古事放談 4-3
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倭国ゼロ世紀 第12話 河を忘れた古代史
古事放談 4-3
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雲南系雄略天皇と同じ鹵簿行列で葛城山に登って行ったのは一言主神である。
同じ雄略天皇の時倭の五王の一人が中国の宋の皇帝に、自分達の先祖は中国皇帝のために忠節をつくして来ましたと使者を出して奏上している。
なぜ 学者達は雲南系の雄略天皇や仁徳天皇を倭の五王の一人にして、日本を中国扱いにしないと気がすまないのだろうか。
魏志倭人伝に書かれた漢の武帝等に征服された所に居った雲南系日本人がなぜ中国皇帝に忠節を尽くしたと云えるのだろうか。
一言主神こそ倭の五王の一人だとすれば、雄略天皇天皇が恐怖を感じた謎は解けるのである。
河内には方形周溝墓が多い。なぜ集落をなした遺跡が見付かるのだろうか。
雲南系日本人は水の近くに住居を設けた方が稲作に好都合である。反対に集落を作っては日常作業に不便ではないか。
方形周溝墓の主は雲南系日本人ではなくて北鮮人であり異民族だと考えれば、河内は侵略されていたことになる。
一言---〔方形周溝墓の主は雲南系日本人ではなくて北鮮人であり異民族だと考えれば〕が正しいとしますと、えらいことです。全国、北鮮人であり異民族だらけであることなります。だけど、全国の方形周溝墓を調べる必要があります。
6月15日、福井県の小浜市へ行ってきました。国分寺跡の近くに、府中という地名があります。国府があった可能性があります。ここで、平成20年に「小浜府中石田遺跡」が発掘されました。
http://www.pref.fukui.jp/doc/maibun-c/hakkutuitiran_d/fil/032.pdf ここには、弥生中世と書いてありますが、此の地は、海抜が2mです。近くの和久里でも3mですから、紀元元年の頃は、海だったのではないでしょうか? まだ、小浜市の歴史は、なんとも言えませんが、この古い頃は、どのような所であったか、考える材料にはなります。
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Comments
スサノオがアマテラスに天叢雲剣を渡したのは、出雲が大和へ鉄器を供給したという、考古学的な見地と対応するのではと思います。しかし出雲神にはスサノオとオオクニヌシという2人の大物の神様がいるのかというのは、弥生後期の出雲の状況を見ればわかります。島根県安来市を中心とする東部出雲王朝(スサノオ)と島根県出雲市を中心とする西部出雲王朝(オオクニヌシ)があったのです。東部出雲王朝は早期に発達し、長きに渡って繁栄しヤマトへの鉄器供給を行った。西部出雲王朝は東部の分家として発達したが、東部よりも発展しやがて、北陸あたりまでの日本海沿岸に渡る大国家を作りました。それで大国主といわれます。しかし、それより少し遅れて大和が発展し、西部王朝は短命に終わり、これが国譲りに対応します。一方、大和から見ても東部王朝は本宗家だったので、スサノオとアマテラスは兄弟と言う設定になっていますが、この事情のため滅ぼさなかったと考えられ、この子孫が蘇我氏のような大豪族になって行くと思われます。
Posted by: たたら | 2009.09.10 at 08:01 PM