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2008.02.27

資料No15 国別分布

http://punipuni-nikukyu.com/knowledge/old_country.php

律令制で、大国、上国、中国、下国に分けられましたが、なにを基準にしたかは、
①国を面積や人口などで四等に分けた。
②日本国内の各国は国力等の政治・経済上の基準で分けた。
  上記2種類があります。

両方とも、面積や人口 そして、国力等はわかったのでしょうか?

親王任国 <「守」(従四位下) 「介」(正六位下)>
常陸・上総・上野
上野(現在の群馬)と、常陸(現在の茨城)・上総(現在の千葉)は、親王の任国とされています。この三国も大国です。
●大国 <「守」(従五位上) 「介」(正六位下)>
陸奥・下総・武蔵・伊勢・近江・越前・大和・河内・播磨・肥後   

●上国 <「守」(従五位下) 「介」(従六位上)>
出羽・下野・相模・信濃・甲斐・駿河・遠江・三河・尾張・美濃・越後・越中・加賀・山城
摂津・紀伊・丹波・因幡・但馬・備前・備中・備後・美作・出雲・伯耆・安芸・周防・讃岐
阿波・伊予・豊前・豊後・筑前・筑後・肥前  

●中国 <「守」(正六位下)>
安房・能登・佐渡・丹後・若狭・石見・長門・土佐・日向・大隅・薩摩   

●下国 <「守」(従六位下)>
伊豆・志摩・伊賀・飛騨・和泉・淡路・隠岐・壱岐・対馬   


上記の国別は、いくつかのホームページに書かれているものを記しましたが、平安時代のものかも知れません。

 
以下、参考になるホームページです。

平安以降の国分布 
国の職員 http://homepage1.nifty.com/kitabatake/kani-tihou2.html
官位相当表 http://www2s.biglobe.ne.jp/~yochicaz/doc/kandjst.html

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2008.02.26

資料14 神郡

神郡は、カミコホリ、カミゴオリ、シングンと読みます。
郡は、現在ですと、大阪府豊能郡豊能町というように使います。この形からみますと、町がいくつか集まって、郡を形成します。府県の下にあり、町などの上にある行政区画になります。古代ですと里とか郷が集まって郡を形成していました。

その郡に「神」が付いています。神さん用の郡ということでしょうか?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による説明は、次の様にかかれています。
「神郡とは、国郡制成立に伴い神社の神域(神様の領土)として誕生した他郡とは違う特別な郡のことである。大化の改新 
によって国郡制 が成立し、649年に神郡制度が成立した」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

当初、次の郡が定められた。
 筑前国宗像郡:宗像大社
伊勢国渡相郡:伊勢神宮
伊勢国多気郡:伊勢神宮
安房国安房郡:安房神社
出雲国意宇郡:熊野神社・杵築大社
常陸国鹿嶋郡:鹿島神宮
下総国香取郡:香取神宮
紀伊国名草郡:日前神社・国懸神社

 上記のうち、平安時代に、「神宮」の称号で呼ばれていたのは、延喜式神名帳によると伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の3社だけです。
神郡成立後は、渡相郡・竹郡に分割され後に度会郡・多気郡と改称した。664年に多気郡から飯野郡を分割して公領とした。

その後、伊勢国内の諸郡は次々と神郡に編入されていった。
員弁郡-940年
三重郡-962年
安濃郡-974年
朝明郡-1020年
飯高郡-1185年

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2008.02.25

資料13 神庤

神庤と書いて、「かんだち」と読むそうです。

 「庤」の字はヤマイダレではなく、マダレです。
 「字通」には、痔の字は「ニンベンに待」と同じだと書いてあります。読み方は「チ」、「マツ」「ソナエル」と書かれています。
ニンベンに待つですから、意味は人が待つことなのでしょう。

この言葉は、どこに使われているかと言いますと、『皇太神宮儀式帳』に掲載されています。
【延暦23年8月28日伊勢大神宮祢宜等解(『皇太神宮儀式帳』)・一初神郡度会多気飯野三箇郡本記行事(804)
右従二纒向珠城朝廷一以来。至二于難波長柄豊前宮御宇天万豊日天皇御世一。有尓鳥墓村造二神庤一弖。為二雑神一政所仕奉支。而難波朝廷天下立レ評給時仁。以二十郷分一弖。度会乃山田原立二屯倉一弖。新家連阿久多督領。礒連牟良助督仕奉支。以二十郷分一。竹村立二屯倉一。麻続連広背督領。磯部真夜手助督仕奉支。 (略)】

国学院大学のhttp://21coe.kokugakuin.ac.jp/db/jinja/district.html に一部掲載されています。
意味は、「纒向の珠城の朝廷より以来、難波の長柄の豊前宮に御宇天万豊日天皇の御世まで、有尓(うに)の鳥墓村に神庤を造って、雑の神政所(かんまつりどころ)として仕え奉り支。・・・・」
神庤は、漢字の意味から言いますと、一寸した役人の待機所かと思いましたが、上の文面から考えますと、雑(いろいろ)の神に関してのことを司る所のようです。
 そうであれば、その後も、あちこちに使われていても良いと思われますが、今の所、目にしません。
文章は、その後、すぐに、続けて書いてあります。
「而難波朝廷天下立レ評給時仁。以二十郷分一弖。度会乃山田原立二屯倉一弖。新家連阿久多督領。」
十郷分を以て、評(その前は県)を定め、度会の山田原に屯倉を造ったということでしょうか。そして、新家連の阿久多が督領になり、礒連の牟良が助督になって仕え奉った。

ここには、書かれていませんが、同じ、『皇太神宮儀式帳』に、中臣香摘連須気が神庤で長として在任中に、「度会の山田原に御厨を造りて、神庤という名を改めて御厨と号(な)つ゜け、やがて大神宮司と号づけき」と書かれているそうです。
度会の山田原に屯倉を造ったと書きましたから、その後に、度会の山田原に御厨を造って、神庤という名を改めて御厨と号(な)つ゜けたことになります。
 御厨は、御が付いていますから、普通の台所ではなく、神饌をつくる台所でしょうか?


「有尓(うに)の鳥墓村に神庤を造って、」という記述があります。
ここに書かれている有爾郷は、斉宮があった多気郷の隣の郷です。現在は、鳥墓村はありませんが、三重県多気郡明和町蓑村字鳥墓に 鳥墓神社 があります。ここの由緒にこの神社に、有尓神社を合祀したように書いてあります。
この神社の入口に、昭和6年の「鳥墓神庤旧跡」と彫った石碑が建っているそうです。
 仮にこれが、神宮の政庁であれば、神宮はこの辺りにあったと思われます。
 斉宮跡との距離は、2.5Kmぐらいです。

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2008.02.15

天の岩戸<1>    page 38

古事記のハイライトは天の岩戸の事件である。この詳細は別稿にゆずりたい。この天の岩戸は、郷原の山陽休暇村の、西1キロの愛宕山の中腹である。
 戦前までは、高天原がヒルゼンにあったとか、天の岩戸の話をすることはタブーだった。現に佐竹先生の〝神代遺蹟考〟の資料を提供した人々も、不敬罪のかどで取り調べを受けたのである。
 天の岩戸に登場する、天ノ香山とは、現在の城山だった。大和の三山の一つ天ノ香久山と山の形が、そっくりだった。
 天孫民族が移動した先にヒルゼンと同じ名前をつける癖があることを発見する、いとぐちになった。
 この物語に出てくる天の金山や鍛冶屋の集落の地名も残っている。
 常世の長鳴鳥とは、中国から、連れて来た鶏で地図にはないが鶏鳴の地名まで残っている。岩戸の前の舞いは大宮踊りだったと考えたい。

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2008.02.09

大宮踊り    page 37

現在は8月15日にヒルゼン中福田の福田神社で踊られている。無形文化財に指定されている。のんびりと一風変った躍りである。
福田神社はもと大宮大明神と呼ばれていた。古代に大宮と、大の字がつくのは、最高か天子を意味する。大山は山のトップである。大札、大葬、大典は天子に関することである。 
大和の三輪大明神以上に格式が高いものと思えてならない。

NHKのシルクロード、音楽の旅は、天山山脈のクチャから、日本の宮廷音楽が来たことを教えてくれた。
放映を見て、クチャの踊りは大宮踊りと同じことを見出した。
クチャの楽器と一緒に踊りがこなければおかしい。ヒルゼンを通って都にもたらされたことと考えられる。
天の岩戸で神々が躍ったのが大宮踊りだった筈だ。2000年踊りつづけられた、大宮踊りの歌の文句は、天子の子が踊るとなっていた。

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2008.02.05

資料No12地名日置と人名日置

日置姓の分布
人口は2000年時  単位は1000人

府県名 日置姓 府県別人口 人口比

北海道 144 5698 2.53
青森 1 1469 0.07
岩手 1 1412 0.07
宮城 3 2394 0.13
秋田 0 1189 0
山形 3 1247 0.24
福島 3 2148 0.14
茨城 27 3057 0.88
栃木 7 2026 .0.35
群馬 6 2035 0.29
埼玉 54 7099 0.76
千葉 104 6022 1.73
東京 183 11554 1.58
神奈川 84 8456 0.99
新潟 2 2490 0.08
富山 9 1124 0.80
石川 5 1190 0.42
福井 11 827 1.33
山梨 0 908 0
長野 32 2229 1.43
岐阜 434 2126 20.41
静岡 101 3791 2.66
愛知 464 7007 6.62
三重 290 1886 15.38
滋賀 52 1351 3.85
京都 90 2633 3.42
大阪 168 8677 1.94
兵庫 145 5587 2.60
奈良 18 1479 1.22
和歌山 30 1081 2.78
鳥取 42 610 6.89
島根 13 758 1.72
岡山 34 1969 1.73
広島 14 2903     0.48
山口 4 1530 0.26
徳島 2 829 0.24
香川 4 1027 0.39
愛媛 5 1492 0.34
高知 3 805 0.37
福岡 23 5023 0.46
佐賀 0 885 0.00
長崎 10 1516 0.66
熊本 77 1865 4.13
大分 2 1218 0.16
宮崎 27 1176 2.30
鹿児島 98 1774 5.52
沖縄 11 1318 0.83
-----------------------------------
合計 2840 127890 2.2

上手く表示できません。<日置さん全国分布> をご覧ください。

和名抄に記載された日置
 大和国葛上郡(今の広陵町を含む一帯)に 日置郷
 和泉国大鳥郡(今の鳳町を含む一帯)    日部郷あり、堺市に日置荘あった
 伊勢国一志郡に                 日置郷あり


9世紀はじめに存在した日置(和名抄より)
鹿児島県川内市
熊本県玉名郡
山口県大津郡
山口県佐波郡
鳥取県気高郡
兵庫県多紀郡
兵庫県城崎郡
京都府与謝郡
石川県珠洲市
新潟県東蒲原郡
新潟県中蒲原郡
新潟県南蒲原郡
愛知県海部郡
千葉県安房郡

日置地名


読み 府県名  経度          緯度       地図名
 
1  ひおき  富山   137度17分   36度39分     五百石
 
2 ひおき 富山    137度17分  36度40分       上市
 
3 ひおき 愛知     136度53分  34度39分       熱田町
 
4 ひおき 三重     136度26分  34度39分       大仰

5 ひおき 京都      135度13分 35度36分       日置

6 ひおき 京都      135度32分  35度05分       殿田
 
7 ひおき 兵庫      134度46分  35度27分       江原

8 ひおき 兵庫      135度17分  35度03分       福住

9 ひおき 鳥取      134度01度  35度59分       鳥取
 
10 ひおき 熊本      130度43分  32度31分       来氏
 
11 ひおき 熊本      130度37分  32度31分       八代

12 ひおき 宮崎      131度30分  32度04分      日向日置

13 ひおき 宮崎      131度30分  32度05分       高鍋
 
14 ひおき 鹿児島     130度21分  31度34分       伊作

 
15 ひおき 鹿児島    130度21分  31度35分       長里

16 ひおき 鹿児島  130度22分       31度35分       伊集院

17 ひき 愛知  136度42分  31度34分       名古屋

18 ひき 和歌山 135度26分       31度35分      紀伊日置

19 ひき 和歌山 135度27分       31度35分      紀伊日置

20 ひよぎ 岡山 133度33分      34度37分       矢掛

21 へき 福井 135度30分      35度27分      高浜

22 へき 愛知 136度44分      35度09分      弥高

23 へき 京都 134度58分     35度19分     矢名瀬

24 へき 山口    131度04分      34度21分     山口
 
25 へき 熊本 130度38分      32度31分     八代

26 へき 熊本 130度42分      32度58分     熊本

27 へき 宮崎 131度30分      32度04分       高鍋

28        宮津市  135度16分    35度04分

29 篠山市  135度13分    35度36分


上手く表示できません。<日置地名>をご覧ください。

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2008.02.04

田植え祭    page 28

ヒルゼンには大宮踊りがある。これは大が付く以上、天子の踊りである。天の岩戸の前で踊られた、神々の舞いでしかも、月読命のグループが伝えたものと考えたい。
 ヒルゼンは全地域地名に田がつく。しかもこの地名には宮田、長田、福田、社田と区別があり、グループの内容まで教えてくれている。
 長田とは、社長、天長の長で、長い田ではなくて上層階級の田である。他の田の説明は今更不用だろう。
 注意すべきは苗代の地名があることで、もみはバラマキ出なかった。従って田植えが行はれた。
 これが2000年昔の話である。そして長田神社では今も豊作を願って田植え祭が行はれている。
 最新式の稲作技術が、先ヅヒルゼンに導入されたと申上げたいのである。

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2008.02.03

真名井    page 27

古事記では、みそぎの場所として真名井が何ヶ所か登場する。
 この真名井は高天原のすぐ西南にある。地図では塩釜となって温泉マークがついている。
 地図を歩く時には、注意が必要だ。
 温泉マークだから湯煙りでも上げていると考え易い。しかし実際はなっでも十度を超えることはない、地温よりもはるかに低い、冷水が大量にわき出ている。
 更に温泉の様にアルカリや酸性の水ではなくて真水で、しかも美味しい名水である。
 真名井とは正にピッタリで、ここにも古代の地名のつけ方の、お手本がある。
 現在はここに周囲に彫刻した岩を並べた、おおきな広場があり、夏には中央でキヤンプファイヤかがたかれる。
 古代には神々は磐座(イワクラ)で儀式をされた。岩と磐の違いで現在はフォークダンスを踊る所になった。
 この岩の彫刻の一つが高天原をさしてくれている。

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2008.02.02

資料No11 神階について

三重県には、名神大社と呼ばれる神社が二社あります。
それは、
 阿射加神社三座(伊勢国壱志郡)
多度神社(伊勢国桑名郡)

です。この二社が、どのような文献に、どのような掲載されているかは、國學院大學21世紀COEプログラムという中で、公開されています。
この中の、「神社史料集成(神社資料データベース)を利用しますと、すべての神社の資料が利用できるわけではありませんが、阿射加神社三座と多度神社は、利用することができます。
阿射加神社を見えるようにしてください。みつからない時は、左の阿射加神社をクリックしますと、現れます。

ここに掲載されている資料は、すべてのようです。
『日本三代実録』貞観元年正月27日甲申条(859)における資料が一番多いことが判ります。
多くの資料の中から、三重県に注目しますと、

伊賀国無位穴石神従五位下。伊勢国従三位多度神正三位。従四位下阿射加神従四位上。

ここに書かれてある資料は、神社名と階位のようです。
① 伊賀国の穴石神には、無位だったのが、従五位下が与えられました。
② 伊勢国の多度神には、従三位だったのが、正三位が与えられました。
③ 伊勢国の阿射加神には、従四位下だったのが、従四位上が与えられました。
 
 階位のことは、全く知りませんが、どうやら、従四位下より従四位上が上だということ、従三位より正三位の方が上で、多度神は、この年、格段の差で昇進したことが判ります。
それに、各神に階位が与えられたのですが、多くの神に与えられたことが判ります。

神階は、神に与えられたのですが、神はそれによって、喜ぶわけでもなんでもありません。その神を祭っている関係者になにかいいことがあるから与えることになります。

神位を与えるのは、だれでしょうか? 一応、天皇か朝廷ということになると思いますが、
貞観元年正月27日甲申条(859)という年は、余程、特別なことがあったと思われます。

神位を与えるということは、神位を受け取る人がいることになりますが、授与式の様なことが行われるのでしょう。その時は、神位を書いたものを準備し、受け取る方は、頭を下げて受け取ることになります。
 この時に、身分の上下関係がはっきりすることになります。
資料の方は、その後に、日時は書いてありませんが、『延喜式』3(臨時祭)・名神祭条〔28〕
と記して、掲載されています。『延喜式』に掲載されることになると思われます。

このように考えますと、阿射加神社三座と多度神社の二社だけを比べますと、多度神社の方が、昇進の仕方が大きいですから、多度神社の方が、神位を与える人に忠実であったことが、想像できます。

現在で言いますと、文化勲章を受けるようなものです。勲章の種類によって人間の値打ちを決めるようなものですが、受け取ることを喜ばれる人のほうが多いです。現在は、無くなりましたが、軍人に与える勲章も似たようなものです。
 安い勲章を与えるだけで、与える方と受け取る人の間で、歴然とした差を作ることができ、この階位によって、受け取った方を、上から下まで並べて管理し易くなります。

さて、私のこの考え方が、正しいとしますと、貞観元年正月27日甲申条(859)の頃は、その作業がピークに達した時だと思われます。

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2008.02.01

資料No10三重県の神社整理(神社合祀)

神社合祀政策は1906年(明治39年)の勅令によって進められ、全国で1914年(大正3年)までに約20万社あった神社の7万社が取り壊された。特に合祀政策が甚だしかったのは三重県で、県下全神社のおよそ89%が廃され、青森県では、4%ぐらいが取り壊され、京都府では10%程度ですんだ。
和歌山県や愛媛県もそれについで合祀政策が進められた。

田辺に住んでいた南方熊楠は、次の様に述べている。(全文は)
「神社合祀は第一に敬神思想を薄ふし、第二民の和融を妨げ、第三地方の凋落を来し、第四人情風俗を害し、第五愛郷心を減じ、第六治安民利を損じ、第七史蹟古伝を滅ぼし、第八学術上貴重の天然記念物を滅却す。当局は斯く迄百方に大害ある合祀を奨励して一方に愛国心敬神思想を鼓吹し鋭意国家の日進を謀ると称す、何ぞ下痢を停め人とて氷を喫ふに異ならん。」と合祀政策を非難しています。
 
三重県では明治39年から神社整理の嵐が吹きすさび、39年に562社が整理され、翌40年には神社境内の設備と神社基本財産について規定を定め、さらに必ず専任神職を置くことを求め、それに合わぬ神社の存立を認めぬ方針を打ち出した。このため、41年4月までに7348社が合祀され、一村一社という県の方針に従った町村が97、社名を町村名に改称した神社は、112に達した。地域的には南伊勢が激しく、伊賀がそれに次ぎ、北伊勢ではさほど出なかった。 (参考書籍—山川出版社 三重県の歴史)

この例として、佐那神社を挙げる。
祭神
 天手力男命 配祀 曙立王命
 合祀 天宇受賣命、速玉男命、伊邪那美命、天照大御神、須佐之男命、天忍穗耳命、天津日子根命、天穗日命、活津日子根命、熊野久須毘命、田紀理毘賣命、多岐都比賣命、市寸嶋比賣命、火産靈命、倉稻魂命、大山祇命、木花咲耶姫命、事解男命、譽田別尊、猿田彦命、菅原道眞
摂社
天宇受賣命和魂、天宇受賣命荒魂

祭神が天手力男命というのは、珍しいです。古い神社だと思っていいと思います。
この神は、アマテラスが岩戸に隠れてしまった時に、天の岩戸をこじ開けて、アマテラスに出てきてもらうのに功績のあった神です。
 又、ニニギ命は天孫降臨に際して、天児屋命、布刀玉命、天宇受売命、伊斯許理度売命、玉祖命の五人の家来を伴って、天降されますが、その時に、常世思金神と手力男神、天石門別神を副えたと古事記に書かれています。今、手力男神は佐那那縣に坐すとも書かれています。
合祀された神々は、すべて、古事記に登場する神です。今となっては、この神々がどこで祀られていたのか判りませんが、佐那神社の周りでつられていたと思います。
この後、古事記では、ニニギ命が天孫降臨する時に、猿田彦大神が分かれ道で、道案内をするために、待っていた描写があります。その時の相手をしたのが、天宇受売命であり、案内が済んだのちに、伊勢にやって来たような描写になっています。
 又、猿田彦大神は、以前に、阿邪訶に住んでいた時に、溺れた話が、挿入されています。
古事記に書かれている「阿邪訶」は、一志郡のあたりを阿佐賀国と称していましたから、この辺りに住んでいたと思われます。
 ここに、式内社の阿射加神社(松阪市)があります。祭神は、猿田彦大神です。

このように、眺めてきますと、一志郡のあたりを阿佐賀国は、天皇家の祖先たちが、大勢やってきて住んでいたことになります。
伊勢全体は、神社に関しては、最も、特殊な土地となりますから、神社の資料は、注意深く考える必要があります。

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