか淡路州とかいたはずです。もし、古事記に書かれている子淡道之穗之狹別嶋が淡路島であれば、このように長い名前が使われるはずがありません。
 では、子淡道之穗之狹別嶋はどこだ ということになります。
田村誠一氏は、次のように述べています。
平成古事記18ページ」より
夫婦の営みをした後、根の淡道の穂の狭別島を生みました。当時斐伊川は日本海に直接注いていたので島根半島は島です。島根があることは陸根がないとおかしいことになります。【記】に子の淡道とかいたのは藤原朝臣在判の作為で根の淡道がもともとの文字て弓ヶ浜がまた道らしい道になってないから淡い道てす。この先端の南北が山脈て遮られた島が狭別島です。
「燦然と輝いていた古代  高天原は蒜山高原」 40ページより
最初に平定したのが「子淡道之穂之狭別島」でこれは島根半島でした.米子から北に伸びる夜見半島は、まだ洲の状態だから淡い道です.米子が「子」、境港は「穂」でした。島根半島は古代には斐伊川は直接日本海に注いでいたので島で、しかも山脈が南北に分けた狭い島の意味です.地名がないので苦心した表現法です。

いかがでしたか。
これは見事だと思います。古事記が出来た時は、本州と島根半島は、陸続きで、出雲大社もありました。古い言い伝えで、半島は島であると言われてたのではないでしょうか? その島の根の部分が米子の所に当たります。半島にある高尾山に登りますと、弓ヶ浜は、本土に根はありますが、境港の部分は、現在でも大きくなっています。ここが穂にあたります。当時は、真ん中はの部は、細く、日によって、時間によって、太くなったり細くなったりするのが、見えたと思われます。
 子淡道之穂 子と穂の間の淡道(大きくなったり、小さくなったりする道)が解決です。
同じく、高尾山の上で、身体を右に回転しますと、島を眺めることが出来ます。現在では、半島ですが、この島は、真ん中に、東西に山が走っていて、島を二つに別けています。そして、狭い島です。
   これで、狭別島の説明がなされています。
では、次は、大倭豐秋津嶋を除いたその他の島を一括して眺めます。島の別名がないもの、島の別名があるもの、その中には、「天」と「別」を含むものがあります。古事記にとっては、島の別名があるものは、その島を平定したので、その後、イザナギから任されたところだと思います。「天」のつくところは、天つ神であり、「別」のつく所は、No2にで見ましたように、 「上件五柱神者、別天神」のときと同様に、天つ神ではありませんという「別」だと思われます。外様大名のようなものです。別名の書いてないところは、イサナギとイサナミが二人で、征服したところだと思います。
 愈々、最後の大倭豐秋津嶋です。どの本を読んでも、「大和を中心とした地域名」とあります。倉野憲司氏は注釈に、「本州の呼び名ではありません」と念を押しておられます。
私は、本州だと思います。
何故かと言いますと、子淡道之穗之狹別嶋は、高尾山に登ったから、そのように見えたのであろうと書きました。他の島でも同じです。

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2006.08.27

No12 イザナギとイザナミの新婚生活‐‐日本書紀

二神於是降居彼嶋。因欲共爲夫婦産生洲國。便以磤馭慮嶋爲國中之柱。〈柱。此云美簸旨邏。〉而陽神左旋。陰神右旋。分巡國柱同會一面。時陰神先唱曰。憙哉。遇可美少男焉。〈少男。此云烏等孤。〉陽神不悦。曰。吾是男子。理當先唱。如何婦人反先言乎。事既不祥。宜以改旋。於是二神却更相遇。 是行也陽神先唱曰。憙哉。遇可美少女。焉〈少女。此云烏等■。〉
因問陰神曰。汝身有何成耶。對曰。吾身有一雌元之處。 陽神曰。吾身亦有雄元之處。思欲以吾身元處合汝身之元處。於是陰陽始遘合爲夫婦。
及至産時。先以淡路洲爲胞。意所不快。故名之曰淡路洲。廼生大日本〈日本。此云耶麻騰。下皆效此。〉豐秋津洲。
 読みを書いてみます。二人の神はそこでこの島に降りました。よって、夫婦となり島国を生み出そうと願いました。そこで磤馭慮嶋を国の中心のみ柱として、陽の神は左より廻り、陰の神は右より廻った。国の柱を分かれて巡り、一面で一同に会した。そのとき、陰の神が先に唱えていわれるには、「ああ、うれしい、美しい少男(おとこ)に会えて」。陽の神は悦(よろこ)ばずに云いました。「自分は男子である。だから先に唱えるべき理屈である。どうして婦人が先に言うのか。これは良くないことだ。改めて廻り直そう」と。そこで二人の神は、もう一度出会われた。今度は陽の神が先に唱えて、「ああ、嬉しい。美しい少女に会えて(少女はおとめと読みます)」。
そこで、陰の神に問うて言われるには、「あなたの身に出来上がったものがあるか」。それに対して、「私の体には一つの雌の元になる処があります」と。 (陽の神は)「私の体にも雄の元になる処があります。それでは、私の体の元の部分をあなたの元の部分に合わせよう」と云われた。それで、始めて陰陽が合わさって夫婦となった。
子が産まれるときがきて、まず、淡路洲を胞と為した。満足いくものでなかった。だからその名を淡路洲(吾恥の意味)という。次に大日本〈日本。此云耶麻騰(やまと)。下皆效此。〉豐秋津洲を生んだ。

古事記の書いた部分より、少し先の方も記しました。
それでは、本文について、考えて見ます。
① 日本書紀の本文に、「先以淡路洲爲胞」があります。宇治谷孟氏葉「まず淡路島が第一に生まれた」と書いておられますが、「胞と為す」とあります。胞という漢字は、肉月を包むと書いて作られている漢字です。皮で包まれた部分です。体の中心に当たる所だと思います。体の元になる部分です。細胞という熟語があります。この段階は、顕微鏡で見ないと確認できないのですが、当時の中国では、体の元になるものを細胞と捉えていたと思われます。従いまして、「まず淡路島が第一に生まれた」だけではなく、淡路島は八島の中で一番重要であったことを日本書紀の編集者は知っていたことになります。
② 「そこで磤馭慮嶋を国の中心のみ柱として」とあります。どういう意味でしょうか?原文が、「便以磤馭慮嶋爲國中之柱」しか仕方がありません。ここに書かれている柱を注意書きをいれて、「ミハシラ」と読みなさいと書いてあります。 どうして、このような事を書いたかといいますと、古事記に「天の御柱を見立てて」と書いてあるのですが、これを参考にしたが、理解できなかったのだと思います。No11 をご覧ください。「見立て」が訳せないから、誤魔化して、「見」をとって、「立」を勝手に、建てると読みました。本当は誤魔化してはいけませんが、プロの方も全員誤魔化しています。
ところが、日本書紀の編集者は誤魔化しませんでした。
伊勢神宮にある御柱はだれも見たことがないのですが、30センチぐらいの短い柱らしいです。諏訪大社の御柱でも、直径が1mぐらいです。こんな小さな柱の周りを二人で回っても、出逢う前から、二人の顔は見えています。こんな不合理なことは無いと考えて、磤馭慮嶋を御柱と見立てて、磤馭慮嶋の周りを回ったことにしたと思われます。
③次に書くことが、私は重要なことであると思います。「廼生大日本〈日本。此云耶麻騰。下皆效此。〉豐秋津洲」と書いてあります。「大日本豐秋津洲」の「日本」の部分は、「耶麻騰ヤマト」と読むのですよと注意書きを入れています。「ヤマト」と読まなかったから、読めと注意しました。大和または、倭のことを「日本」にすることを決めた人は、だれか判りませんが、藤原不比等は、使ったことになります。

次は他の本の記述を見ます。No9に他の本のことを書きました。その続きの部分を書きます。(原文は省略して、宇治谷孟氏の訳を書きます)
一書によると、(1)
二柱の神はその島にお降りになって、大きな御殿を造られた。また天に届く柱をたてられた。
男神が女神に尋ねて云われるのに、「あなたの体はどんなになっているのか」と。答えていわれる。「私の体がつくりあげられて、陽の元という一ヶ所があります。私の体の陽の元をもって、あなたの体の陰の元のところに合わせたいと思う」と。そこで天の柱を回ろうと約束して云われるのに、「あなたは左から回りなさい。私は右から回ろう」と。そこで分かれめぐって行きあった。女神が先に唱えていわれるのに、「おや、何とすばらしい男ね」と。男神が後から答えていわれ、「おや、なんとすばらしいおとめだろう」と。ついに夫婦の契りをして、まず蛭児(不具の子)が生まれた。そこで葦船にのせて流してやった。次に淡州を生んだ。これもまた、子の数に入れなかった。
 そこで天に帰り上って、詳しくその様子を申し上げた。そのとき天つ神は太占(鹿の肩の骨を焼いてできた裂目で占う)で占った。そして、天つ神は教え、「女性が先にことばをかけたからだろう。帰ってやり直してみなさい」と仰せられた。
 そしていつが良いか占って再び降りた。二柱の神は改めてまた柱のまわりを回った。男神は左から、女神はみぎから回って出会ったときに、男神がまず唱えていわれた。「おや、何とすばらしい少女だろう」と。女神が後から答えて「おや、何とすばらしい男の子ね」と。その後に同居されて子が生まれた。大日本豊秋津州と名づけた。次に淡路島・・・・。

本は10冊もありますので、まずは、この一番目の本について考えます。
① 本文以上の文字を使っていることになります。その分、本文より意味がよく判ります。
 10冊の本のなかで、一番古事記の表現に近いものです。古事記の通りにかいて、磤馭慮嶋と書かないで、淤能碁呂島と書いておきますと、古事記も参考にしたな。後、古事記のほかにも、9冊あるのだなと思うことが出来ますが、
② ところが、一番目の本は、最初に蛭子が生まれたと書いています。これは、古事記と一緒です。古事記は、次は淡島とあります。私は、古事記の方も淡路島と書いてあったのに、書き換えた人が居たのではないかと推察しています。その根拠は別の機会に書くことにします。後の9冊にも島の誕生が書かれていますが、生まれた順番は、大切なことですから。
③ どうして蛭子が生まれたかは、二人の神は知らなかったので、天つ神に教えて貰った事になっています。
④ 天まで届く御柱を建てたことになっています。本文を見てください。こちらは、「そこで磤馭慮嶋を国の中心のみ柱として」と書いてあり、柱を建てたとは書いてありません。
  天まで届く柱など立てれる訳がありません。本文は、常識的に通用するように書かれています。
一書によると、(2)、一書によると、(3)、一書によると、(4) には、御柱を回る記述はありません。
一書によると、(5)
女神が唱えていわれるのに、「ああうれしい。立派な若者に会えた」と。そのとき女神のことばが先だったので、不詳であるとして、また改めて回り直した。そして男神が先に歌って「ああうれしい、愛らしい少女に会えた」と。そして、交合しようとした。しかし、その方法を知らなかった。そのとき、鶺鴒が飛んできて、その頭と尻尾を振った。二柱はそれを見習われて、交合の方法を知られた。
 この書物が仮に、実在しなかったとし、古事記を参考にして作ったとします。このような事は、古事記に書かれていません。しかし、敢えて探すとしますと、No7の「」において、伊邪那岐神と妹伊邪那美神が蒜山高原にやってきます。 妹という字が、伊邪那美神についています。この二人は兄弟だったから知らなかったというぐらいになります。そうしますと、日本書紀の作者も私と同様に、「妹」の意味が判らなかったのだと思います。そうでなければ、このような本があったことになります。屁理屈をのべますと、鶺鴒は頭と尻尾を振って交尾するのでしょうか?
二人の神は頭は振れますが、尾は振れません。鶺鴒の交尾は秒単位の交尾ですが、この書物を書いた人は、そのようなことを知っていたのでしょうか? 二人の神にとって、参考にならなかったと思います。               

一書によると、(6)、一書によると、(7)、一書によると、(8)、一書によると、(9)には、御柱のまわりを回る記述はありません。

一書によると、(10)
 女神が唱えていわれるのに、「おや、何とすばらしい男の方ね」と。そして男神の手をとって、ついに夫婦の交りをして、淡路洲を生んだ。次に蛭児を生んだ。

以上です。
日本書紀の編集者は、やはり、古事記を参考にして、日本書紀を書いたと思われますが、特に、「ああうれしい。立派な若者に会えた」というような文句は、すべて、少しずつ違います。翻訳者が違うように書かれたのでしょうか? 私は、古事記とおなじものを書きたくないために、いっぱい違うものを並べたと考えます。
 丁寧に、ここに書かなかった本も、ご自分で見て確かめてください。

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2006.08.25

No11 イサナギ神とイサナミ神の新婚生活

タイトルは上のようにしましたが、どうも腑に落ちないことばかりが書かれたところです。
先ず、古事記にはどのようなことが書いてあるか眺めます。
其嶋天降坐而。見立天之御柱。見立八尋殿。於是問其妹伊邪那美命曰。汝身者如何成。答曰吾身者成成不成合處一處在。爾伊邪那岐命詔。我身者。成成而成餘處一處在。故以此吾身成餘處。刺塞汝身不成合處而。爲生成國土奈何【訓生云宇牟下效此】伊邪那美命答曰然善。爾伊邪那岐命。詔然者吾與汝行迴逢是天之御柱而。爲美斗能麻具波比【此七字以音】如此云期。乃詔汝者自右迴逢。我者自左迴逢。約竟以迴時。伊邪那美命先言阿那迩夜志愛(上)袁登古袁【此十字以音下效此】後伊邪那岐命言阿那迩夜志愛(上)袁登賣袁。各言竟之後。告其妹曰。女人先言不良。雖然久美度迩【此四字以音】興而。生子水蛭子。此子者入葦船而流去。次生淡嶋。是亦不入子之例。

無理を承知で、前から順番に、頑張って読んでみます。「其嶋天降坐而。見立天之御柱。見立八尋殿」
「其の島に天降りまして、天の御柱を定めて、八尋の御殿を見立てました」
訳としては、難しいところはありません。ただ、納得の行かないところがあります。天降(あまくだ)るということは、天(てん)から降りてくることを言います。其の島とは、オノコロ島のことで、天上にある高天原に出来た島のはずです。其の島に天降ったということは、おかしいことになります。
イザナギとイザナミは、高天原にオノコロ島を造成したはずです。「天降」の天は、天上の天ではなく、ありがたくもと言うぐらいの意味でしょう。同じアマクダルでも、天下るとかきますと、意味がまた異なってきますが、上から降りてくるのですから、語源は、天降るでしょうか。
次が解りません。天之御柱は、日本書紀では、「ミハシラ」と読むように書いてあります。
わざわざ 注釈をつけたということは、普通は、「ミハシラ」とは読まないのでしょう。
「御柱」は、一般には使用しませんが、伊勢神宮に心の御柱、諏訪神社には御柱、こちらは「おんばしら」と呼び、使われています。「見立」は、普通は品定めするとかに使いますが、柱ですから、「見」は抜いて、立てるだけにしたいところです。
以後、岩波文庫の翻訳を記し、全体の内容を把握して貰います。
  その島に天降りまして、天の御柱を見立てて、八尋殿を見立てたまひき。ここにその妹伊邪那美命に問ひたまはく、「汝が身は如何に成れる」とひたまへぱ、「吾が身は、成り成りて成り合はざる処一処あり。」と答へたまひき。ここに伊邪那岐命詔りたまはく、「我が身は、成り成りて成り余れる処一処あり。故、この吾が身の成り余れる処をもちて、汝が身の成り合はざる処にさし塞きて、國を生み成さむと以爲ふ。生むこと奈何。」とのりたまへぱ、伊邪那美命、「然善けむ。」と答へたまひき。
ここに伊邪那岐命詔りたまひしく、「然らぱ吾と汝とこの天の御柱を行き廻り逢ひて、みとのまぐはひ爲む。」とのりたまひき。かく期りて、すなはち「汝は右より廻り逢へ、我は左より廻り逢はむ。」と詔りたまひき。、約り竟へて廻る時、伊邪那美命、先に「あなにやし、えをとこを。」と言ひ、後に伊邪那岐命、「あなにやし、えをとめを。」と言ひ、各言ひ竟へし後、その妹に告げたまひしく、「女人先に言へるは良からず。」と告げたまひき。然れどもくみどに興して生める子は、水蛭子。この子は葦船に入れて流し去てき。次に淡島を生みき。こも亦、子の例には入れざりき。

解ったような解らないような訳ですが、御柱は、八尋の御殿を立てるために必要なのかと思ったら、その後、どうやら、セックスをはじめる時の儀式に必要らしいことが推察できます。そして、生まれたのが、水蛭子と淡島です。

それでは、私の解釈を続けます。
於是問其妹伊邪那美命曰。汝身者如何成。答曰吾身者成成不成合處一處在。
 是に於いて 其の妹伊邪那美命に問うて言うには、「汝の身(カラダ)は如何(ドノヨウニ)成っているか
答えて言うには、「成り合わせようと何度しても、成り合わない処が一ヶ処あります」
爾伊邪那岐命詔。我身者。成成而成餘處一處在
そこで伊邪那岐命が言われるのには、私の身は、成り合わせようと何度しても、成り余る処が一処あります。
故以此吾身成餘處。刺塞汝身不成合處而。爲生成國土奈何【訓生云宇牟下效此】伊邪那美命答曰然善
  それ故此の吾が身の成り余る処を以(モ)って、汝の成り合わない処を刺し塞ごう。国土を生む為に、どう思いますか。伊邪那美命が答えて言うには、「善(イイ)です」

爾伊邪那岐命。詔然者吾與汝行迴逢是天之御柱而。爲美斗能麻具波比【此七字以音】 
 ここに伊邪那岐命が詔りたまわれるには、然(シカ)らば吾と汝とで、是の天之御柱の周りを廻って逢い、美斗能麻具波比(ミトノマグワイ)をしましょう。

如此云期。乃詔汝者自右迴逢。我者自左迴逢。約竟以迴時。伊邪那美命先言阿那迩夜志愛(上)袁登古袁【此十字以音下效此】後伊邪那岐命言阿那迩夜志愛(上)袁登賣袁。各言竟之後。告其妹曰。女人先言不良。
かく期(?)りて すなはち「汝は右より廻り逢へ、我は左より廻り逢はむ。」と詔りたまひき。、約(チギ)り竟(オ)へて廻る時、伊邪那美命、先に「あなにやし、えをとこを。」と言ひ、後に伊邪那岐命、「あなにやし、えをとめを。」と言ひ、各言ひ竟へし後、その妹に告げた。「女人が先に言うのは良くない」
雖然久美度迩【此四字以音】興而。生子水蛭子。此子者入葦船而流去。次生淡嶋。是亦不入子之例。
然かし、くみど(?)に興して生める子は、水蛭子。この子は葦船に入れて流し去りました。次に淡島を生みました。これも亦、子の例には入れません。
これで訳は終わりですが、「あなたの身体はどのようになっていますか」「成り合わせることができないところがあります」
セックスに必要な道具と方法を具体的に述べています。
この部分は無くてもいいです。しかし、この部分は、日本書紀でも必要と見たか、古事記の真似をしたか判りませんがあります。男の元の部分と女の元の部分があると書かれています。必要も無いのに、なぜ詳しく書いてあるのでしょうか?
はじめ、日本書紀の書き方に比べて、古事記はうまいこと表現したなと感心しました。而成餘處一處在  「成成」は、成り成りては、どんどん大きくなってと解釈して感心したのですが、女性のほうにも書かれていまして、私の勇み足と言うことが判りました。
美斗能麻具波比とあります。美斗は御処(ミト)のことでしょうか? 麻具波比は、辞書を引きますと、「目交」とあります。元の意味は、好きで目と目が合うことですが、どうやらセックスのようです。「交」の含むセックスに関する熟語を辞書で求めますと、交合、性交、交接、媾交があります。当時、このような言葉はなかったのではないでしょうか? 行為自体はあり、麻具波比(マグワヒ)と言っていたが、詳しく説明をしたのだと思います。

古事記では、初めての所には、地名がありませんから、その場所の状況を詳しく書いています。そして、地名がわりにしています。(例、高天原) 
セックスは子供を作るための儀式のようなものですが、セックスのたびに、御柱の周りを廻るわけではありませんが、物を作るときは、御柱の周りを廻る儀式を行うのです。と言うことを述べているのでしょうか。そのルールを間違いますと、蛭子を産むような失敗をするという話を混ぜながら、水蛭子の誕生と淡島の誕生を語っています。水蛭子が子供で、淡島が島というところが理解できませんが、そのまま、前に進めることにします。
御柱は、避けて通ることは出来ませんので、項を改めて述べることにし、水蛭子と淡島です。

水蛭子(ヒルコ)
完成されていない赤ちゃんのことでしょうか? お寺に行きますと、よく水子供養という言葉を見ることが出来ます。水蛭子の蛭が抜けたように見えますが、同じことかどうか判りません。
葦船に乗せて流したとあります。無茶なことをするようにも思えますが、海軍などでは、水葬という儀式もありますから、無茶と言い切ることは出来ません。
もっとも、この時の水蛭子は、流れて海に出たことになっています。ある人に拾われて育てられます。そして、兵庫県の西宮の祭神になられたという伝説があります。西宮のえべっさんです。蛭子と書いてエビスと読みます。エビスはこの字のほかに、恵比寿、夷、戎、夷、恵比須、胡があります。
字の形から考えますと、なんだか外国から到来した雰囲気があります。
中国に苗族という人達がいます。其の中のトウ族という人達の国の始まりに、二人の夫婦が、水蛭子を生み、国土を作っていく神話が伝えられています。(諏訪春雄Webの記事)  苗族の人の風俗には、日本とよく似たところが多いので、日本に初めてやってきた人は、苗族の人の可能性が大きいとも言われています。

淡島
岩波文庫の説明では、所在不明となっています。なぜかと言いますと、二神は次々と島を生むことになります。そして、一番に生んだ島の名前が、淡道の穂の狭別島です。これを淡路島としているため、淡島が宙に浮いてしまいました。
古事記の作者は、他の島と切り離して、この部分で、水蛭子と淡島を示しました。そして、「これも亦、子の例には入れません」と断り書きを入れたのですから、所在不明で逃げては駄目だと思います。
淡島こそ、淡路島のことです。
いっぱい子供が生まれましたが、オノコロ島と水蛭子と淡島は子供に入れません。特別な子供ですと述べています。この部分が作者の一番に言いたかったところだと思います。

古事記には、なにが書かれていたか、もう一度復習しますと、
イサナギ神とイサナミ神は、天の沼矛を使ってオノコロ島を造ります。そこへ、天の御柱と八尋殿を建てて、新婚生活をはじめます。二人はどのように新婚生活を送ればいいか判らなくて、セックス問答をしながら、ようやく子供を産みますが、水蛭子であったので葦船に乗せて流しました。
次に産んだのが淡島です。「こも亦」とありますから、水蛭子も淡島も子の仲間に入れませんと書いてあります。
夫婦生活には、ルールがあります。見てください、間違ったから、水蛭子が産まれました。これから、後どんどん、産まれますが、オノコロ島も水蛭子(オノコロ島の麓の造成)も淡路島も特別の島ですよ。と注意を喚起したのだと思います。
 なんだか不思議な世界ですね。太安万侶は、現実の世界から、知らぬ間に半分は、水蛭子という人間の子供の誕生を述べ、気が付いたら日本列島の誕生に変化している世界を描きました。
こんな話は、いくら理解しようとしても無理だと思います。案の定、日本書紀の編集者は理解できず、大変なことになりました。10冊の本を登場させました。
 一方、古事記の方は、二人の神がセックスの知識がないことにして、滇(てん)からやって来た人たちの生活習慣の一部を織り込みました。雲南省には、御柱に関する伝承が伝わっているのではないかと推察しています。日本では、現在、4ヶ所で御柱が残っていますが、私は伊勢神宮にひっそりと伝えられていると思っています。
次回は、日本書紀では、どのように表現しているか調べて見ます。

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2006.08.23

No10 私が考えた【淤能碁呂島考】

タイトルに私が考えたと書きましたが、考えたのは、田村誠一という方です。そこで敬意を表しまして、著書に書いておられることを、そのまま、ご紹介します。

淤能碁呂島は、蒜山高原にあった
田村誠一著 「燦然と輝いていた古代・続」より

この古事記の書き出しは新天地を開発する時高天原に渡来した神は天御中主神、次に高御産巣日神、次に神御産巣日神でこの三人の神は独身で他所に立ち去りました。次に早春で雪が枝に残り、脂が浮いている様にくらげが漂っている様に見える頃、葦の新芽が牙の様に繭えあがる頃に渡来した神は宇摩志阿斯訶備比古遅神、天の常立神でこの二人も独身で他所に立ち去りました。この五人の神は天ツ神ではありません。次に渡来した神は国常立神、豊雲野神でこの神も独身で立ち去りました。次に渡来した神は、ウヒジニ神と妹背の神、次に角代神と妹背の神、次にオオトノジ神と妹背の神、オモダル神と妹背の神、次にイサナギ神と妹背のイサナミ神です。
国常立神からイザナミ神までは七世帯です。

立ち去った神は全員、鳥取県八頭郡智頭町の、那岐神社に祭られ、ここは津山盆地の北に聾える、那岐山の北麓です。この山の名前はイザナギに由来していて、更に新天地を探す目的で、立ち去った神は、鳥取市から千代川を溺って津山盆地を訪れていました、古事記で高天原は夕カアマハラと読む様に、注まで加えてあります。高天原に由来する天ノ原、天ノ石屋戸、天ノ浮橋、天ノ真名井、天ノ香山等の天は、アマと発音することです。
雲南の都は昆明で、古代の地名で(サンズイ+眞)、テンと発音するので、天神(テンジン)はここから渡来していました、雲南は苗族の勢力圏です.この地区以外から渡来した神が別天神でした。昆明からハノイと広州に、河を下って海に出られ、黒潮に乗れは渡来できます。
天ノ沼矛、天ノ詔琴、天ノ波土弓等は雲南から持参したので、頭字はテンと発音します。
越に南詔国があったので、『記』の天の沼琴は、詔琴が正しかったことになります天神は、アマツカミと発音したのでは間違いで、天神は苗族の首長でした。蒜山高原は東西二十粁、南北十粁の広大な高原で、周囲が千米級の山に囲まれた盆地で要害の土地で、二れも建国に必要条件です。なだらかな高原で、平均海抜は五百米です。
太古には湖水でしたが、周囲の山の一ケ所が決壌して、湖水の水は旭川となって流失しました。この結果湖底は平坦で広大な沼になって、蓑が茂っていたので董原の中ツ国です。この沼を開拓すれば、米が沢山収穫できる予想から、この土地が選ばれました。高原の部分はブナの原生林で、なだらかな高原は天ノ原と呼ばれ、高天原が相応しい地名です。

中蒜山にあった御所
御所は都の中央に南面して、作ることか常識です。蒜山高原で、これに該当するのは中蒜山の中腹です、ここの海抜六七九米の所か造成した台地になっています。
イサナギとイザナミは天ノ沼矛で、地均しして台地状を作りました巾、天ノ沼矛は越から持参した沼を開墾する矛、すなはちスコップのことでした、
国土地理院の2万5千分の一の蒜山の地図でも、ここは広大な台地だったことが分かります、この麓に塩釜があり、この塩釜は岡山市を流れる旭川の源流で、大量に水が沸いています。天照大御神とスサノオ命が「ウケヒ」の賭けをしたとき、剣等を水で清めた天ノ真名井はここでした.
日本百名水に選ばれた湧き水ですから、真名井の名前はもっとも相応しい地名で誰でも天の真名井なら、ここだと分かります。ここが『記』の地名の表現方法です、
蒜山高原は火山灰土のため、地均しした所は砂が舞い上がります。この為に硅酸塩が沢山に含まれた塩釜の水を撒いて砂ぼこりを防ぎました。『記』で塩を垂らしたと書いてあるのは・塩釜の水を使用して土を固めたので、塩釜の地名は古代史を解く鍵でした。
蒜山高原は毎朝雲海が立ち込め、これは六七九米の高所にあった御所より、低い所にできます。特に蒜山高原の雲海は、向こうの岸に渡れる様な印象を受けるのて天の浮橋(アマノウキハシ)と書かれています。これも御所が雲海より高いところにあった証拠です。
御所を作った台地はオノゴロ島と書いて、しかも島ではないと断ってあります。雲海に突出した出島だから、島がついていても誤解しない様に注意書がしてあります。 ( 著書そのままの文です。)

お見事と思われませんか、小説ではありません。
高天原が蒜山高原だった証拠は、高天原を訪れた七十数名の神々が、ここの七座の神社に
祭られていたことです、この事実は「美作神社資料」で分かります と書いておられます。私は確かめていません。ただ、蒜山高原に行き、その辺にある神社を片っ端からめぐってきました。
天皇から日本の歴史書を作れと命令された稗田阿礼も、私と同じように、蒜山や伯耆・出雲あたりを歩き廻ったのだと思います。そして、この七座の神社の近くに、伝説として伝えられているイザナギやイザナミが住んでいたところは、蒜山高原だと思ったのでしょう。稗田阿礼が訪れる千年前の事です。天つ神たちが住んでいた高原ですから、【高天原】と命名したのは、太安万侶ではないでしょうか? 
昔からあった【高天原】ではありませんから、日本書紀の編集者たちは、なんのことか判りません。No2で述べましたように、古事記の作者は、単に、五人の神は、天ツ神ではありませんよと書きたかっただけですのに、地球の生成というスケールの大きなものになりました。
そのように考えると、【高天原】は、天上のことでしかないことになりました。初めが間違ったために、日本書紀は、古事記とどんどん離れることになりました。
実際に、ヒルゼン高原を訪れてください。中蒜山の中腹に、日留宮が祭られています。緯度的にいいますと、重要な地点です。ここに、天の浮橋がかかっていたと思われます。その反対側の架橋部分は、茅部神社の裏山になります。ここに、天の岩戸があるというので、登ってきましたが、途中で心臓が破裂しそうでしたので、諦めて下山しました。勿論、天の真名井もあり、おまけに、岩戸を開けたときに落ちたという岩がいっぱい登山口にありました。 これらのものがいつの時代からあるのか、知りません。天照大神が隠れたという天の岩戸の神話は、太安万侶の創作ですから、落ちた岩などあるわけではありませんが、そのあたりを歩きまわりましたが、大きな岩また岩がゴロゴロしていました。
 茅部神社の祭神は、足名槌命 天児屋根命 大綿津美命 神直日神 菅原神 武内大臣 手名槌命です。
近くの神社の祭神も書いておきます。
福田神社-川上村
天照大御神 稲田姫 上筒之男命 宇賀之御魂 ウケモチ 大国主命 オオゲツ姫
大物主命 大山咋命 大山祇命 カグツチ 神倭磐余彦神(神式) ククノチ 
猿田彦命 志那津彦神 志那津姫  素盞鳴命 瀬織津姫 底筒之男命 玉依姫
豊玉彦命 豊玉姫 中筒之男命 品陀和気命 ミツハノメ ヤチマタヒコ 
ヤチマタ姫
長田神社---八束村
天津日子根命 天忍穂耳命 天菩卑能命活津日子根命 伊邪那岐命 伊邪那美命
市杵島姫命 息長帯姫命 熊野久須卑命 闇オガミ 事代主命 神功皇后 
高オガミ 多岐津姫命 武甕槌命 田心姫命 二二ギ命 経津主命

加茂神社--八束村
味スキ高日子根命 金山比古命 来名戸神 木花佐久夜姫 佐田比古下照姫 
速秋津比'古命 速秋津比売 別雷命

中和神社…中和村
大年神 久那止神 狭依比売 植山姫命 速玉男命 泉津事解男命 
徳山神社--川上村
手力男命 水分神
注---_福田神社、長田神社の順に重複した祭神は省略しました。

中和神社以外は、全部行ってきました。他にも、2日間で、いっぱい行ってきました。
蒜山高原に鎮座されている多くの神々は、いつからおられるのでしょう。  茅部神社の大きな石の鳥居は、日本で一番だそうです。神社の前は、きれいに整備されていましたので、のんびり一時間ほど過ごしました。 
古事記や日本書紀に書かれていることのみを、ああでもないこうでもないと考えていることが馬鹿らしくなってきます。
 こうして、田村氏と同様に、私は蒜山の神々に、高天原は蒜山高原にあったと洗脳されたことになります。
【蒜山高原の五座】に未完成ですが、詳細を書いています。興味ありましたら、ご覧ください。
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page218.html

【蒜山高原】http://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page457.htmlこちらは、ヒルゼン高原を訪れたときの旅行記みたいなものです。これも未完成です。写真がありますので、どうぞ。

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2006.08.21

No9 日本書紀に見られる国生み

伊弉諾尊。伊弉冊尊。立於天浮橋之上共計曰。底下豈無國歟。廼以天之瓊〈瓊。玉也。此曰努。〉矛、指下而探之。是獲滄溟。其矛鋒滴瀝之潮。凝成一嶋。名之曰磤馭慮嶋。

日本書紀の原文は僅かこれだけです。
伊弉諾尊と伊弉冊尊は、天の浮橋の上に立って、相談して言われました。「この底の一番下に国がないはずはない」と云って、玉で飾った矛で以てぐるぐる廻し、指し下して探した。そこに緑がかった海を見つけました。その矛の先から、滴るしずくの潮が凝固して一つの島と成った。これを名づけて磤馭慮嶋という。

前回に、10冊の本があると書きましたが、そのうち、オノコロ島のことが書いてあるのは、最初の4冊だけです。他の書物は、その後に続く、オノコロ島以外の島について書かれています。

一書によると、(1)
天つ神が、伊弉諾尊と伊弉冊尊に語っていわれるのに、「豊葦原の、豊かな稲穂の実のる国がある。お前たちが行って治めるべきである」とおっしゃって、天瓊矛を下さった。そこで二柱の神は、天の浮橋にお立ちになって、矛で探された。青海原をかき回して引き上げるときに、矛の先からしたたり落ちる潮がかたまって島となった。それを名づけて磤馭慮島といった。

一書によると、(2)
伊弉諾尊と伊弉冊尊の二柱の神が、霧の中に立っていわれるのに、「われらは国をつくろう」と。そして天瓊矛をもって下の方の海を探ったら磤馭慮島を得られた。それで矛をぬきあげて喜んでいわれた。「良かった。国ができた」と。

一書によると、(3)
伊弉諾尊と伊弉冊尊の二柱の神が、高天原においでになっていわれるのに、「国をつくろう」と。そして、玉飾りの矛で磤馭慮島を、海をかき混ぜて造った。

一書によると、(4)
伊弉諾尊と伊弉冊尊の二柱の神が、語り合って云われるのに、「何か脂のようなものが浮かんでいる。その中に国があるのだろう」といって、玉飾りの矛で、海中をかきさぐって一つの島をつくった。名づけて磤馭慮島という。

飛ばさずに読まれましたか?  日本書紀の本文はなんのことか判らないのに、参考書は意味がすっきりしています。本文の理解し難いところを補ったような形をとっています。私が気になった部分を箇条書きに記します。
① 古事記では、天つ神が伊邪那岐命と伊邪那美命に、国を作るように命令しています。日本書紀では、その1の書が、その形態をとっていますが、おかしいです。豊葦原の、豊かな稲穂の実のる国があることがわかっていて、その国を治めに行くのに、天瓊矛を受け取って、それで海をかき回して、島ができたことになっています。
② すべてに共通しているのは、矛で島が出来上がった事です。この矛が、古事記では、天沼矛となっているのですが、これがどのような矛なのか判らなかったようです。「沼」は、「ぬ」と読むことにしたようです。沼では何のことか判らないので、「ぬ」は、「瓊」に置き換えたことが本文から判ります。「瓊」では判ってもらえないと思い、〈瓊。玉也。此曰努。〉を付けました。〈瓊は玉のことです。此れは努(ぬ)と読みます〉と、読み方まで丁寧に書きました。
③ 「天の浮橋」も理解できませんでした。しかし、中には、雲海のことではないかと云う人もいたらしく、その2の書において、「霧の中に立って」と表現しました。
④ この出来事は、高天原の出来事だということになったのでしょう。その3の書に入れました。
⑤ 古事記に「この漂へる國を修め理り固せ成せ」との表現があります。この漂える国とは、No2ででてきました、「國稚如浮脂而」です。高天原の様子を古事記が書いた文章です。脂が浮いて漂っているとの意味です。

4つの書物に書かれていることをつなぎ合わせると古事記になります。逆に、古事記の理解できない部分をバラバラにして、判りやすく説明しますと、4つの書物プラス本文になります。
多くの方は、このように書きますと、そりゃ古事記が日本書紀をみて、書いたのだといわれると思います。
別に、それでもいいと思います。しかし、それでは、磤馭慮島はどうして出来たのだ。何故このような名前になったのだ。古事記の淤能碁呂島であれば、誰でも読めますが、太安万侶は磤馭慮島を淤能碁呂島と読むことができるのが、どうして判ったのでしょう。これから、記紀の表示が異なるのは、いっぱい出てきますが、全部、日本書紀の方が読むのが難しいです。古事記の序文で、表記に難儀したことを述べています。一方、多くの中国人を抱えていた日本書紀のグループのひとにとれば、難しい漢字を用いることは、なんでもなかったと思います。
 淤能碁呂島を音だけを採用するのであれば、磤馭慮島でなくてもいくらでも表記できますのに、敢えて、磤馭慮島を使ったということは、なにか意図があったと思われます。読んでほしくなかったことは、確かです。
脱線しました。天瓊矛とは、どのようなものか。孫悟空がもっているような伸び縮みのする棒のようなものでしょうか。矛ですから、普通に考えると武器です。天の浮橋はどのような橋か。
お前は、馬鹿だなという声が聞こえてきそうです。だから神話なのだ。そんな屁理屈など要らないのです。
そのような事はありません。神話といっているのは、現在の学者や歴史好きの人たちだけです。
古事記には、序文に、どうして古事記が編纂されることになったかが書かれています。
詳しくは別の機会に書きますが、「今の時に当たりて、其の失を改めずば、未だ幾年をも経ずしてその旨滅びなむとす」という文があります。どうして、帝紀に偽りが多いだけで、数年で朝廷が滅びるでしょうか? 幾年も経ないのですから、もう滅びると天皇は言われたと太安万侶は書いています。現実に天武天皇は、死ぬことになります。天武天皇は、自分が殺されることを知っていたのだと思います。
太安万侶は、このように際せまった状態の中で、天武天皇が望まれるような正しい歴史を書くことを決心します。太安万侶は、おとぎばなしのようなことを書きながら、其の中に、是非とも伝えたいメッセージを忍び込ませたと思っています。

No2 で書きましたように、神の名前は、なぜつけられたかの考察は必要かもしれませんが、【上件五柱神者、別天神】だけは、残したかったのだと思います。五人の神は、天つ神ではありませんと書いたのに、日本書紀の編集者は、逆に五人が天つ神の中でも特別の神と受け取り、日本書紀では、外しました。何故、逆に受け取ったかといいますと、【高天原】のことが判らなかったからです。【高天原】が蒜山高原であるとわかってしまえば、藤原不比等は、徹底的に、蒜山の遺跡は壊して、証拠をなくしたと思います。
太安万侶は、訳の判らないように書きました。彼の勝利です。それでも、古事記は、姿を消してしまいました。

お判り願えましたか? 全然といわれると思います。
次回は、私が考えた【淤能碁呂島考】を読んでください。

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2006.08.20

No8 国生みと国土の修理固成

タイトルの言葉は意味がわかりますか? これは、宇治谷孟著の日本書紀と倉野憲司著の古事記の翻訳本につけられているサブタイトルです。「国生み」とは、何のことか判りません。国が生まれたことでしょうか。国土の修理固成になると一層判りません。修理は判るとして、固成という言葉は辞書に載っていません。古事記の本文に、「修理固成」と書いてあります。倉野氏は、この部分を「修(をさ)め理(つく)り固(かた)め成(な)せ」と翻訳されています。修理は修繕するのだと思っていたら、違うのです。「修(をさ)め理(つく)り」とは、意味が判りません。「固(かた)め成(な)せ」になると一層判りません。
プロの方を非難しているのではありません。倉野氏は翻訳されたものの、古事記に書かれていることは、何のことか理解できなかったのではないかと思います。宇治谷氏は、古事記も、日本書紀も読まれたようです。古事記の翻訳本よりは、判りやすいですが、やはり全体を通して読むと意味がよく判りません。タイトルは、それを見れば内容がある程度判るようにつけるものですが、内容が理解できないために、両氏とも、変なタイトルをつけられました。
日本書紀の編集者は、古事記を全く見ないで日本書紀を作れば、このような事になりませんでした。地球がどのようにしてできたかは、現在でも通用するぐらいのことを書いたのです。ところが、日本の各島がどのようにしてできたかは、古事記を参考にしました。
 きっと、何のことか判らなかったのだと思います。そこで、「神世七代」のときと同じ手法をとりました。全部で10冊の本がありますと挙げています。「神世七代」の時は、6冊でしたから、今回は、日本書紀の編集者は、一層書くことに困難を伴ったと思われます。
倉野氏と宇治谷氏が苦労されたのと同様に苦労しました。
 えらそうに書いている私も、変な古事記と日本書紀を料理しようというのですから、勿論、自信がありません。この回は、その2、その3と続けることになりそうです。

先ずは、オノゴロ島の誕生までを眺めてみます。
古事記を読んでみます。
国土の修理固成 (原文)
於是天神諸命以。詔伊邪那岐命伊邪那美命二柱神。修理固成是多陀用幣
流之國。賜天沼矛而。言依賜也。故二柱神立【訓立云多多志】天浮橋而。
指下其沼矛以畫者。鹽許袁呂許袁呂迩【此七字以音】畫鳴【訓鳴云那志】而。
引上時。自其矛末垂落之鹽。累積成嶋。是淤能碁呂嶋【自淤以下四字以音】
 以下、古事記翻訳本の訳です
ここに天つ神諸の命もちて、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神に
「この漂へる國を修め理り固せ成せ。」と詔りて、天の沼矛を賜ひて、
言依(ことよ)さしたまひき。故、二柱の神、天の浮橋に立たして、その沼矛を
指し下ろして畫きたまへぱ、塩こをろこをろに畫き鳴らして引き上げたまふ時、
その矛の末より垂り落つる塩、累なり積もりて島と成りき。これ淤能碁呂島なり。
 
英語の文章を翻訳するときは、あまり翻訳者の考えを入れては、全く、書いた人が云いたかったことと異なるものになる可能性があります。そこで、そのまま、訳す直訳がいいように思います。ところが、直訳をしたら、さっぱり意味が通らなくなった倉野氏は、欄外に、注意書きを入れられました。
① 天つ神諸々の命もちて----天つ神一同(別天つ神五柱)のお言葉で。
② 伊邪那岐命の命の部分----古事記では、神と命を区別し、神は宗教的、命は人格的意義において用いられている。
③ 天沼矛------------------------玉で飾った矛
④ 言依(ことよ)さし--------------御委任なさった
⑤ 天の浮橋---------------------神が下界に降る時に天空に浮いてかかる橋
⑥ 立たして------------------- お立ちになって
⑦ 塩こをろこをろに畫き鳴らして--海水をコロコロと攪き鳴らして
⑧ 淤能碁呂島-----------------自然に凝って出来た島の意。所在不明。

 この注意書きを入れることによって、読者に理解し易いようにと倉野氏は思われのでしょうが、No1とNo2で書きましたように、倉野氏は古事記に最初に書かれている五人が、天つ神の特別の神と捉えておられます。(私は天つ神ではありませんと古事記の作者は書いたと思っています)。この部分は、横に置くとして、倉野氏は五人の神が伊邪那岐命と伊邪那美命に国土の修理固成を命令したことにしておられます。この五人は身を隠しましたから、高天原に居ないはずです。
天の浮橋は「神が下界に降る時に天空に浮いてかかる橋」と解説しておられるということは、高天原は、天上にあることにしておられます。 天上から下界に降りてくる橋など、本当にあるのでしょうか?
「塩こをろこをろに畫き鳴らして」を「海水をコロコロと攪き鳴らして」としておられます。 私は、この短い文章の中に、3つの疑問点があります。
「塩」と書いてあるのに、どうして海水になるのでしょうか? 「こをろこをろ」がどうしてコロコロになるのでしょうか? 「攪き鳴らして」と書いてありますから、天沼矛でかき回したようです。そのときに、コロコロと音が鳴ったと解釈されたのだと思います。

原文は、「鹽許袁呂許袁呂迩【此七字以音】畫鳴【訓鳴云那志】而」と書きましたが、倉野氏が書かれた『古事記』の巻末には、「鹽許々袁々呂々迩【此七字以音】畫鳴【訓鳴云那志】而」と書いてあります。「許々袁々呂々」と書いてある時は、「許袁呂許袁呂」と読むという例がどこかにあるのであれば、それでも良いのですが、【此七字以音】の注釈がありますから、そのまま、書きますと、「ココヲヲロロ」となります。 オノゴロ島に似ていませんか?
「畫鳴【訓鳴云那志】而」の部分は、「画きなし而(て)」ではないでしょうか? 区画の画です。ある区画を決めてオノコロ島を作ったのでしょう。太安万侶は、「なし」という適当な字がみつからなかったので、「鳴」を書いて、【訓鳴云那志】という注意書きを入れました。だから、音が鳴るの意味はありません。従いまして、「ココヲヲロロ」もかき混ぜる音ではなく、何かのメッセージだと思います。オノゴロ島は、古事記では、「淤能碁呂島」と書きました。勿論、こんな島はありません。日本書紀の編集者は、負けないようにオノコロ島のことを書きました。磤馭慮島と書きました。本当に磤馭慮島と書いて、オノコロ島と読めるのでしょうか? 当時の人でも読めなかったと思います。宇治谷孟著の日本書紀では、「おのころしま」と振り仮名を打っておられます。
日本書紀では、このオノコロ島の意味がよく判らなかったようです。
古事記では、「塩」が使われていますが、「潮」の字が使われています。此の字ですと、海のことになります。このようなところから、倉野氏は海に天沼矛を突っ込んで、持ち上げたら塩が垂れたと書いておられます。此の部分は、これで辻褄が合ったのですが、倉野氏は、天沼矛を「神が下界に降る時に天空に浮いてかかる橋」の上から、海に突っ込んでかき回したとされています。 天の浮橋は天上から下界までかかる橋ですから、橋の上の方であれば、とてつもなく長い天沼矛が必要になります。下の方であれば、天沼矛は短くても良いですが、それでは、そこから垂れた塩が固まったぐらいでは、オノコロ島はできません。
倉野氏だけではありません。日本中の研究者のだれ一人として解明されている方はありません。
日本書紀の編集者もさっぱり判りませんでした。そこで、10冊の本があります。ここには、これこれの話が書いてありますから、よく読んでくださいと、読者に下駄を預けています。
預けられた読者は、一層、頭の混乱を招いてしまいました。次回は、日本書紀を眺めます。

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2006.08.17

神世七代

古事記では始めに、五人の神さんが高天原に登場します。この神さんは別天神と呼んでいます。この神は、それぞれ高天原から去って行きます。
次に登場するのが、七人の神です。この七人は、記紀に掲載されています。両方に掲載されているときは、有り難いです。比較することが出来るからです。

古事記では、
①國之常立神  ----------独神--隱身
②豊雲(上)野神 ----------独神--隱身
③宇比地迩(上)神 、 妹須比智迩(去)神
④次角杙神、次妹活杙神
⑤意富斗能地神、妹大斗乃辨神
⑥淤母陀流神、妹阿夜(上)訶志古泥神
⑦伊邪那岐神、妹伊邪那美神
 No5で書きました別天神と別に七人の神を書いたということは、この七人の神は、天つ神ですよと念を押したと見るべきです。其の点、日本書紀が理解できているかどうかです。①②は、高天原から去って行きましたから、残った五組の夫婦(?)神です。

次は、日本書紀に記された神を掲載します。
① 国常立尊
② 国狭槌尊
③ 豊斟渟尊
④ 泥土煮尊、沙土煮尊
⑤ 大戸之道尊、大苫邊尊
⑥ 面足尊、惶根尊
⑦ 伊弉諾尊、伊弉冊尊

日本書紀では、④から⑦までは、男女で一代と考え、上記の7組の神を神世七代と呼んでいます。
①から③までには、本によって異なっていると、次の6冊の場合を挙げています。

一書によると、(1)
国常立尊(別名・国底立尊)
国狭槌尊(別名・国狭立尊)
豊斟渟尊(別名・豊組野尊、または豊香節野尊、または浮経野豊買尊、または豊国野尊、または豊齧野尊、または葉木国野尊、または見野尊)

一書によると、(2)
昔、国がまだ若く、大地も若かった時には、例えて云えば、水に浮かんだ脂のように漂っていた。そんなとき、国の中にある物が生まれた。形は葦の芽がつき出したようであった。これから生まれた神があった。可美葦牙彦舅尊という。次に国常立尊。国狭槌尊。

一書によると、(3)
 天地がぐるぐる回転して、かたちがまだ定まらないときに、はじめて神のような人であった。可美葦牙彦舅尊という。次に国底立尊。舅尊をヒコジという。

一書によると、(4)
 天地がはじめて分かれるときに、始めて一緒に生まれ出た神があった。国常立尊という。次に国狭立尊。高天原においでになる神の名は、天御中主尊。高皇産霊尊。神皇産霊尊。皇産霊---これをミムスヒという。

一書によると、(5)
 天地がまだ固まらないとき、たとえば海上に浮かんだ雲の根がないように、漂っていた中に、一つの物が生まれた。葦の芽がはじめて泥のなかから生えだしたようである。それが人となった。国常立尊である。

一書によると、(6)
天地がはじめて分かれたとき、ある物があり、葦の芽のようで空の中に生まれた。これから出られる神を国常立尊という。次に可美葦牙彦舅尊。またある物があり、浮かんだ脂のようで空の中にできた。これから生まれた神を国常立尊という。

さて、6冊の中身を読んでいただけましたか? 宇治谷孟氏の翻訳を写したようなものですが、写すだけでも大変でした。読むだけでも大変ですが、その大変さを実感していただきたいのです。

私が考えたことを記します。
(イ) (2)より(6)までは、表現の違いはありますが、【天地がはじめて分かれたとき】とか、
   【天地がまだ固まらないとき】というように、地球の成り立ちを述べています。

(ロ) 葦のことを書いた本は、(2)(3)(5)(6)です。地球の生成と葦はまったく関係が無いのに、4冊の本には、書かれていることになります。

(ハ) (1)に書かれていることは、日本書紀の本文に当たる部分に書かれた三人の神の別名が
書いてあるだけです。このような本は、実際にあった可能性はありますが、別名の神を祭った神社は、すべて調べたわけではありませんが、発見していません。適当に書いた可能性があります。では、何故、そのような事をする必要があったかです。別名がいっぱいあると書いてなんら利点はありません。嘘をかいたとすると、なにか書いたことにより、得をすることがあるはずですが、理由を思いつきません。ということは、正しいことが書いてあるのかもしれません。
(ニ) (4)の本がもっとも、不思議な本です。日本書紀の編集者が思ったことと同じように、もっとも、神世七代の中で、大切な神で最初に生まれたのは、国常立尊です。次が国狭立尊ですと書いてあります。次が、豊斟渟尊ではなく、天御中主尊。高皇産霊尊。神皇産霊尊の三人の神だと書いてあります。書いたものの、皇産霊尊は読めないであろうからと、日本書紀の人が【皇産霊---これをミムスヒという】と解説したように思われます。
   天御中主尊。高皇産霊尊。神皇産霊尊の三人の神は、どこかで見たような神です。
 古事記に最初に登場する天之御中主神、高御産巣日神、 神産巣日神です。
 「御産巣日」の部分を「ミムスヒ」と無理やりに読めば読むことが出来そうです。
 古事記に書かれている「御産巣日」を日本書紀の編集者は、読むことができなかったのですが、きっと、 「ミムスヒ」と読んだと思われます。日本書紀の編集者は、古事記に書かれている神の名前や地名は、悉く、 異なる 漢字を使っています。
   (4)の本の天御中主尊。高皇産霊尊。神皇産霊尊の部分が、古事記の天之御中主神、高御産巣日神、 神
産巣日神と、偶々、一致することは有り得ます。古事記の編集者が、(4)の本に書いてあったことを真似したこと
も起こりえます。
   しかし、大物主の名前ぐらいが同じですと、日本書紀の編集者が古事記を参考にし、一部をかえたのであれ
ば、その行為の良し悪しを別にすれば、現在でもよく行われる事です。ところが、100パーセント近く、漢字の表記を変更してあるとすれば、日本書紀の編集者が古事記を参考にして、その上で、古事記を消し去ろうと考えたと見るほか、説明がつきません。    (4)の本の紹介は、古事記と似たようにな本も有るのですよと読者に思わせるには、6冊の中で最も、重要な役割をしています。

(ホ) 古事記に4番目に登場した神の名前として、「宇摩志阿斯訶備比古遲神」が書かれています。本当にいたかどうか不明です。私はいたのだと考えています。「宇摩志」は「美し」で、美しいとか立派なという尊称でしょう。日本語では、様とか殿は名前の後に来ますが、名前の前に付ける国からやって来た人ではと思います。「阿斯訶備」は、「アシカビ」という名前だったのでしょう。日本書紀の編集者には、「比古遲」の「遲」の意味が判らなかったのでしょう。遅れて高天原にやって来た人です。書紀では、「舅」にしました。
   「宇摩志阿斯訶備比古遲神」の神一つを取り上げても、日本書紀の編集者は、相当苦労したことが判ります。

此れぐらいにしたく思います。このように眺めてきますと、日本書紀の編集者は、この6冊の本の内容をなぜ、挿入したかお判りになられると思います。高天原にやって来た人は、7人であり、その中で一番は重要な人物は、本文に書かれている「国常立尊」であることを強調するために書いてあるように思います。

なにが、日本書紀の編集者にとって、困ったかといいますと、古事記の次の部分です。
次、國稚如浮脂而、久羅下那洲多陀用幣流之時【流字以上十字以音】如葦牙因萌騰之物而、成神名、宇摩志阿斯訶備比古遲神。 たつた此れだけの意味が判らなかったのと、古事記の最初の部分の「天地初發之時、於高天原、成神名」これを、地球の生成のことだと勘違いしたために、判らないとはいえないために、6冊の本に書かれていることも読んでくださいと、書き並べてました。

以後、このように他の伝説もありますというような部分は、同じ手法で読み解くことができると考えています。私しより、先に、調べて楽しんでください。

それから忘れていました。記紀の神世七代の名前をどのように読むのか、原書ではどちらにも振り仮名はありません。翻訳本では、どちらにも読み方が書いてあります。
面足尊淤母陀流神などは、最高の傑作と思われませんか?  他の神も、並べて読んで見てください。日本書紀の編集者がいかに、苦労して古事記と違う漢字で表現したかったかが理解できると思います。

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2006.08.16

No 6 高天原は、クラゲが漂うようなところでした

古事記は、新天地を切り開くために、高天原にやって来た三人が到着したときの様子を「國は稚(ワカ)く、脂(アブラ)が浮く如くして、久羅下那洲多陀用幣流(クラゲナスタダヨヘル)之時【流字以上十字以音】葦の芽が牙の如くに、因(ヨ)りて、萌え騰(アガ)る物のようなときに、成れる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遲神(ウマシカシカビヒコチカミ)」と表現しました。これがどうして、蒜山高原になるのか、私には説明ができません。
高天原は、蒜山高原だと提唱された田村誠一氏は、著書『平成古事記』の中で、次のように、蒜山高原を紹介しています。

新天地を開発しようとして三人の独身の神が高天原にやって来ました。大山・蒜山国立公園の蒜山高原は広い諏訪湖の半分位の面積の水田が広がっていて、この水田は海抜500米です。周囲を1000米級の山が囲んでいて要害の土地です。水田の周囲はなだらかな高原で東西20km、南北10kmの広大な盆地です。
太古の時代には盆地は湖水で一ケ所が切れて旭川となって流れだしました。湖水の湖底が平坦で古代には葦が茂っていました。これが豊葦原の国です。高原地帯は全部ブナの原生林におおわれていました。この林は近くの大山の南壁の原生林から想像できる様に一日中薄日が刺していました。
水田の面積に応じて津山藩が年貢米を割り当てていました。日照時間が少なくて高冷地
のため米の収穫が少ないと事情を訴えても役人が聞いてくれません。最後には百姓一揆まで起きて沢山の人が打ち首になった悲しい歴史があります。
米の収穫が少ないのは水田に絶えず冷たい水が流れ込むためと分かって、古老に聞いた
所では四年かかってブナの原生林を全部焼き払いました。
現在の高原にはブナは全く見られないのはこのためです。
この蒜山高原は天つ神が開国した高原だから高天原と呼ばれました。高天原に関係があ
と地名や物などはすべてアマと発音します。例えば高天原の雲海は天の浮橋、旭川の源
流の塩釜の泉は天の真名井、鉄は天の鉄山と書いて天の文字をアマと読みます。
開国したのは紀元前三世紀でこの時すでにユダヤ人は吉備で倭人が生産した絹を陸のシルクロードと海のシルクロードを通ってパルティアやローマ帝国に運んでいました。
漢民族は筑紫の吉野ケ里に橋頭堡を作りて関東の秩父の絹を中国本土に運んでいました。
この中国の秦の始皇帝が紀元前220年に徐福が子供や男女合わせて数千人が最初佐賀に来て、ここに漢人が既に来ている事が分かり、紀州の南の新宮に渡来して来ました。同じ頃伊耶那岐命と伊耶那美命も隠岐に渡来しました。

大した文章ではないと思われましたか。現在では、ブナ林はありませんので、住んでいても気がつきません。しかし、住んでいると、長い冬が過ぎて、春になると雪を少しずつ撥ね退けていく葦はやはりあります。実は、田村氏は蒜山高原に住んでおられたことがありますが、高天原が蒜山高原にあるという発想は、勝山中学校の英語の先生をしておられた佐竹先生が『神代遺蹟考』を出版され、それに触れられてからと書いておられます。
実際に住んでみるのは大変ですが、一週間ほど、ゆっくり滞在していると、この文章の意味が少しぐらい理解できるのではないかと思っています。

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2006.08.13

No 5 日本書紀の始めの部分 その2

もう一度、翻訳を記します。
昔、天と地がまだ分かれてなくて、陰陽の区別も無かった頃、混沌として鶏の卵の中身のようであった。ほの暗くぼんやりした中に、牙(?)を含んでいた。其れは清くなり陽となって、薄くたなびきながら、天となった。重くて濁ったものは、下のものを覆い滞って、大地となった。精妙(せいみょう)なものは、搏(う)ち合わせ易かったが、重く濁ったものは、凝固し難かった。だから、天が先に形成し、地が後から定まりました。然る後に、其の中に神が生まれました。
それで次のように言われる。天地の開闢のはじめは、洲は壊れて浮き漂っていました。例えるならば、泳いでいる魚が水の上の方で、浮いているようなものでした。
そのような時、天地の中に、一つの物が生まれた。それは葦牙のようなものでした。便(やわらかく)化して神となりました。 名づけて國常立尊。(大変貴い方は、「尊」といい、それ以外の方は「命」といい、ともに、ミコトと訓(よ)む。以下すべてこれに従う)
次に國狹槌尊、次に豐斟渟尊と全部で三柱の神が生まれた。乾いた道を獨りで生まれ変わられました。だから、純粋の男性に成られました。

他の方の翻訳文を参考にして、自分なりの翻訳を試みました。とはいうものの、No4において、不満をいっぱい書きました。あまり文句を云わないで、少し前向きに解釈をしますと、えらいことが書いてあるような気もします。

もう一度翻訳をやり直します。
【昔、天と地がまだ分かれて】いないときの事です。大概の現象は陰と陽を持ってすれば説明がつくのですが、【陰陽の区別も無かった頃】の事です。宇宙はドロドロしたような状態でした。しかし、【ほの暗くぼんやりした中に、牙が芽生えました】卵のそれは新しい生命を誕生させますが、それと同じように、ドロドロしたものは、【其れは清くなり陽となって、薄くたなびきながら、天となった】。
【重くて濁ったものは、下のものを覆い滞って、大地となった】清い部分が、つぎつぎ内ち合わさっていくのは簡単でしたが、【重く濁ったものは、凝固し難かった。だから、天が先に形成され、地が後から定まりました】
さて、このようにして天と地ができました。天地の間に、何かがあることは判りましたが、形がみえるわけでもありません。色が見えるわけでもありません。そこに神の存在を見たのだと思います。それは雷神であり風神でもあったのですが、その神はなにかを創造するに違いないと思ったようです。
その神の名前を國常立尊と呼びました。最大の尊敬の気持ちを込めて、「尊」という字をつけて「ミコト」と呼びました。次の神は、國狹槌尊、次に豐斟渟尊です。固まり始めた大地は、もう乾き始めていました。その道を、地球を創造した三人の神は、新しく生まれ変わられた神・独り神でした。純粋の男神でした。
始めの翻訳より、少し理解し易いものとなりました。ところが、驚いたことに、全体の流れは、現在、私たちが知っている宇宙の創造と同じようなことを書いています。
宇宙がどのように生まれたか。詳しいことは知りませんが、以前テレビでみた映像を思いだしますと、
宇宙には、重いものやら、軽いものがいっぱい浮いています。どの物質もそれなりに重さを持っています。重さに応じて、それぞれは他のものを引きつける引力をもっています。接近した二つの物体はお互いに引き合って合体します。次第に大きくなり自分の体を維持しきれなくなりますと、爆発をして分裂を繰り返します。これらの物質は、ドロドロしたもので、大きな回転運動を繰り返している画像を見たような気がします。間違っているでしょうか?
アメリカの宇宙飛行士が、宇宙に飛び出し、地球を眺めていたときに、殆どの宇宙飛行士が、神の存在を確信したと述べていました。日本書紀を編纂した人たちは、議論をしただと思います。
日本の歴史を正確に書くために、どうして始めに、地球ができたのか、どうして三人の神が出現したのか知りたいところです。
ところが、簡単です。彼らは、此れが間違いないであろうと言うものを、上のように書きました。ところが、他の本によると違う話も書かれていますと、ある書では、これこれと違う部分を書いています。それは、全部で6冊の本になります。詳細は日本書紀で確かめてください。以下に、簡単に記します。
① 天地の間に、一つの物が空中にあった。そのありさまは形容しがたい。其の中に神が生まれました。以下、神の名前が別名も含めて書かれています。
② 国も若く、大地も若かった時には、例えば水に浮かんだ脂のように漂っていた。其の中に、形が葦の芽のようなものが生まれて、それが神になった。
③ 天地がぐるぐる回転して、形がまだ定まらないときに、はじめに神のような人があった。
④ 天地がはじめて分かれるときに、始めて一緒に生まれ出た神があった。國常立尊次の神は、國狹槌尊。高天原においでになる神の名前は、天御中主尊、高皇産霊尊、、神皇産霊尊。 皇産霊を「ミムスヒ」と読みますと注がついています。
⑤ 天地が固まらないときに、海上に浮かんだ雲の根がないように、漂っている中に、一つの物が生まれた。葦の芽がはじめて泥の中から生えだしたようである。それが人となった。
⑥ 天地がはじめて分かれるときに、ある物があり、葦の芽のようで空の中に生まれた。これから出られる神を天常立尊という。次に可美葦牙彦舅尊という。

こんなに参考書があったのに、現在は一冊も残っていません。

No2 において、古事記の最初の部分に検討を加えました。もう一度、読んでください。もう一度、次に掲載します。

天地(てんち)を初めて開發する時、高天原(タカアマガハラ)に於いて、お成りになった神の名は、
天(アマ)之御中主神(テンノミナカヌシノカミ) 【訓、高下天云、阿麻。下效此。】
次に、高御産巣日神(タカオサンスビノカミ)。
次に、神産巣日神。 (カミサンスビノカミ)。
此ノ三柱(ミハシラ)ノ神は、並んで獨り身の神と成り坐して、身を隱されました。
次に、國は稚(ワカ)く、脂(アブラ)が浮く如くして、久羅下那洲多陀用幣流(クラゲナスタダヨヘル)之時【流字以上十字以音】葦の芽が牙の如くに、因(ヨ)りて、萌え騰(アガ)る物のようなときに、成れる神の名は、
宇摩志阿斯訶備比古遲神(ウマシカシカビヒコチカミ)。【此神名以音(此の神の名は、漢字の意味は無く、音だけです)。】
次に、天之常立神(アマノトコタチカミ)。【訓ずる 常と云う字は、登許(トコ)、訓ずる、立と云う字は多知(タチ)。】
此(この)二柱の神も亦、獨り神と成りまして、身を隱されました。
 
 上の件の五柱の神は、天神(アマのカミ)とは別の神です。

なにか気付かれましたか? 私が気づいたことを列挙します。
古事記に書かれていることを7つの説に分散したことになっています。
① 古事記では高御産巣日神と書かれているのが、日本書紀では高皇産霊尊。
  古事記では神産巣日神と書かれているのが、 日本書紀では神皇産霊尊。
古事記では天之御中主神と書かれているのが、日本書紀では天御中主尊。
古事記では宇摩志阿斯訶備比古遲神と書かれているのが、日本書紀では可美葦牙彦舅尊。
古事記では天之常立神と書かれているのが、日本書紀では國常立尊。
② 日本書紀には皇産霊を「ミムスヒ」と読むと断っています。断らないと読むことができないから、「ミムスヒ」と指定しました。古事記の方は、御産巣日となっています。 「ミムスヒ」と読めないことはありません。
③ 古事記では「神」となっている所は、すべて、「尊」になっています。これも「ミコト」と説明があります。説明をしないと判らないが、尊という字を使ったことがわかります。
④ 古事記に最初に現われた神は、天之御中主神、高御産巣日神、 神産巣日神の三人です。
  日本書紀では、三人とも出てきません。第4書にのみ、書かれています。
⑤ 古事記には、 「葦の芽が牙の如くに」と葦があります。日本書紀にも、 「牙(?)を含んでいた」とあり、葦を含んでいます。

一番のポイントは、⑤の葦のことです。古事記をもう一度読んでください。天地創造の話など、書かれていません。古事記が作られた712年に、これらの神は、各地の神社で祭られていました。その神社を訪れた稗田阿礼は、古老の話や神社の神の名前を入れて、物語を作成しました。そのように考えないと、蒜山高原や伯耆国には、古事記に登場する神が揃いすぎます。
三人の神は、新天地の開発をめざして、派遣された斥候のようなものです。目指して来た土地には、地名も何もありませんでした。(本当は縄文遺跡がありますから、住んでいましたが言葉は通じなかったと思います) そこで、どのような所か、状態を説明しています。
次回に詳しく書きますが、早春でしたので、ブナ林の上には、残雪がみられ、クラゲが浮いているように見えました。蒜山高原は、このとき、葦がいっぱい茂っている湿地帯でしたが、その葦は芽がぐいぐいと伸び、恰もその芽は牙のように見えました。
日本書紀の編集者は、古事記を見て、これに変わる日本書紀を作ろうと思いました。何故、作ろうとしたかは、後日、書いてみるつもりです。
イザナギたちが、蒜山高原に高天原を決めたころから、710年ころまでには、900年は経っていましたから、900年前がどのようであったかは、知らなかったはずです。代々言い伝えて来た天皇家でも判からなかったのではないでしょうか? 各地に残っている伝承や書物を参考にしても判からなかったのではないでしょうか?
ただ、作るのであれば、もっと簡単につくることができたと思われますが、天皇家に都合がよくても、日本書紀を書く人には、都合が悪かったことが、沢山あったようです。そのときには、古事記と日本書紀が一致しない現象が起きます。
今回の部分では④が代表です。日本書紀は、天之御中主神、高御産巣日神、 神産巣日神を書きたく無かったことになります。しかし、全く失くすと変に思われたらいけないので、④の書物を挿入しました。古事記が712年に完成してから、8年後に日本書紀が作られたのですから、古事記を参考にしたはずですが、古事記に書かれている内容の書物は、6冊のなかにありません。古事記のことは書きたく無かったことが判ります。

古事記の宇摩志阿斯訶備比古遲神と日本書紀の可美葦牙彦舅尊を見比べてください。
古事記のほうは、神以外は、音だけをあらわします。「ウマシアシカビヒコヂ」と読むことが可能です。可美葦牙彦舅尊の読み方は、原文では書いてありません。ただ、日本書紀には「可美」と読むと注釈が入っています。普通は読めないから、無理に読ませたことになります。翻訳者の宇治谷孟氏は、「ウマシアシカビヒコジ」と仮名をふっておられます。「アシ」と「ヒコ」以外は、読むことが出来ません。読み方が判らないので、宇治谷孟氏は、古事記の訳本を参考にされたと思います。この神も日本書紀の本文には掲載されていません。
日本書紀の編纂者たちは、葦と牙が気になりましたが、本文に入れるのに、苦労しました。
⑥ に書きましたように、「牙(?)を含んでいた」と挿入しましたが、意味が判らなくなっています。

この外に 日本書紀には「天地の開闢のはじめは」の言葉がありますが、古事記にはありません。「開闢」という言葉は、古事記の序文の後の方に使われています。
一番、おかしいのは、日本書紀の編集者は、神の名前を徹底して、古事記と別の表記をするようしています。これだけのことであれば、どういうことはありません。偶々、日本書紀の人たちが調べた部分と古事記を書いた人が、同じ神の名前であっただけですが。そうであれば、いくつかは同じ表記の神が存在してもいいのですが、100パーセント、今後も同じ表記はありません。しかし、同じ神と思えます。
 
もう一つ、大切なことは、「命」と「尊」です。古事記では、もう少し経ちますと、天神命とか伊邪那岐命が登場しますが「ミコト」と読むとは書いてありません。日本書紀は、両方とも「ミコト」と読むが、「尊」の方は、高貴なひとに使うと、これ又、注釈を入れています。入れないと誰にも判らなかったからだと思います。「命」は、注釈を入れなくても、「ミコト」と読んでいましたが、日本書紀の人は、「尊」の採用を始めて行いました。古事記に書かれている天神命とか伊邪那岐命よりも、日本書紀に出てくる國常立尊、國狹槌尊、、豐斟渟尊の三人の神のほうが偉いのだと表現したのだと思います。

このように分析してきますと、日本書紀では、古事記の書き換えをもくろみましたが、高天原の造語の意味が判らないという失敗をします。そのため、現在にでも通用する、天と地の創造を見事に解説したのは見事でしたが、古事記に書かれた葦と牙に惑わされて、この言葉を使うことによって、意味不明の箇所が生じることになります。さらに、古事記に書かれている「 上件五柱神者、別天神」をこの五柱は、天津神のなかの特別に重要な神と解釈したために、日本書紀では書かないで置くことになりました。
日本書紀の編集者が犯したミスと同様のミスを、現在の歴史家が行って、翻訳本が制作されています。
高天原は、単に「天族」の暮らす高原の意味であったのに、地球の創造として捉えることによって、天上界の物語という訳のわからない事になります。もっと、早く古事記が発見されておれば、誤解は解けたでしょうが、消し去られた古事記が発見されるには、その後、400年を要しました。
このホダンの掛け違いは、ここだけに留まらず、現代まで尾を引くことになります。

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2006.08.11

No 4 日本書紀の始めの部分

古天地未剖。陰陽不分。渾沌如鶏子。溟?而含牙。及其清陽者薄靡而爲天。重濁者淹滯而爲地。精妙之合搏易。重濁之凝場難。故天先成而地後定。然後神聖生其中焉。故曰。開闢之初。
洲壞浮漂。譬猶游魚之浮水上也。
于時天地之中生一物。状如葦牙。便化爲神。號國常立尊。〈至貴曰尊。自餘曰命。並訓美擧等也。下皆倣此。〉
次國狹槌尊。次豐斟渟尊。凡三神矣。乾道獨化。所以成此純男。

昔、天と地がまだ分かれてなくて、陰陽の区別も無かった頃、混沌として鶏の卵の中身のようであった。ほの暗くぼんやりした中に、牙(?)を含んでいた。其れは清くなり陽となって、薄くたなびきながら、天となった。重くて濁ったものは、下のものを覆い滞って、大地となった。精妙(せいみょう)なものは、搏(う)ち合わせ易かったが、重く濁ったものは、凝固し難かった。だから、天が先に形成し、地が後から定まりました。然る後に、其の中に神が生まれました。
それで次のように言われる。天地の開闢のはじめは、洲は壊れて浮き漂っていました。例えるならば、泳いでいる魚が水の上の方で、浮いているようなものでした。
そのような時、天地の中に、一つの物が生まれた。それは葦牙のようなものでした。便(やわらかく)化して神となりました。 名づけて國常立尊。(大変貴い方は、「尊」といい、それ以外の方は「命」といい、ともに、ミコトと訓(よ)む。以下すべてこれに従う)
次に國狹槌尊、次に豐斟渟尊と全部で三柱の神が生まれた。乾いた道を獨りで生まれ変わられました。だから、純粋の男性に成られました。

日本書紀は漢文で書かれているそうです。それを無視して、私なりに意味が通るように、解読して見ました。書いたものの自分でも意味が判らない部分を挙げてみます。
① 「陰陽の区別も無かった頃」陰の部分と陽の部分とは、日の当たらない所と陽の当たる所ですから、区別がはっきりしているということでしょうか? お前は馬鹿だな、陰陽とは、中国で有名な考え方だ? ? ? という声、陰陽五行からきているのだよ とか聞こえてきそうです。追い討ち掛けても「そんなこと知らないのであれば、日本書紀を読むな!!」とも。
以前に「陰陽五行」のことを書いた本を買って読んだことがありますが、チンプンカンプン。書いた人もよく理解していないのだなと思ったことがありますので、考えないことにします。
② 「混沌として鶏の卵の中身のようであった」この部分は、主語がありません。ということは、翻訳が間違っているのかも知れません。敢えて、主語を探すと、天と地でしょうか? 天と地とまだ分かれていないと書いてあるのですら、天と地ではありません。天と地が出来上がる前段階のものとなります。書いてありませんが、宇宙ということになるでしょうか?
③ 「然る後に、其の中に神が生まれました」其の中とは、どこでしょうか 。天が上の方に出来て、下の方に地が出来ました。其の中とは、天と地の中間のことでしょうか。昔は、其の中間に何があるか判りませんでした。しかし、なにかはあると思ったのでしょう。見えないけれども、ここに神がいるのだと。
④ 「開闢之初」とは、どういうことでしょう。「開」も「闢」も開くという意味ですから、開くという意味であることは間違いないのでしょう。なにを開くのかといいますと、どうやら「天地開闢」らしいです。講談社の『日本書紀・全現代語訳』の著者である宇治谷孟氏は、「開闢之初」の翻訳に、「天地が開けたはじめに」と翻訳しておられます。「開闢之初」だけでは、「天地が開けたはじめに」にはなりません。宇治谷孟氏は、「開闢」をどこかで、見つけられたと思います。古事記に、「自天地開闢始」の語句が見ることができます。「天地は分かれる」とは書いてありますが、「天地が開けた」とは書いてありません。
⑤ 「例えるならば、泳いでいる魚が水の上の方で、浮いているようなものでした」全く例えになっていません。前者は、「洲は壊れて浮き漂っていました」とあります。洲が壊れて浮くのをどうしたら見ることができるでしょうか? おかしいので、宇治谷孟氏は「国土が浮きただよっていることは」と書いておられます。ご自分が書きながら、どのような状態なのか、判っておられないと推察しています。本当は、宇治谷孟氏が悪いのではありません。日本書紀を書いた人が、古事記を見たときに、チンプンカンプンなので、自分なりに、古事記に書いてあることを取り入れて、新しい物語を書きました。その時に、古事記に書かれていた「上件五柱神者、別天神、」を翻訳をした倉野憲司氏と同様に、天つ神の中の特別の天つ神と解釈したのでしょう。古事記の作者は、是非とも書きたかったのですが、「天つ神」のことは、出来るだけ書きたくなかったので、五柱の神は、外して日本書紀を書いたと考えます。
⑥ 「乾いた道を」とはどういうことでしょうか? 理解できません。

まだまだ、ありますが、ひつこいですので、これぐらいにします。これだけ意味が判らないことがあるということは、翻訳の仕方が間違っているのかも知れません。翻訳が間違っていないということにしますと、何故、このような文になるのか 考えてみます。
それは、次回にします。

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2006.08.08

No3古事記の神はどのような神か

古事記のはじめに登場する神は、
① 天之御中主神
② 高御産巣日神
③ 神産巣日神
次に季節が変わって高天原にやって来た神は
④ 宇摩志阿斯訶備比古遲神
⑤ 天之常立神
 
 上件五柱神者、別天神、

この五人の神はどのような神か、判らないのが、私の最大の欠点です。欠点と云うものの、この後に、出現する神は、高御産巣日神ぐらいでしょうか? 別名は高木神と書かれています。アマテラスの代理をしています。
 岩波文庫の『古事記』では、明快に解いておられます。
① 天之御中主神は、高天の原の中心の主宰神。
② 高御産巣日神は生成力の神格化
③ 神産巣日神も生成力の神格化
④ 宇摩志阿斯訶備比古遲神は、葦の芽を神格化して成長力を現したもの。男性。
⑤ 天之常立神は天の根元神。

最初の三人の神は、原文をもう一度、読んでみます。「此三柱神者、並獨神成坐而、隱身也」。「並」と「坐」の意味が判らないのですが、「獨神」は独身か独りの神の解釈しか無いと思います。三人一緒に隠れたのではなく、それぞれ、独りになって去っていったのでしょう。どちらにしても、どこかへ行ってしまいました。
その後、高御産巣日神は登場して、アマテラスと協同で、高天原を取り仕切っているようですが、はじめの段階では判りません。「天之御中主神」の「天」を高天原と解釈したか、「天上界」の天とされたか、どちらかでしょう。高天原の天の漢字を「阿麻アマ」と読むと指示はありましたが、「天之御中主神」の「天」を高天原と解釈するのは、無理でしょう。
②③は、産巣日から、巣を産むと考えられたのでしょうか? これは許されるとしても、産まれることが、生成力に繋がる点が理解できません。成長力がどうして、神がおこなっていることになるのでしょうか? 産巣日を「ムスビ」と読ませておられますから、辞書をひきますと、「産霊」と書いて、「ムスヒ」と読むそうです。一度、ご自分で調べてください。一層、難しくて訳の判らないことが書いてあります。
これは、「宇宙を作ったのは、すべて、神である」という考え方があるのでしょうか?
そのような神を英語では、GOD(ゴッド)、他の言葉では、なんというのでしょうか?
英語のGODを、最初に日本語に訳したときに、「神」と翻訳されたのでしょうか?
そのような問題ではなく、『古事記』を翻訳されて、岩波文庫で書物化された倉野憲司氏は、『日本書紀』も読まれたのではないでしょうか? 『古事記』を読むために、『日本書紀』を参考にされてはいけないと思います。『日本書紀』を読むために、『古事記』を参考にするのであれば良いですが。
 いや、それは反対であろうという方もおられます。なぜならば、『古事記』を書いた人は、『日本書紀』を参考にしたのだから。この点は、両書を比べながら読めば明らかになるからです。そのために、このシリーズをはじめました。
今は、どのような神であるか判らなくても良いように思います。

そのことよりも、【上件五柱神者、別天神】が重要だと思います。倉野憲司氏は、著書の中で、「天つ神の中の特別な天つ神」であると書いておられます。
古事記は、天武天皇の発願によって、制作されることになりましたが、制作は急がなくてはならないことが序文に記されています。そうしませんと、天皇家の歴史が蔑ろにされて、国が成り立たないと憂いておられます。それなのに、なぜか 直ぐには完成せずに、元明天皇の時(712年)に、完成しています。
何故 古事記を作ることになったかは序文に書かれているのに、問題にしておられる方は、素人ではおられません。序文は難解であるから、飛ばして、「 天地初發之時、於高天原」からはじめておられます。プロの方は、流石に、書いておられますが、序文の字句だけから書いておられます。壬申の乱のことが絡んでいますから、壬申の乱を間違って解釈しますと、古事記も間違ってしまいます。
と えらそうなことを書きましたが、古事記と日本書紀を比べながら、読むことを決心しましたが、序文は抜いて、「 天地初發之時、於高天原」から始めました。

天武天皇の希望は、天皇家の歴史を正しくする事です。別の言い方をしますと、誰が天皇家に属する者で、誰が天皇家と関係ないかを篩い分けることに主眼が置かれています。
書く事は簡単です。天皇家に入った人は、文句を云いませんが、自分が天皇家と関係があると思っているのに、外された人は、そのような本は、現在風に言えば、本人は買わないか、買占めして世の中から無くすことになります。

【上件五柱神者、別天神】は、五人の神は、はじめに登場したという記録はありますが、天つ神の中の特別の神では、古事記を書いた意味がありません。太安万侶は、五人の神さんは、天つ神とは、別の神ですよと、最初から、注意を促したことになります。
以上が、五人の神さんがどのような神であるか、判らないという私の言い訳です。

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2006.08.06

No 2 「 天地初發之時、於高天原」を読む

天地初發之時、於高天原、成神名、天之御中主神【訓、高下天云、阿麻。下效此。】
次高御産巣日神。
次神産巣日神。
此三柱神者、並獨神成坐而、隱身也。
 
 次、國稚如浮脂而、久羅下那洲多陀用幣流之時【流字以上十字以音】如葦牙因萌騰之物而、成神名、
宇摩志阿斯訶備比古遲神。【此神名以音。】
次、天之常立神。【訓常云登許、訓立云多知。】
此二柱神亦獨神成坐而、隱身也。
 
 上件五柱神者、別天神、

以上は『古事記』の本文の最初の部分です。一度、このまま、なんと書いてあるのか、読んでください。ヒントは6つです。
① 【 】で囲まれた部分が、三ヶ所あります。この中の文は、古事記を書いた人の注意書きです。
② 漢字ばかりですが、漢文ではありません。
③ 注意書きのない部分は、それぞれの漢字がもつ意味を含みます。
④ 横書きですが、原文は縦書きになっています。
  【流字以上十字以音】は、「流の字」より上の十字は、音(おん)を以って読む となります。
本当は、もっと他にルールがあるかもしれません。
⑤【訓、高下天云、阿麻。下效此。】は、「訓ずる 高の下の天は アマ。以下 此れに倣う」
⑥ 「天」という字は、4回出てきますが、⑤の注意書きのように、高天原とあれば、「タカアマハラ」というように、「テン」とは読まないで、「アマ」と読みます。以下に出てくる天は、「アマ」と読みます。

読めましたか? 私は次のように読みます。
天地(てんち)を初めて開發する時、高天原(タカアマガハラ)に於いて、お成りになった神の名は、
天(アマ)之御中主神(テンノミナカヌシノカミ) 【訓、高下天云、阿麻。下效此。】
次に、高御産巣日神(タカオサンスビノカミ)。
次に、神産巣日神。 (カミサンスビノカミ)
此ノ三柱(ミハシラ)ノ神は、並んで獨り身の神と成り坐して、身を隱されました。

次に、國は稚(ワカ)く、脂(アブラ)が浮く如くして、久羅下那洲多陀用幣流(クラゲナスタダヨヘル)之時【流字以上十字以音】葦の芽が牙の如くに、因(ヨ)りて、萌え騰(アガ)る物のようなときに、成れる神の名は、
宇摩志阿斯訶備比古遲神(ウマシカシカビヒコチカミ)。【此神名以音(此の神の名は、漢字の意味は無く、音だけです)。】
次に、天之常立神(アマノトコタチカミ)。【訓ずる 常と云う字は、登許(トコ)、訓ずる、立と云う字は多知(タチ)。】
此(この)二柱の神も亦、獨り神と成りまして、身を隱されました。
 
 上の件の五柱の神は、天神(アマのカミ)とは別の神です。

どうにか読んでみました。意味はお判りになりましたか? 意味を書いてみます。

新天地を始めて開発しようと、高天原にお出でになった神の名は天之御中主神です。次に、
高御産巣日神、次に、神産巣日神です。
次に、國はまだ早春の頃、脂(アブラ)が浮いているように見え、クラゲが漂っているように見える時、葦の芽が牙のように勢いよく、又、萌え騰(アガ)るように芽を伸ばしだした頃に、成れる神の名は、
宇摩志阿斯訶備比古遲神。
次に、天之常立神
この二柱の神も亦、獨り神と成りまして、身を隱されました。
 
 上の件の五柱の神は、天神(テンジン)とは別の神です。

さて、これで意味が判りましたか? きっと、お判りにならないと思います。10人の人が読まれますと、10人とも違った読み方をされるのではないかと思います。私の読み方は、6つのヒントを参考にして、又、漢和辞典も参考にして、最後まで、意味が通じるように無理やりに読んだものです。

無理やり読んだものと書きましたが、私が読んだどの古事記の解釈よりは、無理が無いように自負しています。
ただ、欠点があります。その点を次回に書こうと思っています。

以前に書いた五柱の部分の解釈 http://homepage1.nifty.com/o-mino/page196.html

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2006.08.05

No1 最初が間違った

このタイトルは、いっぱい省略されています。主語は日本書紀を作った人です。
どこが間違ったのか----古事記が完成したのが、712年です。その古事記を見て、びっくりした人たちがいました。その時の天皇より実力があったと思われる藤原不比等をトップにするグループの人たちです。
 藤原不比等は藤原鎌足の次男であることは判っています。神代の時代から、神祇を司っていた中臣氏の末裔ということになっていますが、本当かどうかは判りません。
 世間に流布されている天皇に関する歴史は、間違いだらけなので、正確に正して書き改めたいと、天武天皇が言われ、命令を受けた稗田阿礼と太安万侶が古事記に著したと古事記の序文にあたるところに書かれています。

世間に流布されている天皇に関する歴史は、間違いだというのは、天武天皇の見解であって、天皇家には都合の良いところだけ書かれ、都合の悪い所は書かれていなかった可能性は充分にあったと思われます。右大臣であった最高権力者の藤原不比等にとっては、都合の悪いことが書かれていたのかも知れません。
そこで、藤原不比等は、古事記に代わるものを書き、古事記は無かったことにしようとした形跡があります。
古事記には、帝紀と本辞は虚偽が多いと書いています。この帝紀と本辞は参考にしたでしょう。もっと、他にも記録されたものはあったと推察されます。しかし、これでは足らなかったと見えて、各国に風土記なるものを提出するように命令を出しました。
これらの内で現在残っているものは、完全なものは、出雲風土記だけです。日本書紀やその後に、出された続日本紀なども、いっぱい残っていますが、日本書紀以前のものは、完全なものと思われるのは、出雲風土記だけです。日本書紀を除いてすべて、無くなってしまいました。
ところが、400年後に、古事記は発見されますが、世の中に現われたのは、本居宣長の研究を通してということになります。
本当ですと、他の書物と同様に、消えてしまうはずの古事記は、間違って、世の中に出現することになりました。
タイトルの「最初が間違った」はこのことではありません。

古事記と日本書紀は、少し、スタイルが違います。日本書紀の方は、書かれていることが、何年、何月、何日まで詳細に書かれています。 それだけではなく、どれほど、正確さを重要視したかを読者に印象付けるために、ある書物によると、このようにも書いてあったと、多いときは、10ほど違った説を掲載しています。
それに対して、古事記の方は、いい加減なところがあります。
ところが、日本書紀を作るときには、作者は、もっとも重要視して参考書は古事記であったはずなのに、全く見もしなかったように書かれています。そのことが一層不自然さを感じさせます。古事記によればという但し書きがあれば、もっと、真実らしく表現できましたのに、最後まで、古事記に書かれていることは全く書かれていません。
古事記というような書物は全く無かったことを書きたかったのだと思います。後世に、古事記が見つかることはありえなかったことになります。

古事記の本文は、「天地初めて発けし時、高天の原に成れる神の名は」から始まりますが、日本書紀の作成に携わった人は、この最初の文章の解釈を間違ったと思われます。所謂、ボタンの掛け違いという言葉がありますが、掛け違いは最後まで続くことになります。自分達に都合の良い日本書紀を書くだけではなく、古事記に書かれていることを消し去ることに力を入れることになります。
どのように掛け違ったかを次回に書いて見ます。

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