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2008.12.04

高島  page—43

第二話  地図が解いてくれた倭国と邪馬台国のなぞ
高島  page—43
  神武天皇はタケリの宮に七年、吉備の高島に十五年かかって東すなはち近畿の大平野に行く準備をしたのである。屯田兵と食糧が必要だったのである。
 稲作は古代における最大の技術革新であって、しかも水田は人の住んで居らない所に新しく人をつぎこめばよい。この人達を華南からいくらでも呼びよせられたのである。
 赤城毅彦著〝古代日本人の謎を解く〟に大量の人が動いたと指摘されている。実はこの大量の人達は十五年間に呼びよせられた人でなかったのか。受入態勢のないのに大量の移動はかんがえられない。
 神武天皇は後方の安全基地に居つた筈ではないか。吉備の高島を児島湾口の小さな高島とした解説はおかしい。
 笠岡の南の神島のとなりの高島であるべきだ。神島の名前もふさわしいし、福浦の港もそろっている。芦田川の川口まで8キロで、この地方に足跡を残したと思はれる。

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