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2008.09.11

資料No27 長瀬高浜遺跡と天神川

長瀬高浜遺跡は、鳥取県東伯郡羽合町長瀬字高浜にあります。No26長瀬高浜遺跡において、地図を眺めて頂きました。少し、小さすぎましたので分かりにくかったと思います。

新しいことを考えています。鳥取県の歴史を探ろうと思っています。その第一のものとして、長瀬高浜遺跡を取り上げました。

Photo_2


上の地図をご覧ください。天神川の上の方の右岸に記しがしてあります。ここが、長瀬高浜遺跡です。遺跡の少し南に、東北に向かってカーブの道が見られます。これは、昔の天神川の堤防とおもわれます。旧天神川は、そのまま、日本海に流れ込んでいましたが、現在の橋津川のところへ流れ込んでいました。従いまして、長瀬高浜遺跡は北条砂丘の一番東に位置したことになります。『古代文化 35号』によりますと、もと旧天神川の流れは、江戸時代以後と書いてあります。古い川は曲がっているのが普通で、洪水などが多いおおいので、人の手が加わり、まっすぐになると思われます。添付の地図は、小さいので、鮮明ではありませんが、カーブの北に多くの集落が記されています。カーブに上は、川の中に当たりますから、川洲に集落が出来たことになります。集落はここだけですから、この集落のために、河川の付け替えが行われたのも、不思議な気がします。

天神川の概要
 天神川は、鳥取県の中央に位置し、その源を鳥取県東伯郡三朝町の津黒山に発し、福本川、加谷川、三徳川等の支川を合わせて北流し、倉吉市で国府川、小鴨川と合流し、日本海に注ぐ一級河川です。
 その流域は南北に流れる本川の流路延長約32㎞に対して、東西の幅が約42㎞と、全体として東西に伸びたひし形の形状をしています。流域面積は490㎢で、鳥取県中部における社会、経済の基盤となる地域に及んでいます。
http://www.cgr.mlit.go.jp/kurayoshi/river/tenjingawa/tenjingawa.htm 流域面積の地図や航空写真を見ることができます。
南北に流れる本川の流路延長約32㎞ですので、天神川は他の一級河川に比べて急勾配な上、洪水時の河川水位は周辺の地盤より高くなっています。流域の形状から洪水の流出が早く、またほぼ同じ流域面積を持つ本川天神川と支川小鴨川が倉吉市街地付近の平地で合流するため、大雨が降ると流出が重なり、合流点とその下流ではピーク時の流量が降雨と比較して大きな値を記録することがあります。(倉吉河川国道事務所より)

以上のことから、長瀬高浜遺跡は、何度も繰り返される洪水の地下で埋もれていたことになります。
ただ、2000年前にこの遺跡で暮らした人たちの墓などは判っていません。東郷池の東野馬ノ山古墳群のお墓は、この遺跡の人と関係があるのでしょう。

天神川を遡りますと、小鴨川の支流と分岐します。天神川にそって、国道179号線が走っています。南にある津黒山(1118m)から水を集めた大谷川と福本の集落の水を集めて、天神川に合流しています。
この天神川という名前は、いつ付けられたか判りませんが、土地の方は、小鴨川との分岐点の所からじょうりゅうを現在でも、竹田川と呼んでおられるそうです。分岐点を少し上ったところに、竹田橋として竹田の名前が残っています。

どうして、竹田川と呼ばれていたものが、天神川と呼ばれるようになったかを知りたく思っています。
東伯郡三朝町には、29社の神社があります。
畠谷神社   鳥取県東伯郡三朝町三徳1226番
笏賀神社  鳥取県東伯郡三朝町笏賀468番
大宮神社   鳥取県東伯郡三朝町大瀬370番
五郷神社  鳥取県東伯郡三朝町牧560-1
本泉神社  鳥取県東伯郡三朝町本泉220番
清常神社   鳥取県東伯郡三朝町柿谷550番
北野神社   鳥取県東伯郡三朝町大字吉尾535番
三朝神社   鳥取県東伯郡三朝町三徳796番
今泉神社   鳥取県東伯郡三朝町今泉179番
山田神社   鳥取県東伯郡三朝町山田380番
坂本神社  鳥取県東伯郡三朝町阪本1167番
東小鹿神社 鳥取県東伯郡三朝町東小鹿690番
北野神社  鳥取県東伯郡三朝町片柴992番
神倉神社   鳥取県東伯郡三朝町神倉1053番
金森神社   鳥取県東伯郡三朝町余戸267番
俵原神社  鳥取県東伯郡三朝町俵原267番
中津神社   鳥取県東伯郡三朝町中津528番
小鹿神社   鳥取県東伯郡三朝町東小鹿1516番
大正神社   鳥取県東伯郡三朝町久原261番
熊野神社   鳥取県東伯郡三朝町大谷599番
幸能鶴神社 鳥取県東伯郡三朝町宍鴨590番
大畠神社  鳥取県東伯郡三朝町助谷854-2
守山神社   鳥取県東伯郡三朝町下畑697番
田代神社  鳥取県東伯郡三朝町田代663番
日幣咫神社 鳥取県東伯郡三朝町福本342番
賀茂神社  鳥取県東伯郡三朝町森331番
福山神社  鳥取県東伯郡三朝町福山196番
竹田神社  鳥取県東伯郡三朝町上西谷381番
玉坂神社  鳥取県東伯郡三朝町曹源寺247番
福本神社  鳥取県東伯郡三朝町福本

東伯郡--1896年3月29日 - 河村郡・久米郡・八橋郡が合併し発足。(1町58村)
1907年10月1日 - 高勢村・賀茂村・竹田村が合併し、旭村が発足。(3町52村)
1911年1月1日 - 西竹田村・東竹田村・源村が合併し、竹田村が発足。(3町50村)
1953年11月1日 - 三朝村・三徳村・小鹿村・旭村・竹田村が合併し、三朝町が発足。(8町14村)
ということで、現在の三朝町は、東伯郡竹田村と言われたところは、現在の三朝町の南に位置し、西に蒜山高原と接します。
ここに竹田神社がありました。この神社の由緒に福本にあった稗田神社を合祀したとあります。稗田阿礼は蒜山高原の東の福本字稗田の生まれでした。稗田神社があれば稗田阿礼が居たことが判るので手力男神を祭った竹田神社に合祀したのです。

竹田神社 東伯郡竹田村上西谷
  祭神  手力男神、大山祇神、須佐之男尊、猿田彦尊、伊弉諾尊、伊弉冊尊
以上6行、田村誠一著「燦然と輝いていた古代・総集編」 P109 より
(記事の内容、確認できず)        H20.09.10

もし、この記事が正しいとしますと、何故、三朝町福本に福本神社が無くて、日幣咫神社があることになるのかとの疑問がわく。

482号線を通って、岡山県に入ると、中和村です。ここきは、「ちゅうか」と読みます。近くに、「下和」「初和」の難読地名があります。中和を「ちゅうか」と読むのは、ユダヤ人の読み方か?

この地名のところを通って、岡山県の津山から東郷池まで、ユダヤ人によって絹が運ばれていたのではないかと推察しています。

『絹の道』http://homepage1.nifty.com/o-mino/page189.html

鳥取県側には、上神、下神、松神の地名が、ユダヤ人が名付けのではないかと推察しています。

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