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2008.09.06

ヒルゼン古事記  邪馬台国--ヤマト—西大寺 page—52

末ロ国から南で、陸行一月、水行十行と書かれた国は既に述べた様に西大寺でした。
米子から津山まで陸行一月です。津山から吉井川を十日で下ることになります。
 この流域は既に述べた様に福ノ神族に完全占拠された地域です。しかも正規軍の屯田兵です。
 〝ぎ〟の使いが沢山のお土産を持ってやって来ました。この時故国を2, 3000キロも離れて、恐らく二度と故国には帰れない、汗水たらして、はたらいている人は、同郷の使いにどれだけの歓呼の声をあげて泣いたことでしょう。
 福ノ神族は同じ名前を襲名するくせがあります。古事記にも、八雲たつ云々の風流な歌を読む人が〝ヤマタイ〟なんかの堅苦しい名前をつける筈もないでしょう。ヤマトを速記して邪馬台となったのです。
 奴国から狗奴国と引き継がれた名前です。女王が民政長官GHQから派遣されてました。人口は七万戸にふくれてました。

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