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2008.03.29

三平山スカイライン   page 42

スサノオの命は天の岩戸事件の罪として、神の座から降ろされヒルゼンから追われた。 この時三平山のスカイラインから下を流れる俣野川に下って行った。
 スサノオの命は古事記に、第1号の歌を載せて貰っている。日本最古の歌である。

 八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに
 八重垣作る その八重垣を

 この八雲は色々と解説されているが、スサノオの命がこのスカイラインから、出雲を見下した時の実感である。
 この場所には何十回か立ったことがある。
出雲の山が次から次えと遠方に、山水画の様に何重かに浮かんで見える。
 大と山との間には、雲が淡くただよっているから、、八雲立つというべきだ。

 地上では八雲立つ現象が現れる筈がない。出雲の国名も大山の写真を撮るときには、何時も出雲の方向から雲が、次から次とわいてきて悩まされる。
 やはりヒルゼンに居った人の実感が国名になった様だ。

私の一言—大阪では、桜がいっぺんに開花しました。ヒルゼンの春は少し、遅れるでしょうか? 作者、田村誠一氏は、「この場所には何十回か立ったことがある」と書いておられます。ヒルゼンに、住まいがあったから出来たことかも知れませんが、2回や3回行ったからと言って同じ、光景は見ることができません。このように、何度も行かれますと、「地上では八雲立つ現象」を発見することにつながったのだと思います。

地元の人でも、何回も行かれる方は少ないと思います。
前回の鬼女台展望台や三平山スカイラインは、私は行っていません。出来ましたら、どなたか、行かれて、どのような印象を持たれたか教えてください。(コメントに書きこんでください)

 私は、最近は、伊勢と伊賀の国に、拘っています。今のところ、4回行きました。こちらの方も、自然は、1000年前と同じでしょうが、宅地開発されて、想像することもできません。しかし、訪れる度に、新しい発見ができます。
 歴史を知るには、行くことが出来ない所は、地図で訪問。行くことができるところは、何回も訪問することを、田村誠一氏より学びました。
 
【新しい日本の歴史】http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2008-03-08
No321 夏見廃寺は、伊賀国の名張にある廃寺です。このファイルの前後は、伊勢と伊賀です。興味がありましたら、覗いてください。  H20.03.29

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2008.03.22

鬼女台展望台   page 41

女の鬼ではない。鬼と女である。女とはイザナミの命の亡霊だ。鬼とは埋葬された副葬品を盗掘する人たちだ。 2000年昔にも、存在していたことを古事記は教えてくれた。
 イザナミの命やホホデミの命は大山の西の溝口町の御墓原に葬られた。イザナギの命が亡くなられたイザナミの命を尋ねた時には、火をともしてのぞきこんだら、ウジがわいていた。黄泉(ヨミ)の国の出来事である。
 恐ろしくなって逃げ帰った。この時鬼に追いかけられたのである。やっと、追いはらってたどりついた所が鬼女台なのだ。
 鬼住山も御墓原と隣り合せで実在している。事実は奇なり、考える外ない。
 古事記ではイザナミの命は出雲と伯耆の国境に葬ったとあるから、改めて洗
骨して比婆山ら葬った。現在は安来市南境から2キロに比婆山神社が実在している。
 古事記ははてしなくも風葬のやり方まで教えてくれるので、中国華南がお里だったことまで証明してくれた。

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2008.03.15

◆ 天の磐座大神宮   page 40

現在は郷原の茅部神社である。岡山文庫の≪蒜山高原≫によれば、ここの日本一の石の鳥居は1863年に、ここの氏子が近江の多賀神社に参けいして日本一の石の鳥居を見て帰って、もっと大きいのを建造したとのことある。
 日本中にある神社の中で、わざわざ遠方の多賀神社にお参りしたことには、何か理由があった筈である。
 一歩譲ってなぜ檜で鳥居を作らずに、石で建造したか。石は何所から運んだかを考えて見るべきだろう。
 神社名が磐座(イワクラ)となっている様に古代に石は神聖視されて来た。大和の三輪山は、山そのものが神体で、大神神社(オオミワ)と呼ばれている。 
 ここで一番神聖な所は磐座で、近づくことも許されない。ここは古事記で一番初めに出て来る神社である。このお手本がヒルゼンにあったことになる。
 しかもここの祭神は天照大神だったのだ。
神々のふるさとにふさわしい、やしろである。

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2008.03.05

◆ 天の岩戸(2)    page 39

この事件の一つだけ考えても、色々なことを教えてくれる。一部は別稿に譲ことにしたい。
 スサノオの命は倉吉平野で、稲作をやる様に云われたが、倉吉も不毛の地で、米が取れない所だった。蒜山の火山灰に覆われいた。
 米子の中海の周辺に行きたかった。こちらの方が米がよく取れることを知っていたのである。米子と地名まで米がついている。
 スサノオの命は天照大神の田んぼのあぜを壊した。稲作を導入した証拠である。
 天の香山は天の岩戸から、6キロ離れている。ここには鹿が居った。鹿の食糧になる雑木が生えていたことも書かれている。
 ヒルゼンはブナの原生林に覆われていた。これは火山灰のせいである。しかし、天の香山は斜面がきついから、火山灰は雨で流され雑木が育っていたのである。
 学者は古代に西日本は照葉樹林で覆われていたとNHK
でも放映している。日本の古墳の出る所毎日何が生えていたかを考えるべきだと思うが如何だろうか。

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