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2008.08.29

ヒルゼン古事記  久米国---久米国 page—47

鳥越三郎氏の〝吉備の古代王国〟173頁に書かれた久米郡が古代の久米国でした。
 現在の久米町に、合併前に大倭村と倭文村(シトリ)がありました。又旭町にも倭文西村がありました。
 上記文献の174頁に地図があります。久米川が流れ、両側から山がせまった、要害の土地、大倭にHQがありました。津山方面からの外敵を防ぐには、最適の場所です。
 倭文とは織物のことです。ここで屯田兵の衣類が作られました。
 ぎ志倭人伝に交易物資は、大倭が管理したと明記してくれました。
 占領軍は占領地に〝ヤマト〟と命名して行きました。
 根国の米子の南8キロが倭でした。次は久米国の大倭です。西大寺もヤマトを〝ぎ志〟で邪馬台と速記して帰りました。
 奈良もヤマトでしたが、重要な意味を持たせて、大和のあて字をしたのです。人泣かせの当て字は、福ノ神族の発明です。

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