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2007.09.04

No64 備前国の一の宮・石上布都魂神社

スサノオが大蛇を切ったときに使った太刀は、十拳剣と言います。大蛇を切った時に欠けたと古事記には書かれています。しかし、現在(古事記を書いているとき)はどこにあるかは書いてありません。
日本書紀では、本文には、十握剣とあり、尾を切った時に、やはり欠けたと書いてあります。ところが、別書の2に、この刀の別名は、蛇の麁正(おろちのあらまさ) といい、今、石上にあると書いてあります。宇治谷孟の翻訳本では、( )をして、石上神宮と書いておられます。石上神宮は奈良県天理市にある神社のことを言いますから、宇治谷氏の間違いかも知れません。
天理市にある石上神宮は、石上振神宮・石上布都御魂神社・石上布都大神社。岩上大明神・布留大明神とも呼ばれます。
備前の石上神社の祭神は、布都御魂大神 
配祀 布留御魂大神 布都斯魂大神 宇麻志麻治命 五十瓊敷命 白河天皇 市川臣命

祭神は、神武天皇東征のときに、国土平定に偉功のあった天剣(平国之剣=くにむけしつるぎ)と、その霊威を「布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)」。鎮魂(たまふり)の主体である天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)と、その起死回生の霊力を「布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)」。素盞嗚尊が八岐大蛇を退治された天十握剣(あめのとつかのつるぎ)の霊威を「布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)」と称え、総称して石上大神(いそのかみのおおかみ)と仰ぎ、第十代崇神天皇7年に現地石上布留の高庭(たかにわ)に祀られました。古典には『石上神宮』『石上振神宮』『石上坐布都御魂神社』と記され、この他『石上社』『布留社』とも呼ばれていました。――同神宮パンフレットより

この神社は、今年、岡山へ8月12,13,14日と出かけようと思った時に、行く候補地に入っていませんでした。
 スサノオが退治した八岐大蛇は、神話と言われていますが、古事記には、一切神話は書かれていない。そのまま、書きますと古事記が没収されて燃やされてしまうので、理解困難な話に、太安万侶は書いたのだということが次第に解ってきました。
 資料集めに、稗田阿礼が、横田町を訪れた時は、素晴らしい製鉄所はなくなっていましたが、古老から、むかし昔に、山全体を製鉄にした工場があった話を聞いていました。
 このような話を 「新しい日本の歴史」の中で、2007年8月7日より、【No144須佐之男の大蛇退治】と書き始めました。http://blog.so-net.ne.jp/nihonnsi/archive/20070807

 古事記と日本書紀が同じところを書いた記事に相違がある時は、どちらかが、嘘をかいていると考えることにしています。須佐之男の大蛇退治の話は、何度も読み返していると、大蛇を切ったときの剣が、石上にあると日本書紀には書いてあります。その石上に( )をして、石上神宮と書いてありました。石上神宮と書いた人は、日本書紀を翻訳した人です。これは違っているのではないかと思っていましたら、奈良の石上のほかに、備前に石上という所があるだけではなく、そこに、石上布都魂神社があると書いてあるのを見つけ、びっくりしました。

 そういえば、随分前に、私のブログの読者の方が、石上布都魂神社という神社が岡山にはあるのですよと、コメントに書いてくださったことを思い出しました。石上布都魂神社をキーワードにして検索しましたら、一の宮だと書いてあります。以前に牛窓へ行って帰りに立ち寄ったところが、安仁神社です。ここも一の宮であることを行ってみて初めて知りました。その前に、岡山を訪れた時に、吉備津彦神社に行きました。確か、ここも一の宮と確かめますと、一の宮でした。
 という次第で、石上布都魂神社を訪れることにし、コースを変更しました。

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