古代史の裏付けとして神社を調べて行く内に意外な事実が現れて来た。
隠岐の百数十社の神社の祭神は古事記の神代に登場してくる神だった。 しかしこの隠岐で藤原が幣帛料を出すために選んだ式内社の祭神に限って、神代にもどこにも登場しない素生が分からない神だった。
伯耆の神社の全ての神社の神々は神代に登場し隠岐に共通の神を祀った神社があったのである。
式内社の祭神を学者が3132社の内約半数調べた資料で天皇を祀った神社は一社も含まれてなかったことが判明した。
これから得られた結論は藤原は天皇の敵で味方ではなかったことだ。
天皇は雲南系だし藤原や倭の五王は漢民族でよかったのである。
マッカーサーの様な占領政策が11世紀まで続けられたのである。
古事記が天皇家の従って日本の正史であり日本書紀は占領軍の不比等が創作した欺書だったのである。
私からの一言
短い文章ですが、内容は充実しています。
①「隠岐の百数十社の神社の祭神は古事記の神代に登場してくる神だった」を調べるには、大変なエネルギーが要ります。このことを全部頭に入れませんと、意味が判らないと思います。
隠岐島の神社--2
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page213.html
に記して置きましたので、ご覧ください。見ただけではなにも解りません。全部、手書きで写して貰いますと、いつかは役に立ちます。
②「隠岐で藤原が幣帛料を出すために選んだ式内社の祭神に限って、神代にもどこにも登場しない素生が分からない神だった」
このことは、未だに確認できずです。神社のみを書いておきましたので、調べてください。 http://homepage1.nifty.com/o-mino/page1210.html
隠岐は16社あります。伯耆は、たったの6社で、狭い島が16社。これだけでおかしいと思わなければなりません。
③「伯耆の神社の全ての神社の神々は神代に登場し隠岐に共通の神を祀った神社があったのである」
たったこれだけの文章ですが、これを確かめようと思いますと、1年はかかりそうです。
今、確認をしようとしている最中です。鳥取県神社誌を読んだだけでは覚えきれませんので、鳥取県の神社をすべて、頭に入れる作業をしています。
一つ一つの神社の資料は、http://asilka.blog61.fc2.com/ に毎日、保存しています。いつ終わるか判りません。鳥取県では、現在の所、西伯郡に多くの神社があることが自然と分かってきます。素盞鳴尊が多く祀られていることも。
④「式内社の祭神を学者が3132社の内約半数調べた資料で天皇を祀った神社は一社も含まれてなかったことが判明した」
この部分は、日留山人氏の研究ではありません。どなたが発表されたのでしょう。一社もというのは、間違いだろうと思います。でも、少ないことは確かでしょう。調べてください。
①~④まで、調べられますと、
〔 これから得られた結論は、藤原は天皇の敵で味方ではなかったことだ。天皇は雲南系だし藤原や倭の五王は漢民族でよかったのである〕の結論が導くことが出来ます。
どれか、確認の作業に挑戦してください。
例えば、鳥取県神社誌を読もうとします。大阪・兵庫では、持っている図書館は、一ヶ所です。コピーをするだけで、大変です。後ろに待っている人から叱られるほど、膨大なものです。
読んでも余程、興味がないと頭に入りません。全部書き移して、素盞鳴尊を祭った神社は、何件あるかなど、いろいろ調べているうちに、頭に入ってきます。
全部調べても、「倭の五王は漢民族でよかったのである」などは結論として浮上しません。
倭の五王は、歴代の天皇ではありません。
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