芦原の中ツ国 page—9
タケミカヅチの神は大山の北の狭い海岸線を進んで大国主命の部隊を日野川の手前まで追いつめたのである。もちろん屯田兵を倉吉平野から引きつれて現れたのである。
これも大国主命主が出雲でなしに、米子平野に本部を置いていたとする根拠だ。
タケミカヅチの神は芦原の中ツ国を譲れと申出ている。あわやひえしか出来ない出雲の国には何の魅力もなかった。同時にタケミカヅチの神達が始めて日本に稲作技術を持って来た一つの証拠である。
古事記では芦原の中ツ国の言葉は何回か使用されている。ある時はヒルゼンを指し、ある時は倉吉平野を指している。
神武東征では瀬戸内海沿岸の芦原の地域に十六年の年月をかけて侵入して行った。
弥生時代は芦の繁った所に田を作ることによって始まったのである。
古事記の国譲りの交渉条件が古代の謎を解く一つの重要な鍵なのである。米子平野を譲れとせまったのである。


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