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2008.09.04

ヒルゼン古事記  笛吹の国 –不弥国  page—50

奴国は根の国で、島根の国です。古事記では、国譲りまでは根の国堅州と呼ばれてた所が松の国と分けられました。奴国は従って米子平野です。
 都は倭です。ここの港は天津で、昭和三十頃の分県地図には名前が残っています。北京に対する天津で、奴国の面目を保っています。末ロ国の東南百里(45キロ)は倉吉の国府の場所です。紀元240年は占領政策の途中だからHQは都心に移しては危険です。
 この国府の近くの山が打吹山です。昔笛吹童子が、舞い下りた伝説のある山です。今は公園でここに板画の大家、長谷川富三郎先生の笛吹童子の石碑が飾られています。
  笛吹国が不弥国と〝ぎ〟の使いに響いたのでしょう。
 法隆寺と同時代の、しかも同じ位大きな寺が三つもありました。おびただしい数の大形古墳も昔の夢のあとです。

私から一言--「昔笛吹童子が、舞い下りた伝説のある山です。今は公園でここに板画の大家、長谷川富三郎先生の笛吹童子の石碑が飾られています。
  笛吹国が不弥国と〝ぎ〟の使いに響いたのでしょう。」
 こんな文章では、誰も、笛吹の国が不弥国であることは、信ずる気にならないでしょう。
田村氏は、それでもいいのです。1800年前を創造しながら、楽しまれたと思います。
田村氏が楽しんで居られる様子に感激して、同じ空気を吸ってこようと出かけました。
私は、「倭」も「天津」も行ってきました。倉吉の国府も。
日を変えて、淀江の上淀廃寺も行ってきました。ここは、600年ころに建てられたことになっています。法隆寺に匹敵する壁画見つかりました。誰でも、法隆寺が先に建てられて、その後、上淀廃寺建てられたのかも知れません。
 近くには、おびただしい数の大形古墳がありました。こちらが、先に遇ったと考えるだけでも、楽しいです。
 行かれて楽しまれた方が、ホームページに掲載しておられます。

邪馬台国大研究・ホームページ 
http://inoues.net/ruins/jyoyodohaiji.html海岸線は、現在ではずっと、先ですが、上淀廃寺が建てられた時は、この寺の麓まで、海が来ており、港には多くの船が、中国へ向かうまで、風待ちをしていたのではないかと想像しながら、ここに掲載されてある説明板の前で、1時間ほど寝てしまいました。

 どのあたりか判りませんが、この辺りに、不弥国があっても不思議ではありません。

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