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2008.09.13

ヒルゼン古事記  倭国の大乱 --高梁川の戦 page—54

国と国の争いでは、勢力に大差があれば、弱い国は滅ぼされてしまいます。
 ぎ志倭人伝に書かれた、倭国大いに乱れ、相攻代すること暦年、とあれば二大勢力が相譲らなかったことです。
 紀元240年は、卑弥呼の在世中です。この時に玉島国は人口五万戸、ヤマト(西大寺)は人口七万戸でした。
 この国は高梁川を挟んで東西です。しかもこの二国のおいたちは全く異なります。 
 ヤマトの住民は、神ノ族の第二グループで屯田兵です。〝ぎ〟使が240年にやって来た、松の国上陸部隊です。
 これに反し玉島国の第三グループの福ノ神族は難民です。この人達が高梁川の東岸に侵入しようとしました。従って、この騒動は何十年続いたことでしょう。これは大乱です。
 鳥越憲三郎氏の〝吉備の古代王国〟には、吉備王国間の攻代が精しく述べられています。
高梁川の東西で、古墳のデラックスさに、大差があるのも謎を解く鍵です。

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