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2008.09.27

ヒルゼン古事記  神武東征 page—61

神武東征は、倉吉の高千穂から、境湊の日向浦に集結して壮途に、上ったことは、〝地図が解いてくれた倭国と邪馬台国〟で明らかにしました。
 最後の終結地は児島湾でした。これからは以後は戦争らしい、戦争の連続です。
この武器も大変でしょう。剣等は鉄だったために、あまり出土しなかったので確保は困難です。
 しかし、華南から2000キロの補給路があったことは、はっきりしました。二次大戦を考える時、あざやかと申す外ありません。
 この2000キロは屯田兵も、運んで来ました。しかし、稲作技術も、このお蔭で急速に普及しました。
 この意味でシルクロードの代りに、米の道と申し上げたいのです。
 日本の文化が飛躍的に、大陸と同一レベルになったのも米の道の功績です。
 銅たくも、沢山の話題の種になりました。
 しかし福ノ神族が稲作技術を持込むと、田植祭に変って、不要になりました。

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