比婆山 page—33
第二話 地図が解いてくれた倭国と邪馬台国のなぞ
比婆山 page—33
イザナミの神は出雲と伯耆国の境に葬ったとなっている。この所在地は解説書で所在未詳となっている。しかし横田の地図で安来市から2キロ南に比婆山神社があり、これが相当する。
イザナミの神が黄泉の国に会いに行かれた時すさまじい光景がかかれている。この黄泉の国はホホデミの命を高千穂の山の西に葬ったと古事記にかかれている。
この場所は米子の南東10キロの御墓原が相当すると〝神々のふるさとヒルゼン〟に述べた。ここにイザナミの神も亡くなられて最初風葬され後日洗骨して比婆山に葬られたと考えれば当時の葬送がしのばれる。
御墓原の東の山かぜ鬼住山である。イザナギの神が黄泉から亡霊に追いかけられて撃退した所が蒜山、大山スカイラインの途中の鬼女台(キメンタイ)である。
古事記の地名のただ一つのミスはこの時の黄泉比良坂を出雲にあると解説した点で実は
鬼女台、三平山の西側の坂だった筈だ。
私から一言---最近、ページが飛んでいるのに気がつかれましたか? とんだ所には、地図が掲載されています。掲載して、綺麗に読めませんので、抜いていますが、本当は、値打ち半減です。
田村氏に申し訳なく思っています。
前回もそうですが、ここしばらくは、田村氏は、半分は、実際にある世界ですが、残り半分は空想の世界です。このページでは、
【ここにイザナミの神も亡くなられて最初風葬され後日洗骨して比婆山に葬られたと考えれば当時の葬送がしのばれる】と書かれて、想像と願望を書いておられます。
又、【黄泉比良坂を出雲にあると解説した点で実は鬼女台、三平山の西側の坂だった筈だ】と書いて、また、願望を書いておられます。
しかし、この願望は、その筈だという確信に変わっていきます。核心は、良いのですが、これでは、歴史家も考古学者も納得してくれません。そこで、その間を埋めるために、何度も、御墓原も鬼住山に行かれました。鬼女台、三平山も実際に行かれました。
御墓原のような縁起でもない名前を地名につける訳がないと思われるでしょう。
そんなバカなと思われるでしょう。そんなことはないのです。意外とお墓は縁起の悪いところではなく、先祖と再会できる神聖な所だったと思われます。一度、実際に行ってください。
行かないで知りたい方は、角川の地名辞典が、どこの図書館にもあります。滋賀県の一番うしろにある小字一覧をご覧ください。墓という名前がつく小字がどれほどあるか調べてください。最近は、小字はなくなりましたが、滋賀県にいって、地元の方に聞かれると、まだ生きていると思います。
このように考えますと、イザナギがスイザナミに会いに行ったお話などは、理解できるようになります。
田村誠一氏は、昭和10年・京都帝大の電気科卒です。
はじめに書きましたように、想像の世界は、どちらかというと苦手の筈ですが、わくわくしながら、書いておられる様子が伝わってきます。
ここがおかしいとか、あそこが間違っているではなしに、歴史の知識が少ない分は、想像をたくましくして、次々と、現地を訪れておられる所を共有して頂ければと思います。


Comments
古事記にも記された、「故、神避りし伊邪那美の神は出雲国と伯耆国の堺、比婆の山に葬しまつりき。」とは本社のイザナミの神陵のことである。すなわち、安来というところは根之堅洲国であり、その西方にはイザナギ神とイザナミ神が別れた黄泉平坂があり揖夜神社というこれもまたイザナミ神を祀っている。神話的にはこのように、スサノオ神が支配していた拠点とも考えられ、考古学的にも古墳時代以前に作られた弥生大型墳丘墓の一つ四隅突出墳丘墓の発掘数が全国一集中し、当時近畿では使われていなかった鉄器も北部九州に準ずる発掘が成されている地域でもある。
Posted by: 島根県人 | 2011.10.23 at 12:58 PM