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2009.11.28

若かかりし頃の神武(2)

神武天皇には既に二人の子供あった。しかし大后を大久米命に世話をして欲しいと頼んだ。この前後が歌に詠まれている。
 小生には文学的に紹介する能力がないから古事記を見て欲しい。
 16番の歌に倭の地名が出て来る。これは大国村の倭である。大和に移ってからのデーターでは神武天皇が乙女を追いかける年頃ではないだろう。
 この時イスケヨリ姫が神武天皇を宮内に会いに行かれる。
 この宮内も宮中に参内と解説した本がある。これでは、大和に移ってのちになる。更に宮内は辞書ではこんな使いかたはない。
 米子の地図には宮内は淀江町に現存する。神武天皇が読まれた20番の歌に、しけしき小屋で二人は寝ましたとある。この小屋は宮内の近くの古御堂にあったと考えたら地図を歩くことは愉しい。
 神武天皇はイスケヨリ姫との間に三人の子供が生まれた。神武の青春時代は伯耆の国で過ごした様だ。

田村誠一著  昭和56年4月3日発行 60ページ


私より一言---〔この小屋は宮内の近くの古御堂にあったと考えたら地図を歩くことは愉しい〕 本当ですね。地図を歩くことは楽しいではなく、愉しいですね。
 地図を眺めているだけでも、一大発見ができるものです。

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