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2008.09.21

ヒルゼン古事記  故郷に古墳 page—58

ぎ志倭人伝の紀元240年には、笛吹国—不弥国—倉敷の人口は千余戸でした。神武東征は、これより後に高千穂から、出発しました。従って師団司令部だけは、笛吹国にあったことになります。
 この時の郡司令部と調達本部、被服しようは、久米国です。兵器しようは、日野川の中流の武庫(俣野川との、郷竜地点)です。
 屯田兵は、もちろん稲作の出来る、ヤマト西大寺のデルタ地帯でした。この時には、七万戸に達していました。
 大和進駐と共に、恐らく年よりだけ残して主だった人は、大和に移りました。
 笛吹国は紀元240年の千余戸よりは、減ったことでしょう。
 門脇氏の〝出雲の古代史〟104頁のおびただしい古墳が、倉吉平野にある記事は、大和に出て、出世した人の塚でした。
 津山盆地にも、鳥越氏の〝吉備の古代王国〟173頁に、在地でない人の、前方後円墓が書かれていて、同じ事を教えてくれました。

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