« 地名 小波 | Main | 地名 亀甲 »

2008.10.30

奴の国の続き  page—19

この金印には、〝漢委奴国王〟となっているので委と倭は同じと考えれば正しく大国主命が国譲りした地域が漢の植民地として公認されたことになる。
 高天原を撤去して、高千穂に文字通り600米低い所に降りた時には勢力が弱かった。やっと国の体裁を米子平野を接収して、そなえられたのである。
 筑紫は当時南朝鮮との関係が深かったので漢に取っても福ノ神族とも敵対関係にあったので地理的に距離が近いから、漢と交友関係が有ったと管んが得ることがおかしい。
 古代には隣の集落の間と云えども道がある筈はない。物々交換が行われる様になって道は発生する。
 古墳と云えども遠賀川流域の古墳で筑紫を論じるのはおかしい。
 ある種の古墳は倉吉と米子と津山と西大寺遠賀川の古墳が同一年代だったのであり、弥生の最先端の文化をもっていた。この漢文化の上陸地点が奴国すなはち米子だった。

|

« 地名 小波 | Main | 地名 亀甲 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/18266/42950606

Listed below are links to weblogs that reference 奴の国の続き  page—19:

« 地名 小波 | Main | 地名 亀甲 »