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2007.02.14

No55 建速須佐之男・速須佐之男・須佐之男

イザナギから生まれた三貴人のひとりであめスサノオは、イザナギが禊(ミソギ)をしているとき、鼻を洗うと生まれたことになっています。子供がイザナギ(男)一人から生まれるわけがありませんから、三人が、禊をしているときに、家来にしてくださいとやって来たことになります。この時の表記が建速須佐之男です。建はしっかりして堂々としている様子を表します。速は迅速などと使われ、速い様子を表す。
 イザナギがスサノオに、海原を治めなさいと命令します。その時も、建速須佐之男の表記が使われています。スサノオは、高天原から追放されますが、それまでは、建速須佐之男が使われています。その後は、速須佐之男と須佐之男が、混ざりながら使われています。
 どうやら、古事記の作者は、建と速をつけたりつけなかったり使い分けています。
建と速とも、一種の尊敬を表す言葉として使用しているようです。
スサノオは、日本書紀では、素戔鳴尊だけです。
倉野憲司氏の古事記の訳本では、建速須佐之男の説明に、「勇猛迅速に荒れすさぶる男神。嵐の神」と記しておられます。スサ之男ですから、スサはスサぶるから着ていると書いておられます。考えすぎではないかと思います。スサノオは、日本にやってくる前から、スサとよばれていたのではないでしょうか? スサノオを祭った神社は、鳥取県に一杯あります。他の県にもいっぱいです。行く先々、馬が関与してきます。最初に出てくるのは、高天原を追放になったときに、アマテラスに別れの挨拶だと称して、山川が動き、国土が皆震えるほどの勢いで高天原に上ってきます。馬で来たとは、書いてありませんが、人馬ともでなければ、それほどの音はしません。アマテラスは、戦う準備をします。
 スサノオは、田の畔を壊したり、溝を埋めたりの大あばれをします。アマテラスが機を織っていると、天井からブチの馬の皮をはいで、投げ込みました。その外に馬が出てきますから、高句麗あたりから渡来した日地であろうと推察しています。スサノオには、大蛇退治の神話があります。ここには、馬は出てきませんが、出雲の肥の河上というところが舞台になっています。出雲にもスサノオを祭る神社が多いので、出雲系氏族の祖神であると書いてあるものが多いですが、さて、いかがでしょうか? 
 まだ、調べは途中ですが、鳥取県神社に現われるスサノオは、須佐之男尊、素盞鳴命、素盞鳴尊、須佐之男神などです。http://homepage1.nifty.com/o-mino/page328.html
スサノオが鳥取に来たときには、確かに、スサ***と呼ばれていたのでしょうが、漢字表記が行われる頃になりますと、いろいろの当て字が使われるようになりました。素盞鳴尊と書かれている神社は、藤原氏が支配するようになった神社と思われます。
その後のスサノオは、どのような経路で、京都にやって来るのか判りませんが、祇園祭りで有名な八坂神社の祭神になっていますから、訳がわかりません。しかし、訳が判らないでは,日本史の解明は不可能ですから、いすせれは挑戦しなければなりません。

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2007.02.09

No54 御倉板挙之神

御倉板挙之神(ミクラタナノカミ)
此時伊邪那伎命大歡喜詔。吾者生生子而。於生終得三貴子。即其御頚珠之玉緒母由良迩【此四字以音。下效此】取由良迦志而。賜天照大御神而詔之。汝命者。所知高天原矣。事依而賜也。故其御頚珠名謂御倉板擧之神【訓板擧云多那】

 上の文章は、古事記の一部です。イザナギが三人の貴人(アマテラス、ツキヨミ、スサノオ)が生まれたときに、大いに喜んだというところです。
(訳文)岩波文庫より 
この時伊邪那伎命、大(イタ)く歓喜(ヨロコビ)て詔りたまひしく、「吾は子を生み生みて、生みの終(ハテ)にはしらの貴き子を得つ。」とのりたまひて、すなはち御頸珠の玉の緒もゆらに取りゆらかして、天照大神に賜ひて詔りたまひしく、「汝命(イマシミコト)は、高天の原を知らせ。」と事代さして賜ひき。故、その御頸珠の名を、御倉板挙之神と謂ふ。

この時とは、禊祓いの時です。
次々と、神が生まれて、そのときに、最後に、三柱の神が生まれたのですが、生まれたばかりでどうして、貴い子と判ったのでしょうか?  この場合も、本当に生まれたのではなく、三人が、仲間に入れて貰いにやってきたのです。
三貴子と言われた天照大神・月読命・建速須佐之男命は、以前に、伊邪那伎命は出あっていたから、立派な人であることが判っていました。そこで、直ぐに三人に任せることができるので、大そう喜んだのです。
以前に、古事記の原文を読むことに挑戦しましたが、「御頸珠の玉の緒もゆらに取りゆらかして、天照大神に賜ひて詔りたまひしく」の部分の意味が判らないので飛ばしました。又、御倉板挙之神の名が、御頸珠の名の別名であるというのも、意味が不明ですから、ほうって置きましたら、No18において書きましたように、大阪府の柏原市の御野県主神社の祭神が、天湯川田奈命(日本書紀では、天湯河板挙アメノユカワタナと表記)であり、神話ではなく、現在でも神社の祭神として伝えられていることが判ります。御野県主神社から少し、南に行ったところに、天湯川田神社と祭神と神社名が同じ神社が見つかりました。
 全く関係はありませんが、古事記の御倉板挙之神と日本書紀に書かれている天湯河板挙は、板挙の部分が同じですから、「板挙」になにか意味があるのではないかと推察しました。
 天湯河板挙の名前は、垂仁天皇のところに書かれていています。天皇の皇子が30歳になるまで、喋ることが出来ませんでしたが、天湯河板挙が捕まえてきた白鳥のくぐいによって、喋ることができるようになり、鳥取造を賜ったとされています。古事記の方には、同じ逸話が書かれていますが、鳥を捕まえてきた人の名前は、山辺の大タカという人になっています。日本書紀は、見事と思われるほど、古事記に書かれている漢字は使用していないのに、「板挙」を使っているということは、「板挙」になにか特別の意味があると思われますので、もう一度、古事記を読み直すことにしました。
古事記には、御倉板擧之神【訓板擧云多那】と書かれています。古事記の編集者も「板挙」の字は、是非とも、使いたかったのだと思います。しかし、「タナ」とは読めませんので、【訓板擧云多那】と断り書きを入れて、「多那・タナ」と読んでくださいと注釈が入れてあります。
御倉の部分は、倉に御が付いたとしか考えようがありません。倉は屯倉のことでしょうか?
イザナギが、アマテラスに御頸珠の玉の緒を与えたときは、名前は無かったのですが、赴任を命令したときに、それを証明するものとして、板に書かれているものを与えたのでしょうか? 貰った人は、それを棚の上に挙げて置いていたのでしょうか?  疑問符の連続ですが、このようにでも、こじつけませんと、「板擧」の字が出てきません。この「板擧」を管理する人がいて、一種の職名となっていたのかもしれません。その人の名が、日本書紀に書かれている天湯河板挙と思れます。
逆になりましたが、そうなりますと、意味が不明で飛ばして訳しませんでした「御頸珠の玉の緒もゆらに取りゆら
かして、天照大神に賜ひて詔りたまひしく、」の部分が重要になってきます。
原文に戻ります。「母由良迩【此四字以音。下效此】取由良迦志而」です。母由良迩の部分は、漢字の意味はなく、音だけだと書いてあります。以下も同じだとありますから、「モユラニ トリユラカシテ」となります。【此四字以音。下效此】とありますから、その前の「緒」は音だけと違って意味があることになります。モユラは音がすることですから、首飾りに付いている玉の緒を鳴るように揺らしながら、赴任地が高天原ですよと云ったことになります。
 その後、この玉はイザナギから拝受することになったのでしょうか。 これは、神武天皇が、奈良で即位した日が、西暦元年1月1日であることから、逆算しますと、紀元前180年頃のことであると推察しています。それから、900年後のころは、赴任地への命令書が板に書いて渡されていたので、太安万侶が、御倉板擧之神と呼ばれていると書いたのでしょう。 

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2007.02.07

No53 天照大御神と天照大神

前者は古事記、後者は日本書紀に書かれているアマテラス神です。
私が持っている記紀の訳本は、両方とも(あまてらすおおみかみ)とフリガナを付けておられます。後者はどうして、天照大神を(あまてらすおおみかみ)と読むことができるのでしょうか? 
普通は、天照大神は、アマテラスオオカミでしょう。天照大御神でも、普通はテンテルオオオンカミか アマテルオオミカミでしょう。

次の文は、古事記の最初の部分(原文)です。天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神【訓高下天云阿麻下此】 
古事記は漢字ばかりで書かれています。たまに、どのように読むかを指定してあるときがあります。
【訓高下天云阿麻。下效此】 が、その部分です。どのように読むのか判りませんが、「高のしたの天は阿麻(アマ)と云って訓みます。以下は此れに習う」でしょうか? ということは、「於高天原成神名」の部分の「天」はアマと読みますから、タカアマガハラと読むのでしょう。天地初發之時の「天」は、アマとは読まないことになります。
「以下は此れに習う」となりますと、何処までが以下なのか分かりませんが、「天之御中主神」に書かれている「天」は直ぐ近くに書かれていますから、「アマノミナカヌシカミ」と読むのだと思われます。ところが古事記の訳本には、「アメノミナカヌシノカミ」と書かれています。
天照大御神をどのように読むのか、調べる気になったのですが、どうやら、「アマ」と読むようですが、「照」は、「テル」か「テラス」は分かりませんでした。
天照大御神にしても天照大神にしても、何故このような名前がついているのか知りたかったのです。記紀をつくるときに、それぞれの編集者は、出所が違うところから、この名前を持って来たにしては、貴人のうち、他の月読命(古事記)、月弓尊・月夜見尊(日本書紀)は表記が違いますが、どうにか同じように、ツキヨミノミコトと読むことができます。須佐之男命(古事記)と素戔鳴尊(日本書紀)は、古事記の方を読んでいますと、素戔鳴尊はどうにか読むことは出来ますが、はじめに素戔鳴尊と書いてありますと読むことは出来ません。
古事記は、712年、日本書紀は720年の完成ですから、古事記を見ながら、日本書紀をつくることは可能ですが、逆は、不可能ではありませんが、スサノオの表記はいっぱい作ることができます。
話が横道にそれますので、此れだけにします。月読命と月弓尊・須佐之男命と素戔鳴尊は単に、漢字の表記が異なるだけですが、天照大御神と天照大神は意味が全く違うところを見て頂こうと思いました。
「御」があるとないの違いだけです。御は尊敬を表すだけと思っていました。日本書紀の編集者は、天照大御神をあまり快く思っていませんので、削除したと考えていたのですが、天照大御神の漢字には、意味があるのではないかと考えました。天は宇宙・大空。それを照らす偉大な神であると。しかし、この意味であるならば、天照御大神と表記されるはずです。そこで、「御」に別の意味があるのではないかと、カシオの広辞苑をひきたました。私の思っていた尊敬を表す意味は、最後の方の6番目に掲載されています。1番はおさめる(家や国家を)2ばんは、馬を調教しておとなしくする。3番は、馬をならす役目。 4番は天子の近くにはべる。5番、天子の傍に仕える人 6番、皇帝の動作や所有物につけて尊敬を表す(御衣) 7番は、ふせぐ (防御 )
 古事記に書かれている天照大御神は、生まれたときから、次期に日本を治める人だと名付けられ、伝えられていたのだと思います。
これぐらいのことは、日本書紀の編集者も判っていたでしょうに、削除したと思われます。

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