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2008.09.09

ヒルゼン古事記  一大率 page—53

女王国、すなはちヤマト(邪馬台国から北にあった国 )は、舞鶴国との間の国です。播磨但馬が該当します。この地域には福ノ神の屯田兵は配置しませんでした。従って、先住民を支配しておく必要があります。
 このために一大率なる、特務機関が監督しました。住民はこの人を、おそれました。
 この国々は20ヶ国で次にぎ志倭人伝にでてくる国名と、思い当たる国名を記します。

斯馬---須磨、 己保子---網干、 伊邪---伊和、姫路
都支---出石、 弥奴---美の、好古都---香登、カガト
不弥---? ? 、 姐奴---竜野? ? 、対蘇—千草? 、蘇奴---曽根
呼邑---赤穂? 、華奴蘇奴---相生? 、鬼---三木、為吾、鬼奴---? ? 、
邪馬---山崎、躬臣---? ? 、巴利---播磨、 支惟---宍栗、烏奴、--有年

 これらの国は、舞鶴国が統治していました。 ヤマトの女王国の東に千里(450キロ)海を渡った所に倭の種族の国があったと書かれ、これが近畿にあたります。

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