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2007.04.25

No56 高倉下命は実在したか

高倉下命の名前は、古事記と日本書紀に書かれています。しかし、記紀には、高倉下と書かれ「命」はありません。
記紀のどこに書かれてあるかと言いますと、神武天皇が大和のニギハヤヒと長髄彦を征伐するために、日向を出発して、進軍します。安岐・高島を通り、浪速国の白肩津(現 東大阪市附近。当時はこの辺りまで入江があった)に停泊すると、ナガスネヒコが軍勢の攻撃を受けます。怪我をした五瀬命を連れて神武は、紀伊半島を迂回し、熊野村へ到る。(兄は和歌山市にて死亡) その後、進軍しますと、天皇をはじめ、全軍が意識不明の状態になります。
 その時に、高倉下が現れ、剣を差し出しますと、それだけで、全軍の兵士は目覚めます。また、敵は切り倒されたと記されています。以上のところに書かれているだけで、他のところには登場しません。
あまりにも、あり得ない内容のため、作り話であるとされています。それだけではなく、神武東征もあり得ないことで、九州にあった邪馬台国、または、これに準ずる豪族が東に移動したのであろうと言われています。
 他のところには登場しませんと書きましたが、古事記の序文に「化熊出川 天剣獲於高倉」という文があります。岩波文庫の訳文では、「化熊川出でて、天剣を高倉に獲」とあります。これでは意味がわかりませんので、注記に「タカクラジという人から手に入れ」とあります。ここは、「高倉」という地名のところで得たでいいのではないかと思います。
 このように序文に出てくる「高倉」と神武天皇のところの「高倉下」では、前者は地名で、後者は人の名前ですが、関係有るのでしょう。

記紀に書かれている内容は、似ていますが随分違いますので、書いてみます。
古事記では、①熊野村に着いたとき、大熊髪出で入りてすぐに居なくなる。②天皇ぐったりする。③軍隊もぐったりする。④高倉下、帯刀を持参 ⑤天皇目覚める。⑥長く眠ったと天皇が云う ⑦天皇、刀を受け取る ⑧熊野の山の荒ぶる神、皆切り倒される ⑨御軍全員目覚める。
大熊髪の意味が良く解りません。翻訳本では、「大熊髪(ほの)かに」と書いてあります。「出で入りて」の意味も良く解りません。出たり入ったりしたのでしょうか?
この帯刀はどうしたのかと訊ねますと、高倉下の申すには、「夢をみました。天照大神と高木神が建御雷神を呼んで葦原中国が騒々しいので、行って征伐してこいと言いますと、建御雷神は、私が行かなくても、その国を平らげることのできる横刀を降ろせばよろしいですと言いました。その刀の名は、佐士布都神(甕布都神またの名、布都御魂)といいます。そこで、高倉下が高倉の頂上に穴をあけて、そこから刀を落としました。翌朝、天つ神の御子に献れ」という夢を見ました。翌日、自分の倉を見たら、夢の通り刀がありました。

日本書紀には、①熊野の荒坂の津に到着。②天皇、丹敷戸畔を誅す。③神が毒気を吐いて、人々を萎えさせました。④高倉下という人が、夢を見ました。「天照大神が武甕雷神に言われるには、葦原の中つ国は騒々しいので、お前が行って平らげなさいと。すると武甕雷神は、私が行かなくても、私が国を平らげた剣がありますから、それを差し向ければ、国は平らげることができるでしょうと答えました。武甕雷神は、高倉下に、「今、あなたの庫に置きましたから、天孫に献上しなさい」と言いました。そこで目が覚めました。
翌朝、庫を見ますと、剣は庫の床に逆さまに刺さっていました。
 
以上ですが、皆さんはどのように読まれましたでしょうか?
古事記と日本書紀の編纂の仕方には、多くの違いがあります。古事記の序文によりますと、稗田阿礼に帝皇日継と先代旧辞を勉強させたとありますが、古事記に書かれていることを見ますと、実際に現地へ行かなければ表現できないような箇所が多数出てきます。例えば、もっとも、初めのところには、「国幼く浮きし脂の如くして、海月(くらげ)なす漂える時、葦牙の如く萌え騰る物によりて成れる神は、・・・」とあります。
季節は、葦原の群生に被さっている雪が、まだ残っており、太陽の日差しを受けて浮いている脂(あぶら)のように、光っています。そして、時折、風が吹くと海月が浮いているように動いています。その雪から、葦の芽が、牙のように、日に日に、伸びている、そんな季節です。さて、3月でしょうか? 4月でしょうか? 稗田阿礼は、紀元700年ころ、岡山県のヒルゼン高原を訪れました。そして、高原のあちこちにある神社を訪れ、祭神を調べたり、古老から村に残る言い伝えを記憶、暗証したと思われます。
 一方、日本書紀は、事象の発生した年月日が正確に書かれています。ということは、日記のようなものが、あちこちに存在したことになります。日本書紀では、できるだけ、多くの記録を掲載して、正確さが強調されています。
 記紀に限りません。社史などは、社史に書かれているころに働いていた人は、読まなくても知っています。しかし、少し読んでみますと、後は読みたくなくなるだろうと思います。調子のいいことばかり書いてあって、読むのが嫌になるはずです。潰れた会社の社史など誰も読まないと思います。記紀は、自分たちが読むために編纂されたのではなく、他の組織の人に読ませるためのものです。
さて、日本書紀に書かれていることは、正確ではないのでしょうか? 記事の内容ごとに、確かめないと何とも言えないと思います。少なくとも、両方に書いてあることは、実際にあったことで、どこかに記録が残っていたか、言い伝えが残っていたと思われます。

では、内容を見ていきます。大筋では、神武天皇の軍が、熊野の山にはいったところ、全員が眠ったように倒れてしまいました。ところが、高倉下という者が持ってきた刀を天皇のところに持っていっただけで、天皇も軍隊の全員が眠りから覚めたように回復した、そして、荒ぶる神は勝手に切り倒されたという話です。その刀はどうしたのだと高倉下に聞くと、天照大神から授かった夢を見たと高倉下は云うのですが、夢が現実のものとなったという作り話です。夢の中身は、どれほど、現実にあり得ない話であっても、夢なのですから構わないのですが、神武軍が全滅し、刀一本を差し出した途端に、すべて解決したという話は、だれも信用できないことです。そこで、この部分も作り話との結論になります。

一昨年の冬だったと思います。名前は忘れましたが、あるお正月を温泉町過ごそうとされていた泊り客が行方不明になりました。皆で探したところ、旅館のすぐそばに、雪がほら穴のようになっているところがあり、その中で死んでおられました。その穴は、温泉の川が流れて穴を形作っていたように思われました。中の硫黄の濃度を測定されて、この濃度であれば、入りますと、2分で気を失うだろうと報道していたように思います。

さて、硫黄含んだ空気は、普通の空気より、重いのでしょうか? 重ければ、硫黄のために、全軍が意識不明になった可能性はあります。序文の「化熊出川 天剣獲於高倉」に書かれている化熊は、神の御使いのように書かれています。この熊が天剣をもたらしたようにも取れますが、本文の方は、高倉下命が持ってきたように書かれています。「化熊出川」の化の字をどのように解釈するかです。飛ばすわけにもいきませんが、良く解りません。
古事記の記述に番号を付けました。天皇は、献上された刀を振り回したわけでもなんでもありません。それなのに、天皇は気がつかれました。そして、⑥長く眠ったと天皇が言われました。ということは、ガスの所為で、苦しんだのでもなく、短時間に意識がなくなったことが判ります。刀の威力で助かったのではなく、風向きが変わって、天皇の御軍は助かりましたが、ガスは敵の方へ流れ、刀を使わなくても、全滅したと思われます。

稗田阿礼は神武天皇が、歩かれたところを実際に歩いてみたのではないでしょうか? そして、全軍が倒れた言い伝えを聞いたのでしょう。 また、奈良の石上神社にも訪れ、佐士布都神と呼ばれている刀が残されているのを知ったのではないでしょうか?
古事記の作者である太安万侶は、偉大なる神武天皇の先祖である天照大神の二つの力を借りて、神武東征を成功させた話を織り込みました。一つは天剣のことであり、もう一つは、道なき道を案内した三本足の八咫烏のことを挿入させました。太安万侶は、天照大神と神武天皇とが関係有るところを伝えようとしました。

古事記が完成したときに、藤原不比等はびっくりしたと思います。古事記には、自分たちにとって、都合のわるいことばかり書かれています。そこで、都合の悪いところは削ることになりますが、この部分の高倉下は、別に都合は悪くなかったのでしょう。ほとんどのところでは、古事記から移したと思われたくなかったのか、漢字を書き換えています。しかしも高倉下に限っては、そのまま使用しています。
高倉下を同じにしたのであれば、刀が出てきたクラは、古事記と同じように、「倉」にしておけばよかったのに、「庫」に変えました。横刀は剣に。天つ神の御子は、天孫に。建御雷神は武甕雷神に。
もう一つ大切なことは、古事記は、意味のわからない部分が多いのですが、日本書紀は、古事記の記述を補うように、リアルに書いています。
例えば、朝になって倉を見ますと、夢見の通り、倉に刀があったのですが、日本書紀では、「翌朝、庫を見ますと、剣は庫の床に逆さまに刺さっていました」とあたかも、作者が見たような表現をしています。
 日本書紀の作者も、どうして神武天皇たちが気を失ったか分からなかったようですが、「神が毒気を吐いて、」と記していますから、なにか毒物だとは思ったようです。

丹敷戸畔のことは、古事記にありません。太安麻呂は書きたくなかったはずです。高木神は日本書紀にはありません。書きたくなかったとすれば、書きすぎでしょうか?

記紀の内容は、私が適当に書きました。できれば、両方とも原文で読んで確かめてください。

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