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2008.09.17

ヒルゼン古事記  卑弥呼の共立 page—55

高梁川をはさんでの紛争は恐らく、数十年続いたことでしょう。あとから、あとからやってくる難民を防ぎ様はないでしょう。
西岸の人も結束して、指導者を選び玉島国---投馬国が誕生します。
 舞鶴国のGHQは男王が7,80年の在世中にこの紛争が発生しました。しかし、鎮圧する近衛兵が居りません。
 やっと、玉島とヤマトの話合で日巫女(女王)をGHQの長に選任しました。

卑弥呼は玉島国を公認すると共に、年貢米を取り立てたことでしょう。秦の始皇帝は紀元前3世紀に美女3000人をかかえていました。女王の卑弥呼はこれを手本にしたのでしようか、美女1000人です。
 近衛兵に天座(実在の地名)を守らせた筈です。従って相当の年貢米が必要だった筈です。
 鶴の一声と云いますが舞鶴の一声で、倭国は数十年平和が保たれました。
 ぎ志倭人伝にも長寿で九十から百歳平均だとかいてあります。卑弥呼も長寿の筈です。

資料No29上神大将塚古墳
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2008/09/no29-3d2d.html
所在地:鳥取県倉吉市上神
指定年月日:昭和63年7月7日

古墳時代前期の古墳で、直径25m、高さ3mの円墳。大正5年1月14日(1916)からの発掘により、大型箱式石棺の中から、多くの副葬品が発掘されました。

保育社の『日本書紀の古代遺跡・鳥取』によれば、
三角縁三神三獣獣帯鏡 1
碧玉製鍬形石 1
滑石製琴柱形石製品  4
管玉 22
臼玉  31
槍身 1
斧頭  2
刀身残欠 1
このほか、当時散失したもののなかには銅鏡三面があった。多くの玉類や鉄器が出土。これらの遺物の多くは東京国立博物館に収蔵されています。

碧玉製鍬形石や滑石製琴柱形石製品は、山陰では極めてまれと記されています。

小林行雄博士の研究によれば、三角縁三神三獣獣帯鏡と同笵関係のものが、大阪、京都、滋賀、愛知などに合わせて七面知られている。


スプリング8 利用
http://www.spring8.or.jp/pdf/ja/SP8_news/no16_04/p2-p4.pdf


追加—上神は「かずわ」と読みます。 下神という地名が、 鳥取県東伯郡北栄町下神にあります。前は北条町だったと思います。

「倭名類聚抄」によりますと、伯耆国には、東から、河村、久米、八橋、汗入、会見、日野という六郡があり、久米には、八代、立縫、山守、大鴨、小鴨、久米、勝部、神代、下神(しもずわ)、上神(かずわ)の郷がありました。
和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)は、平安時代中期に作られた辞書である。
承平年間 (931年 - 938年) 、勤子内親王の求めに応じて源順(みなもとのしたごう)が編纂したとされています。従いまして、この年間には、神代、下神、上神の郷は存在したと思われます。国府は、久米郡八代郷にあったと言われています。
 下神の近くに、松神、弓原、田井という町があります。
下神と松神を結ぶ道が、曲がって走っています。ここは、古くからある道で、海岸線だったと思います。弓原、田井は海抜、4mですから、海であった時代があるということです。
海をへだてて、下神、上神があったことになります。普通は、地名があり、集落が次第に大きくなりますと、上と下に分かれますが、そうしますと、「神」という地名があって別れたことになります。
 ここらあたりは、もう一度、検討の余地があります。

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