ヒルゼン古事記 漢の東方政策 page—6
前漢は紀元前195年に建国されました。朝鮮の中央部の平壌や京城が、前漢に占領さけて、四ツの郡が成立したのは紀元前108年です。
西方では5000キロ奥地で漢の植民地化が進んでいたのに、南鮮とと善隣の九州が、漢と交友関係があったから、金印をもらったと日本の学者は考えていました。
朝鮮の中央部が漢に占領されていても、日本は神国だから特別扱いとは、昔も今ものんびりすぎないでしょうか?
紀元150年には、漢の軍隊はヒルゼンまで侵入して来てました。
この軍隊は自給自足の屯田兵で、中国地方を中央を突破して西大寺にヤマトを作ります。
神武東征でヤマトは奈良に移ります。神宮皇后が九州と新羅を征伐して、所期貫徹となります。
ごほうびが正倉院の御物となって残りました。日本人のルーツ解明に意外なヒントを与えてくれました。
一言—なんでも疑って見ることだと思っています。
正倉院の御物は、国宝です。国宝と云うことは、私のものでもあり、あなたのものでもあります。見たい人には、毎年一回見せて貰えますが、人気のある品物の前では、背の低い私は、息を止めて数秒見せて貰います。撮影禁止ですから、目録を買います。自分で撮影するよりはきれいですが、全部そろえるには、膨大な費用が必要です。私のものをみるには、もう少し安く提供出来ないのでしょうか?
どうして、インターネットで公開しないのでしょうか? 世界の人が、それを見て、本物を日本まで見に来られるかもしれません。
正倉院の御物は、「756年(天平勝宝8歳)、光明皇后は、夫聖武天皇の七七忌に、天皇遺愛の品約650点と、約60種の薬物を東大寺の廬舎那仏(大仏)に奉献した。その後も光明皇后は3度にわたって、自身や聖武天皇ゆかりの品を大仏に奉献している。これらの献納品については、現存する5種類の「献物帳」と呼ばれる文書に目録が記されている。これらの宝物は正倉院に収められた。」とフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に書いてあります。
ここに書いてあることは本当でしょうか? なんでも疑って見ることだと思っています。
なにを疑うのかと云いますと、全部見た人は、「ああ、これは戦利品であることがバレテしまうから隠しているのでは・・・」
国宝ですが、世界の人にも開放すべきです。
常設展示場を設けます。大阪府知事が、ぶっつぶすと言っている大阪府立 近つ飛鳥博物館で展示するか、万博公園内に造ればいいと思います。
この話はスケールが大きいですから、せめて、インターネットに資料を保存・公開すべきです。


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