資料No35松尾神社 鳥取県神社誌より
鎮座地 東伯郡花見村大字野花字西ノ上口 (地図)
現在地 鳥鳥取県東伯郡湯梨浜町
祭神 別雷命、大山咋神、木花開耶姫命、素盞鳴命、多紀理毘売命、伊邪那岐神、伊邪那美神、大己貴命、少彦名命、事代主命、思兼神
由緒 創立年月不詳、当社は羽合の郷光吉村(古名布河)に鎮座せられ、羽合の郷、花見の郷の惣氏神と称し奉祀し来たりしが、年月不詳、洪水のため社殿流れて野花村江渚浜藪と云う所に漂着せられ、茲に光吉村を始め羽合郷氏子一同は社を舁〈かつ〉ぎ奉り、元社地に斎き奉らんとせしも、御神慮を恐〈かしこ〉み其儘〈まま〉社地を開き奉祀せし由、後今の地に遷し奉れりと(此の浜藪の地は当社の御神幸の御旅所と定め、今に関係を絶たず、光吉村に今に松尾屋敷と称する字存せり、是れ元の鎮座地たり、尚当社祭日には松尾大明神と記された幟を建てゝ祭れる習慣羽合の郷に失はざるは、此縁故に依るものにして、何時の頃より氏子分離せしか明らかならざるは甚だ遺憾なり)
当社は往古より南條家崇敬の神社にして、祈願所として永禄5年(1562)11月9日同家元清より社領75万石寄附せらる、
大正11年3月18日 花見村大字野花字向山鎮座無格社向山神社(祭神 素盞鳴尊)合併
大正11年3月20日 同村大字長和田字向山及若宮鎮座無格社長和田神社(祭神 多紀理毘売命)境内末社田中神社(祭神 思兼神)
同村大字佐美字瀬戸平鎮座無格社佐美神社(祭神 素盞鳴命)
同村大字埴見字宮ノ谷鎮座無格社大宮神社(祭神 大己貴命、少彦名命
同村大字埴見字羽衣石境鎮座無格社高宮神社(祭神 事代主命)
同村大字羽衣石字権現堂鎮座無格社高山神社(祭神 伊邪那岐神、伊邪那美神、素盞鳴命)
右六神社を合併す。
山城国官幣大社松尾神社古文書正嘉二年十一月伯耆国河村郡同社領境界図中に松尾社の位置現社地に在り。
松尾神社が羽合.花見両郷の氏神であったこと。松尾神社がはじめ光吉にあったとする伝承は史実ではなかろうかなどの考察が書かれています。また、「原田氏系図」に東郷氏が長和田の地(野花を含む範囲)を京都松尾社に寄進したとする注記があるとも書かれています。
松尾神社の祭神は、大正11年に合祀された六つの神社の祭神を除きますと、別雷命、大山咋神、木花開耶姫命が元からあった祭神と言うことになります。
「山城国官幣大社松尾神社古文書正嘉二年十一月伯耆国河村郡同社領境界図中に松尾社
の位置現社地に在り」の記事と祭神が大山咋神であることから、松尾神社は京都の松尾
大社と何らかの関係があったのでしょう。
では、どのような関係があったのかと言いますと、普通は、京都の松尾大社の方が大きいですから、鳥取に勧請したことになりますが、どうして、このような遠いところへ勧請したか。また、松尾大社の社領ということになっていますが、同じく、どうして社領になったかを考える必要があります。
もう少し、資料がほしいところですが、ないとなりますと、古事記に頼ることになりま
す。大山咋神と別雷命はどのような神であるかと言いますと、
大山咋神(おおやまくいのかみ)は、大年神とアメノチカルミヅヒメの間の子である。即ち、スサノオの孫になります。
比叡山の麓の日吉大社(滋賀県大津市)が大山咋神を祀る全国の日枝神社の総本社です。
別雷命は大山咋神と玉依姫の間に生まれた子です。
大山咋神は、はじめから京都に居たのではなく、鳥取に居たのではないでしょうか?
いくつかの根拠らしきものがあります。
その一つは、神話と言われているものの中に、「いなばの白ウサギ」というものがあります。大国主神が、80人ほど兄弟と旅行に出かけます。行き先は、八上比賣(八頭郡の売沼神社に祭られています)のいるところです。この時は、大国主神は、大穴牟遅神と呼ばれていました。多くの兄たちの荷物を持たされて、旅行についていった話が展開します。皆が願っていた八上比賣との結婚は、大穴牟遅神が、白ウサギを助けたことから、八上比賣の心をつかみ、結婚することになります。
古事記は、この物語を通して、スサノオには、いっぱいの子供・孫を含めて80人ほどいるのだということを表しました。
この事件のために、大国主神は、兄弟から苛められることになります。
その後、大穴牟遅神と呼ばれる時に、スサノオが住んでいる根の国を訪れ、スサノオの娘の須勢理毘賣と意気投合しますが、スサノオは認めません。スサノオにも苛められますが、二人は駆け落ちをすることになります。
この時の様子は、古事記に詳しく書いてあります。
「根の国訪問」に書いてあります。
できれば、ご自分で原文を読んでください。
「根の国訪問」のその4に、大国主が行ったところが書いてあります。
スサノオは、駆け落ちをする須勢理毘賣と大穴牟遅神に向かって、結婚を認めると大声で言います。
「其の汝の所持(ショジ)する生大刀と生弓矢で以って、汝の庶兄弟を坂の御尾に追い伏せて、亦、河の瀬に追い撥(ハ)って、意禮(オレ) 大國主神と為(ナ)って、亦、宇都志國玉神と爲って、其の我の女(ムスメ)の須世理毘賣を嫡妻と爲して、宇迦能山(ウカノヤマ)の山本に於いて、底の石根(イワネ)に、宮柱布刀斯理(ミヤバシラフトシリ)、高天の原に於いて、氷椽(ヒギ)多迦斯理(タカシリ)して居利なさい。是が奴(ヌ)也」
兄弟はどこにいたかは書いてありませんが、追い払えと言っています。そして、「大國主神と為(ナ)って、亦、宇都志國玉神と爲って」国を作れ。 それを、奴の国とせよと云っています。
此れ以後、スサノオ一族は、京都にやってきます。日枝神社、松尾大社、八坂神社、伏見稲荷大社の祭神として祭られています。
簡単に書きましたので、理解困難かも知れませんが、このように考えますと、松尾神社と松尾大社を奉祀している人たちは、遠くに離れていますが、スサノオ一族の人ですから、何年たっても、関係を結んでいたと考えていいと思います。
今回、ここに取り上げましたのは、天孫降臨のときに、家来として瓊瓊芸命に従った「思兼神」が、ここで祀られているので取り上げました。しかし、大正11年3月20日 境内末社田中神社(祭神 思兼神)が、松尾神社に合併したとありますから、田中神社は、どこにあったのか判りませんが、他の神社と同様に、東伯郡に所在したのではないでしょうか?
木花開耶姫命は瓊瓊芸命と結婚しました。木花開耶姫命の表記の仕方は、日本書紀に書かれている表記です。


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