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2010.09.14

山城の椿井古墳(11)

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漢の銅鏡が一つの古墳で多数出土したのは筑摩書房の画一性巨大古墳の外は、〝謎の古代--京・近江〟89頁に北九州の三雲遺跡と井原遺跡がある。
 邪馬台国論議で伊都国があったと騒がれて来た所である。大和の人が好まない漢の銅鏡が多数出土した。
 ここに漢軍の吉備と大和侵攻の中継地があったと考えたい。従ってここで大量に葬られたのは航海途中に難破した多数の将校を水葬して形見の品と将校の数だけの銅鏡と一緒に埋めた筈である。
漢軍の将校は各自で自分達の銅鏡を準備してやって来た筈だ。日本でも将校は出征の時には軍刀を用意したのと同様である。
 各種の鏡が出土してもよかったのだ。又日本人はにくむべき銅鏡を戦利品として、全国各地の故郷で埋葬した人もあるだろう。
 この様に考えれば崇神天皇と日子坐王の古墳からは戦利品として各種銅鏡や卑弥呼がもらったと考えられる品々が、大和でも出土してもおかしくないだろう。

田村誠一著 第9話 中国人が書いた日本書紀 45ぺージより

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