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2007.11.08

No75 瀧原宮と瀧原竝宮と多岐原神社 1

No66から志摩国の式内社のことを調べて書きました。志摩国には、式内社が少なくて3座しかありません。インターネットで調べると、多くの人は、3座のうち、2座は、内宮別宮である伊雑宮と伊雑宮の所管の佐美長神社とされ、もう一つは、安楽島町の伊射波神社であるとされています。
 しかし、私は、これは間違いで、延喜式神名帳には、
粟嶋坐伊射波神社二座
粟嶋坐神乎多乃御子神社
 と書かれてあり、粟嶋は安楽島の古名です。従いまして、粟嶋は現在の安楽島町になりますから、伊雑宮と佐美長神社を志摩国の式内社に比定することは、間違っていますと書きました。

伊射波神社は、イザワジンジャです。伊雑宮もイザワノミヤというように、「イザワ」と読むことができないのに、無理やりに読ませています。これは、日本書記が、徹底的に古事記に書かれている漢字を書き換えた手法と同じことをしていると感じます。まだ、結論を出すことはできませんが、伊雑宮は、藤原氏によって造られた神社ではないかと想像しています。

今回は、タイトルに書きましたように、全部「タキハラ」と読む神社の名前になっています。「イザワ」のときと、同様に、瀧原宮と瀧原竝宮は、藤原氏が、後の世に別宮として造ったのではないかと。その証拠となるようなものがあるかどうか。そこで、今回も、11月3日、4日と現地に行ってきました。

私が、収穫してきたことを書きます。できれば、どなたかが、又、行かれまして、もっと他のデーターを収集して頂ければと思っています。

 瀧原宮と瀧原竝宮は、伊勢神宮の内宮に所属し、宮域外に八つある別宮の一社です。
http://www.isejingu.or.jp/naigu/naigu2.htm 
祭神は、天照坐大神皇大御神御魂
所在地は、三重県度会郡大紀町滝原872。
 伊勢神宮のホームページに書かれている瀧原宮を訪れますと、社務所とみられる建物(宿衛屋)の裏へ下る道があります。川幅5m ぐらいの川に出ます。御手洗場です。川の名前は、頓登川です。この川は、大内山川といい、延長約40kmの宮川第一の支流である大内山川に合流すると思います。(不確かです)
奥に正殿が二棟あり、左が瀧原竝宮、真ん中に瀧原宮があります。右に、やや小ぶりの若宮神社が南に向いて並んで鎮座しています。瀧原宮と瀧原竝宮の鰹木は、6本です。若宮神社(祭神—若宮神)も、6本ですから若宮神社は、瀧原宮と瀧原竝宮と同じ格であることになります。(若宮神社の左には御船倉があります)
東に位置するところには、もう一つの社があります。長由介神社です。この神社には、川島神社が一緒に祀られています。社の建て方は、他の社と同様ですから、古くからあるように思われますが、詳細は不明です。 
 ということで、瀧原宮には、5つの神社が祀られています。この敷地の東側に、同じ広さの空き地があります。ここは、古殿地と呼ばれ、20年毎に行われる式年遷宮の代替え地です。

瀧原宮の鎮座地は上に書きましたが、どこにあるかと言いますと、伊勢神宮の外宮の西側に宮川があります。この川を40Kmほどさかのぼったところにあります。別宮では、最も遠い所にあります。
伊勢神宮のなかには、多くの謎がありますが、瀧原宮の位置が遠すぎるのも、その一つになります。それに加えるに、瀧原宮の隣に瀧原竝宮があることも謎です。また、同じ敷地に、若宮神社と長由介神社と川島神社があることも謎です。

もう一つの謎を書きますと、瀧原宮と瀧原竝宮と、やはり別宮である伊雑宮は、「延喜式」には、「大神の遙宮」すなわち遠隔の宮という説明は付けられていますが、祭神名は記されていません。ところが、神社の由緒にも、目にした本にも、天照大御神の御魂を祀っていると書いてあります。

これ以上のことは、瀧原宮で頂いた「参拝のしおり」ぐらいです。
次回は、この謎に挑戦してみようと思います。

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