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2008.05.30

古代の道(1)   page 57

古代には日本人は船が、大したことなかつたと、現代の感覚でかんがえている。しかし世界的には、エヂプトのアレキサンドリヤから、東洋には通商ルートが、拓けていたと考えたい。
更にお隣りの中国は、南船北馬の国だった。船がないことには揚子江の周辺は交通は不可能な国だった。
陸上はシルクロードのNHKのテレビが砂漠を、西も東も砂煙で、分からない所を旅行したことを教えてくれた。
しかし照葉樹林帯をどの様にして、旅行したかは謎である。道はなかったし、道は必要なかった。わずかしか人が通らないなら、すぐ道はかん木に埋もれてしまう。
人は木の下をくぐっても、歩めるが馬はこんな分けには行かない。騎馬民族説があるが京都、大阪の淀川を渡れたろうか。平野部でも日本国内を馬で旅行することは、大変なことだった。
 古代とはここで取上げるのは、紀元ゼロ世紀の話である。

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2008.05.25

地名を考える (10)   page 56

ヒルゼンには道目木と云う珍しい地名がある。地図を歩いて居る内に、東南隣の富村を流れる、旭川の支流が目木川だった。
九州の阿蘇盆地にも、宮や神のつく地名と共に道目木がある。更に伊都国九州説の糸島にも福浦や神のつく地名と一緒に道目木がある。偶然と云えるだろうか。
ヒルゼンの近くに耳スエ山がある。耳が地名につくことも珍しいが、大和三山の一つは耳成山であり、福と神に縁のある地方には耳川等が各所に見つかるだろう。
耳は古事記の神代の神々の名によく使われているからこれも無縁ではなさそうだ。
 ヒルゼンには白髪の地名や毛無山があるがこれも福や神の地名と各地で同居している。
要するに一つ一つの地名を取り上げるのではなくて、パターンとして考えれば集団で、計画的に渡来したことがはっきりしてくる。
 これこそ古代史を解く一つの手段と考えたいのである。古墳以上に色々のことを教えてくれるから大切にすべきである。


管理者からの一言---ヒルゼンの道目木---旭川の支流の目木川---糸島の道目木
 この3つは、地図で発見されました。今でしたら、「目木」をキーワードにWEBで検索したら出ると思います。しかし、この文章を書かれました田村誠一氏は、その方法は、ご存じなかったと思います。ひたすら、毎日、地図ばかり眺めておられたはずです。

 私が、地名に興味を持ったのは、同じ同好会のメンバーに、辻保治氏が居られたからです。 
 この方も、いつ訪問してもルーペ片手に地図を眺めておられました。
例えば、「イカルガ」と云う地名が、全国にいっぱいあります。有名なところでは奈良の
「斑鳩」ですが、ここの場所がどのような所にあるか、すぐに略図をかかれます。ここは、奈良盆地のすべての川が集まるところです。全国どこのイカルガでも、略図を書かれます。  
川が集まった所は、「河合」とか「落合」という名前が付いていますが、「イカルガ」は、その周りの等高線が狭くなっていたりするところが多く、氾濫したであろう所に名付けられているように思われます。このように地図を眺めることによって、辻保治氏の研究発表がなされました。「大和・いかるが考」
http://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page259.html です。
 この研究発表は、出発点のような言葉で最期を結んでおられます。その後、発展させることなく亡くなられました。
その後、使っておられました膨大な全国の50000分の1の地図を頂戴しました。たまには、眺めますが、辻氏や田村誠一氏のような訳にはいきません。それでも、普通の人とは、違います。
 車で走っていますと、どんどん、地名が目に入り、頭にインプットされます。された地名が、3年後にでてくることなどはザラです。

田村氏は明治生まれの方です。遠慮がちに「古代史を解く一つの手段と考えたいのである」と書いておられますが、考古学と同じ位置においても良いと思います。

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2008.05.22

地名を考える (9)   page 55

第一話 神々のふるさと ヒルゼン      昭和55年11月21日
地名を考える (9)   page 55
ヒルゼンの西北に聳えているのは大山(ダイセン)である。大とは山が大きいだけではない。
大礼、大葬、大典と同様に、大とは天子のことである。大山とは天子の山だつたのである。
古事記に出てくる国譲りは、米子の東の大和村小波浜で行われた。天子の講和がここで行われた。大和の国の名もここから起こったと考えるべきだった。最近淀江町に合併されてこの由緒ある地名も消えた。
天照大神が余生を送られた所は、大江山の麓だった。山に江のつくのはおかしい。これは揚子江のことだった。
大江山の南に大呂の地名がある。漢和辞典で大呂とは、天子の鐘で、しかも中国古代の周の皇室の墓所の、特定の鐘だった。
大江山の東の山は湯舟山だが、温泉には関係がない。山に舟もおかしい。湯とはこれも中国古代の国の名である。
地名のパターンで天照大神は、中国の呉の太伯の子孫であることの確立は高くなった。

管理者の一言---太伯の子孫の出どころは、
【晋書 倭人の部分 全文】にあります。
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page181.html

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2008.05.17

地名を考える (8)   page 54

磐田の古墳の近くを流れる川は天竜川である。川の名にも天がつくが、磐田の西岸には天王の地名が現存している。
ここには国分寺等があったことは、古代には栄えた所だったことを教えてくれている。福と神に縁のある地名が多いことは、天孫民族の拠点だった証拠ではないか。
稲荷山古墳は鉄剣で一躍有名になった。同時に崇神天皇の実在を認めざるを得なくなった銘で、古事記偽作説の学者を糾地におとし入れた所である。
 この付近は国土地理院の深谷と熊谷が役立ってくれる。
 もちろん天王の地名があった。予測通りであった。正しく天孫民族の一大拠点である。
福のつく地名や神のつく地名が非常に多い。
天神のつく地名も多い。御稜威ヶ原(ミイズ)の地名も面白い。熊谷と熊の字は天孫民族が好んで使用する字だ。
 ここでも地名をパターンで考えるべきことを教えてくれた。天孫民族は集団行動の計画性をもった民族だったのである。


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2008.05.15

地名を考える (7)   page 53

天のつく地名は検討に値すると申し上げたい。ヒルゼンの近くでは、(現在湯原町)宇和佐も、天王と呼んでいたので、ヒルゼンではこれを加えて四天王と称している。
古事記の天ッ神は誰々だったかは、愉しみに残しておきたい。ただ宇和佐だけは天ノ久米命だったとヒントを出しておこう。
さて神武天皇は境港大橋の真下の、日向浦から宇佐に寄り道して、筑紫の遠賀川流域の岡田宮に行かれた。この南の山は、天ノ坊である。
吉備の高島は、神島(コウノシマ)の南隣の島で、常時は近くの天城に居られた筈だ。
紀州の熊野から吉野に向かわれた。この時は御坊から日高川、熊野川、神納川と進まれた筈で最後が天川である。三輪に落着いた所が大福と福のつく地名で、近くに天王池や天神山がある。
磐田の古墳で大騒ぎしているが、磐の字はいわき市と使はれる所が少い。しかし磐座の磐で神聖である。何れも天孫民族にゆかりの土地であ。

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2008.05.13

地名を考える (6)   page 52

ヒルゼンには天王の地名が3ヵ所ある。地図には1ヵ所しか示されてないが、この外に福田神社と長田神社のある所が相当する。
戦後には神社名まで、末梢されたが、神社も歴史だから地図に残すべきだ。しかも福田神社は無形文化財の、大宮踊りのある所だし天然記念物のイチョウが、二本もある。
旅行者に不自由な地図は何の目的に使用されるのかと申し上げたい。
余談になったがヒルゼンには、天狗山、天谷の地名があり、倉敷を流れる川は天神川である。米子には天津村がある。
これらの天は、お空の天ではない。天ッ神と天ノ原すなはちヒルゼンに縁のある地名だ。
天照大神が余生を送られた大江山の麓の御座所のあった所は天座である。南の山は天ヶ峰だし、天田、天王から天津の地名まで、地図に載っている。
大江山の南は、天田郡で月読命が余生を送った所である。
なぜこの地域に天のつく地名が多いか。地名をパターンで考えるべき理由である。

管理者の一言-----「地名をパターンで考えるべき」はあまり聞き慣れませんが、その通りだと思います。
ヒルゼンの「天」の地名と京都・福知山、大江山の麓の御座所のあった所は天座は正しいかどうか分かりませんが、「天座」という地名があることぐらいは確認したください。
わたしは、この辺りは、3回に分けて走り回ってきました。

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2008.05.11

地名を考える (5)   page 51

ヒルゼンには縄文後期の古墳がおびただしくある。ここに広範囲に、田のつく地名があることが、古代史を解く鍵である。更に神に縁のある地名と中国臭の地名も、同時代に名付けられたと考える外ない。
神々が計画的に導入したと考える外ない。しかも、上、中、下福田と広域に福がつくことは、華南からの渡来民と考えたい。
イザナギの命が天照大神、スサノオの命、月読命の三人に後事を託して、近江の多賀に隠とんされた。三人三様の名前は、単一民族でなかった証拠である。シルクロードの奥地から出て来ても優遇される筈もなかった。
この集団が計画的に、神に引連れられて、酒田平野にまで入植した。
 焼畑の時代だから、先住民と争いは起きなかった。デルタ地帯には地名も無かったから、福、神、田等の地名グループを生じた。
最初にあげた福岡市の由来の岡山市西大寺の福岡や、福知山、福島を始め福井市はもとより、下北半島の福浦までが無縁ではない。

管理者の一言----ここに書かれてある
「・・・同時代に名付けられたと考える外ない」
「華南からの渡来民と考えたい」
「神々が計画的に導入したと考える外ない」
は、当初は、読むたびに腹が立ったのですが、最近は、好きな言葉になっています。

何処が気に要らないかと言いますと、学問的でないからです。ところが、田村氏が実践しておられる現地を訪問する度に、そこに知識が増えます。そこに加えて、これでもかというほど、その土地の基本的な縄文・弥生時代の資料も増えてきますと、「・・・同時代に名付けられたと考える外ない」としか言いようのないものが発見できると思っています。
それが、自然の厳しいヒルゼンに縄文時代から、何故、多くの人が住んでいたことの発見になり、その人たちは、何故か、稲も取れなかったのに、上、中、下福田の名前を残しました。ということは田を作るろうとした人が、、「福」という字をつけたかったことになります。
「福」という字をつけたかった人は、日本海側に、下北半島のまでに、福浦という地名が並んでいることを発見されました。
一度、ヒルゼンを訪れてください。何もないのに、神社がいっぱいでした。神々が住んで居られたと考えるしかありません。「神々が計画的に導入したと考える外ない」の言葉が生まれます。

考えたことが間違っていても良いです。次には、新しい発見ができます。

ヒルゼンは、古代の良さと安らぎを与えてくれます。ヒルゼンで一泊も良いですが、近くの湯原温泉もお勧めです。

歴史に学問は要りません。考えるだけで楽しめます。
田村誠一氏は【考える】ということの素晴らしさを教えてくれます。

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2008.05.09

遣唐使の構成と手当 

遣唐使の構成と手当 「延喜式」(大蔵省)より

職 名|   |絁 匹|絹 屯|布 端 |特別支給品    
    |大使 | 60 | 150 | 150 |彩帛 117匹、 貲布20端
    |副使 | 40 | 100 | 100  |彩帛 78 匹、 貲布10端
    |判官 | 10 |  60 | 40  |彩帛 15 匹、 貲布 6端
使 節|録事 |  6 | 40 | 20  |彩帛 10匹、 貲布  4端
    |史生 |  4 | 20 | 13  |
    |雑使 |  3 | 15 | 8  |
    |傔人 |   2 | 12 | 4  |

通 訳|唐  |  5  | 40  | 16  |彩帛 4匹、 貲布  4端
    |新 羅|    | 12  | 13 |

    |船 長|  5  | 40 | 16 |彩帛 5匹、 貲布  2端
    |機関長|  4  | 20 | 13 | 
船 員|操舵手長|  3  | 15 | 8 | 夏冬の衣服
    |操舵手|   2  | 12 | 4 |夏冬の衣服
    |水夫長|   2  | 12 | 4 |夏冬の衣服 
    |水 夫 |    | 4 | 2 |夏冬の衣服

    |神 主| 5  | 40 | 16 |
    |卜 部| 4  | 20 | 13 |
    |医 師| 5  | 40 | 16 | 
    |陰陽師| 5  | 40 | 16 |
    |画 師| 5  | 40 | 16 |
技 手|射 手| 4  | 20 | 13 |
    |音声長| 4  | 20 | 13 |
    |音声生| 3  | 15 | 8 |
    |船 匠 | 3  | 15 | 8 |
________________________________________      
    |玉 生| 3  | 15 | 8 |
技術  |段 生| 3  | 15 | 8 |
研究生|鋳 生| 3  | 15 | 8 |
    |細工生| 3  | 15 | 8 |


     |留学生| 40  |100 |80 | 
    |学問僧| 40  |100 |80 | 彩帛 10匹
留学者|傔 従||4  | 20  |13 |
    |還学僧| 20  | 60 |40 |彩帛 10匹
     |請益生|  5   | 40 |16 |


留学生は長期留学、学問僧も長期留学

留学者のうち、長期留学と手当てが、長期学問僧の手当が、副使と同じ高額であるのに注目。還学僧も高額ですから、日本からの僧侶は、中国にとって値打ちがあったことになり、長期にわたって留学してくれる方がありがたかったことになります。

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2008.05.01

地名を考える (4)   page 50

鹿児島とヒルゼンは常識的には無縁に見える。しかし五万分の一の地図で比較して見て欲しい。
動物名をつけた地名が、お互いに如何に多いことか。勿論福とか宮等のつく地名も多い。
この様に地名の特長あるグループで、すなはちパターンで全国を歩くことだ。
鹿児島から日本海側を青森下北半島まで海岸線をたどって見ることだ。福浦と福江の港が点々と能登半島までは、ほぼ等間隔に点在している。しかも十カ所に達する。
柳田国男氏の「地名の研究」に福良と福浦が載せてある。先生は袋状に海が入込んだから福良と名付けたとおっしやっている。
しかし、今申し上げた福浦は福に縁のある人達が計画的に配備したとしか思えない。
次には城山、天狗山、愛宕山など、ヒルゼンと同一地名がこれらの地域には必ずあると申上げて良い位多発する。
反対に福や神に縁のある地名がない所に、この様な地名はあるだろうか。

一言---読めば簡単ですが、ここに書かれたことを確かめますと、膨大な時間と根気を必要とします。しかし、実際に、成し遂げた者だけが、発見を自分のものにすることができます。

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