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2007.01.13

No52 三貴子の分治

タイトルの「三貴子の分治」から説明が必要かと思います。このタイトルは、岩波文庫発行の『古事記』倉野憲司校注の30ページに付けられているタイトルです。
 短いですので、全文を記します。
この時伊邪那伎命、大く歓喜びて詔りたまひしく、「吾は子を生み生みて、生みの終に三はしらの貴き子を得つ。」とのりたまひて、すなはち御頚珠の玉の緒もゆらに取りゆらかして、天照大御神に賜ひて詔りたまひしく、「汝命は、高天の原を知らせ。」と事依さして賜ひき。故、その御頚珠の名を、御倉板擧之神ふ。次に月読命に詔りたまひしく、「汝命は、夜の食国を知らせ。」と事依さしき。次に建速須佐之男命に詔りたまひしく、「汝命は、海原を知らせ。」と事依さしき。

「三貴子」は古事記に書かれている「三はしらの貴き子を得つ。」から取られたことが判ります。「分治」は倉野憲司の造語でしょうか? 「分れて治める」か「分けて治めさす」かのどちらかの意味と思われます。三貴子も分治も造語のようですが、上手く名付けられたと思います。
No51までは、古事記と日本書紀は割合と比べることが簡単に思え、異なる点のみを指摘してきましたが、三貴子の分治のことは、両方に掲載されていますが、相当描き方が違っています。どのように書いたら良いか、考えていましたが、中断してしまいました。
 日本書紀では、どのように取り扱っているかといいますと、本文に当たる所では、左の眼を洗うと天照大神が生まれ、以下、月読尊と素戔鳴尊の生まれた様子と統治先が記されています。素戔鳴尊は青海原と書いてありますから、海を治めよとあります。これだけです。例によって、他の一書という形で、このような言い伝えもあると書かれています。全部で11書までありますが、三貴子の分治のことは、11書のみに書かれています。しかし、その大部分は、月夜見尊が、命を受けて保食神の様子を見に行き侮辱をうけて保食神を殺したことが記されています。
 このように書きましても、何のことか理解できないのではないかと思います。
この部分は、ご自分で確かめて頂き、ご自分で読み取って頂ければと思います。

私が気になったことだけを書いてみようと思います。
古事記は、この前の部分で、伊邪那伎命がどのようにして、神々を生んだかを書きました。
生んだといいますと、普通は男女の間で子供が生まれます。イザナギとイザナミの間に、神々が生まれたのかと言いますと、違います。イザナギがイザナミと別れて、禊ぎをしているときに生まれたと書いてあります。
 イザナギの元に、多くの神が集まってきた様子を、古事記は記しています。そして、特別に、三貴子のことを記し、この三人に、高天原を任せたことが書かれています。

もう一度、はじめに書きました古事記の文章を読んでください。

伊邪那伎命、大く歓喜びて詔りたまひしく、「吾は子を生み生みて、生みの終に三はしらの貴き子を得つ。」とのりたまひて
とあります。イザナギ命は、大いに喜んだと書かれています。何故かといいますと、三人は、貴き子であるということを知っていたからです。イザナギ命は、禊ぎのところで会う前に、三人とは、出合っていて、三人は素晴らしい人たちであることを知っていたから、新しい国を作るにあたって、すばらしい指導者に再会して、大いに喜んだのです。
 ではどこで出会ったのかといいますと、隠岐島にいるときに出会う機会があって、日本本土に渡って再開したことになります。その証拠をだせということになろうかと思いますが、出せという方は、ヒントを書きますから、ご自分で調べてください。隠岐島がどのような地形の島であるか? どれほど多くの神社があるか。その神社の名前と祭神はなにか。
 意地悪いことを書きましたが、机の上と誰かが書いた本だけをいくらひねくり回しても、本当のことは知ることは出来ません。
 
 次は、三人は、開発をまかされる場所を決められます。天照大神は高天の原を、が生まれ、以下、月読尊は夜の食国を、素戔鳴尊は海原をと書いてあります。倉野憲司氏の古事記の読み方が間違っているのではないでしょうか? 原文では、「夜之食國」となっていますから倉野憲司氏は、「夜を掌るの国」とされましたが、それは、日本書紀に、「日と並んで天のことを治めよ」と書いてあるから、天照大神が日の国、月読尊は夜の食国を治めよと解釈しておられます。「夜之食國」を「よるのをすくに」とフリガナをうたれますが、それでは判らないといけないので、欄外に注釈を入れて、夜おさめる国、即ち夜の世界。食すは治める意と説明しておられます。
私が補足しますと、地球は天と海とに別れており、天は、昼の世界と夜の世界があり、前者は月読尊が、後者は天照御大神が治め、海は素戔鳴尊が治めることになっています。この解釈は、日本書紀に、そのように書かれていますから、倉野憲司氏は、同じように解釈されたのだと思います。
ここに書かれている場所は、宇宙や地球のことが書かれているわけではありません。はじめに書かれて没収されたと思われる古事記には、「夜食之國」となっていたと思われます。これは、田村誠一氏の説ですが、意外に正しいかもしれません。古事記が発見されて「夜食之國」の部分を、「夜之食國」と書きかえられたのではないでしょうか? その方が日本書紀と合致するからです。照大神が治めるところは、高天の原です。高天の原がどこであるかを決めないと次の夜の食国と海原が決まりません。結論だけを言いますと、高天の原は、岡山県真庭郡の中蒜山のふもとです。(蒜山高原)
 イザナギ命は、蒜山高原の東と西を月読尊と素戔鳴尊に任せました。東は、「夜食之國」は、「夜久野国」です。丹波と但馬の国境にあります。西は海原を統治せよです。河原は、川のそばにできた原です。海のそばに出来れば、海原です。すなわち、海岸です。蒜山高原の北側にできた海原は、倉吉平野です。
 ヒルゼン高原の周囲を三人に任せたイザナギ命は、滋賀県の多賀へ移ります。そして、銅鐸文化が滋賀県で広がります。
 古事記は日本書紀をもとにして書かれたといっておられる方が殆どです。中には、古事記と日本書紀は殆ど内容が同じだと書いておられる方がおられますが、記紀を読んでおられない証拠です。全く、違うことが書いてあります。
 古事記に「汝命は、海原を知らせ。」と書いてある海原を日本書紀は、青海原と書いています。これですと、海の側の原(海岸)の意味ではなく、海のことになります。
 海のことを司る神は、「三貴子の分治」の前の部分に、
 水の底に滌ぐ時に、成れる神-底津綿津見神。底筒之男命
 水の中に滌ぐ時に、成れる神-中津綿津見神。中筒之男命
 水の上に滌ぐ時に、成れる神-上津綿津見神。上筒之男命。
     三柱の綿津見神は、阿曇連等の祖神なり
     底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の三柱の神は、
     墨江の三前の大神なり。
と記されています。素戔鳴尊は海を支配してどうするのでしょう。
このように見てきますと、日本書紀は古事記に書かれていることが理解できなくて、古事記に書かれていることは、材料にして別の物語を作り上げましたことになります。

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