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2009.01.17

第四話  新羅国王 〝邪馬台国- p-155〟   17page

朝鮮の史書〝三国史記〟に、新羅の第四代脱解王は倭の人だと書かれている。
 生れは多婆那国と書かれている。漢字もない時代だったから、多婆那国はタジマではなかろうか。
 但馬と新羅との交流は古事記にもでてくるし出石の地名も書かれている。戦後朝鮮からの密航者山陰海岸にやってくる・九州とはいくら距離が近くてね。海流が邪魔するので交流出来なかった。
 出石の新羅との交流は〝兵庫県の歴史〟に面白く、くわしく書かれているから譲る。
 〝三国史記〟には「倭国の東北千里」に多婆那国があったと書かれている。千里は80キロで西大寺ヤマトの東北には、正しく但馬国が存在する。朝鮮の文献も、西大寺ヤマトに一役かってくれた。
 倭国の塵は難升米が239年に報告したことを全ての解説者は忘れている。スリラー小説よりも倭人伝の解読は容易で、九州説は方向も里程もでたらめである。

16ページには、〝邪馬台国〟155頁  と 古事記に現れた、出石 岩波文庫 が書かれています。
① 〝邪馬台国〟155頁-----朝鮮の史書〝三国史記〟の新羅本紀には、第四代脱解王は
「倭国の東北一千里」にある多婆那国の生まれだとある。倭にいた人が新羅で大臣や王になったりしているわけだ。朝鮮民主主義人民共和国の金錫亨氏(歴史学)は、「多婆那国がどこにあったか、筆者はまだこれを出雲地方に探し出せないでいる。しかし、この地方と関連ある地帯であったろうことはいいうる。倭国東北一千里というとき、この倭国は大和ではなく北九州であることを思い出さねばならない。ここから出雲は東北方向にあることだけは事実である」(「古代朝日関係史」) 

②故、その天之日矛の持ち渡り来し物は、玉津宝と云ひて、珠二貫。又浪振る領巾、浪切る領巾、風振る領巾、風切る領巾。また奥津鏡、併せて八種なり。こは伊豆志の大神なり。


私から一言----この〝邪馬台国-〟の編集者は、邪馬台国-は九州にあることを目手居られます。そのことを駄目押しする人の意見を紹介することによって、九州に邪馬台国があると説明しておられます。
それは、朝鮮民主主義人民共和国の金錫亨氏(歴史学)が、「多婆那国がどこにあったか、筆者はまだこれを出雲地方に探し出せないでいる。しかし、この地方と関連ある地帯であったろうことはいいうる。倭国東北一千里というとき、この倭国は大和ではなく北九州であることを思い出さねばならない。ここから出雲は東北方向にあることだけは事実である」(「古代朝日関係史」) と言っておられるから、確かですと。
この本は、多くの人の説のうち、自分たちの都合の良いところだけ繋ぎ合わせて、一冊の本に仕上げておられます。新聞の編集と同じやり方です。

 では、田村氏の「多婆那国はタジマではなかろうか」という至って、いい加減なことが仮定になっています。ところが、その後ろに書いてあることが、およそ、いい加減なことのようですが、真実です。
「但馬と新羅との交流は古事記にもでてくるし出石の地名も書かれている。戦後朝鮮からの密航者山陰海岸にやってくる・九州とはいくら距離が近くてね。海流が邪魔するので交流出来なかった」は、事実です。中国から、九州へは来られますが、朝鮮からは、大きな船で、こぎ手が多くないとどうしても、山陰の海岸に着いてしまいます。
 
多婆那国はタジマとしますと、但馬を中心として、半径、一千里を半径にして、縁を書きます。「倭国の東北一千里」にタジマがあると書いてありますから、逆に、但馬の南東一千里に邪馬台国があることになります。
 田村氏は、邪馬台国はずばり、西大寺ヤマトだったとされました。
 これでも、朝日新聞と良い勝負です。しかし、西大寺ヤマトが邪馬台国だとして、魏志倭人伝の距離・方角を当てはめていきますと、すべて解決ですから、田村氏の勝ちになります。

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