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2008.11.30

壹宮神社 郷社

壹宮神社 郷社
 鎮座地 西伯郡高麗村大字上萬字澤形  地図

現在地 鳥取県西伯郡大山町上万1124番

祭神 正哉吾勝勝速日天忍穂耳命、萬幡豊秋津師姫命、天饒石国饒石天津日高彦火瓊々杵命、表筒男命、中筒男命、底筒男命、大己貴命、倉稲魂命、罔象女命、菅原道真、天照大御神、稚日女命、少名彦命、素盞鳴尊

由緒 創立年月不詳と雖も、郡中の旧社にして、古来壹宮大明神と号し、往昔より神田若干を寄附せられ、元和寛永の頃に至りても旧格に準ぜられ、崇敬他になりしこと古證書等に判然たり、故に今猶宮田神子森田などの字近傍の耕地に存す、又一ノ宮と称すること社殿に曰、高木神天照大神の勅命により正哉吾勝命降り坐さんとする時、皇孫瓊瓊杵逸速く御誕生遊ばされし故を以て、古く一ノ宮と称し奉るなりと、古事記曰、爾天照大御神、高木神之命以、詔太子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命、今平訖葦原中国之曰、故随言依賜、降坐而知看、爾其太子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命答曰、僕者将降装束之間、子生出、名天邇岐志国邇志天津日高日子番能邇々芸命、此子応降也、とあるを以て証すべし又旧記に拠るなしと雖も、古老の口碑に伝ふることあり、・・・・。

資料はまだまだ、続きます。読まれての感想はいかがでしょうか? 

私は昭和15年の生まれですが、ここに書かれてある漢字・文章は、少し難解です。僅か、60年前の文章ですが、私にとっては、古典になりつつあることが判ります。

この資料を読んで、考えたことを書いてみます。
①郷社になっています。鳥取県の西伯郡には、昭和9年当時、神社は、155社ありました。 その内、郷社は 16社です。大きな神社であったことが判ります。
②神社があるところの住所が変わっています。高麗村大字上萬字澤形 から大山町上万に代わっています。これだけで、何時の頃か判りませんが、「高麗」という地名と関係のある人が住んで居られたことが判ります。古くは高句麗を「高麗」と称していました。大雑把にいって、今の北朝鮮辺りになります。また、王建(太祖)が建てた朝鮮半島の国(918年 - 1392年)も高麗と言いますから、どちらか判りませんが、大陸から移住してこられた方が住んで居られたことが判ります。
③ 祭神が多いのが特徴です。 いくつかの神社が合併を繰り返すということは、複雑な事情があったことになります。
④一ノ宮と言われたと書いてあります。普通は、一つの国に、一の宮は一社です。
  伯耆の一ノ宮は、倭文神社と云う神社があります。
⑤ この神社誌は、鳥取県のものですが、全国各県で作られたらしいです。昭和9年と云いますと、大戦がはじまる前です。このようなものを作る余裕が、日本にはあったことになります。こうなりますと、第二次世界大戦を一度、歴史の上から見直す必要があるような気がしました。

⑥ ニニギ命の表記が、日本書紀と古事記では異なっています。
  古事記では、天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命、天邇岐志、国邇岐志、天日高日子、
  日本書紀では天饒石国鐃石天津彦火瓊瓊杵尊、天津日高彦瓊瓊杵尊、彦火瓊瓊杵、火瓊瓊杵

資料の全文は http://asilka.blog61.fc2.com/blog-entry-248.html に掲載しています。

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