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2011.04.29

絹戦争(1)

中国の文献にしかも、複数の文献に、倭国に長期の大乱があったと書かれたもしも日本国内の豪族同志の、戦争なら、中国の文献が取上げることは、あり得ないことだ。
陸続きの国同志の戦争は、何十年も続くことはあり得ない。まして豪族間の争いに長期戦が考えられるだろうか。
日本国内のことが、数千キロ離れた、中国の文献に取上げられたのである。しかも大乱と、大げさに書かれれば、海を挟んだ戦争以外には、あり得ない。
しかも魏志倭人伝では、難升米が、中国の皇帝から、日本占領軍の軍司令官の、肩書きを、もらっている。
 なぜ日中戦争を思付かないのだろうか。古代史の学者は中国偏向の頭の持主ばかりだと申上げてはいけないだろうか。
 少く共190年に倭国大乱は、一度は収ったのである。
 ここで神武天皇の即位が、西暦元年と仮定すれば、この頃古事記と日本書紀に何か該当記事が書かれていないか探すことだ。


第13話 建国の日は正しかった  68ページ より

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2011.04.28

漢字22 幽 顕

調べる理由—古事記の序文に〔所以出入幽顯〕と表記されています。このうちの〔幽顯〕の漢字の意味を調べます。

「幽」のことを調べます。
読み方は、ユウ(イウ) くろ、かすか、ふかい、くらい。
〔会意〕幺の字横に二つ並べた漢字を(ユウ)と読みます。この字は、糸束をつらねた形。幽は幺幺+火。 幺幺+火は、糸束を火で燻べて黒色にする意であろう。
金文に見える「幽衡」とは黒の色に近い佩玉をいう。人を幽暗のところに幽閉するので幽囚といい、死後は幽冥の世界であるから、幽鬼・幽明のようにいう。
意味 ①くろ、くろに染めた糸。 ②かすか、ほのか、ふかい ③くらい、すみ、くま、うち。 ④とじこめる、おしこめる、ひとや。 ⑤よみじ、死の世界、冥界 か〕

「顯」のことを調べます。
読み方は、けん、あきらか、あらわれる。

〔会意〕旧字は顯に作り、右側の字と左側をプラス下字です。左側の字は、日の下に糸が二つです。左の部分は、日(玉の形) 呪飾りを加えた形。心霊を呼ぶ時の神降ろしに用いるもので我が国の白香などに類する。

意味 ①あきらか、心霊があらわれる、神がみずからあらわすことをいう ②あらわに、めいはくに、著しい ③形としてあらわれる表面にでる、そと、おもて、④さかえる、与に知られる、⑤頭の飾り

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2011.04.27

西暦は日本紀元 (4)

渡辺敏夫著〝暦のすべて〟に、明治政府があわてて太陰暦に替えた、ゆらいがかいてある。
 太陰暦では何年に一度はかは、うる月があり1年が13ヶ月になる。
 これでは役人に、年13回、月給を支払うことが起こる。これこそ政府に取っては、重大事である。
 このために下級官吏の進言に基いて太陽暦に改めた。この時たまたま太陰暦の1月1日が、太陽暦、2月11日だったのである。
 皇紀を西暦よりも、660年も遡らせた理由は、日本書紀にうまく欺されたためである。
 従って皇紀がいつから始っても,紀元節が2月11日であることは、無関係である。
 紀元節が建国日の日と、名前がを変更しても、2月11日でよかったのである。 
 紀元の月と日は国々によって、全て別々である。しかるに日本だけが太陰暦の1月1日だった。
 これは西暦が日本紀元である、なによりの証拠ではないか。


第13話 建国の日は正しかった  67ページ より

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2011.04.26

西暦は日本紀元 (3)

ユダヤ商人がイスラエルを解散したのが、西暦紀元前後である。この商人はイランや、中国の暦が使えるはずがない。
 このユダヤ商人の最大の扱い品目は、日本の絹だった。石油でなしに日本の絹が世界を支配していたのだ。
 たまたま日本で神武天皇が即位元年を宣言したので、ユダヤ商人はこの日本暦を採用したと考えたいのである。西暦紀元と日本紀元が1月1日と一致して当然だった。
 西暦元年と建国元年が一致すれば、天照大神や月読命、スサノオの命、イザナギの命について、わたしが推理を進めて来たことは、年代的に正しかったことになる。
 秦や漢に圧迫された民族が日本に来たとして、何等不都合は生じない。
 更にシルクロードが日本から始っておれば月読命が、ユダヤ人に誘われて、絹の国日本をあこがれて来て当然だろう。
 シルクロードの楼蘭の王様は、なぜ滅びたかは謎である。しかし楼蘭の王様は、砂漠の国より、日本をあこがれて当然だった。


第13話 建国の日は正しかった  66ページ より

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2011.04.25

西暦は日本紀元 (2)

紀元について百科事典を引いて見た。西暦がキリスト教国で、正式に使用されたのは、525年である。更に最初は12月25日が、スタートだった。
 キリストの誕生がきげんなら、1月1日が誕生日であるべきだ。
 更に国があれば、その国の紀元があった。イランとエジプトとローマとギリシアが、同じ紀元を使用する筈はなかった。
 500年間もキリスト教国が使わない西暦を、誰かが使用していたのである。
 日本書紀では、辛酉の年の正月を天皇元年と定めたと書かれている。
 そして各天皇毎に即位元年にしている。従って一連の年号は、日本では使用していない。
 既に述べたが、例えば神武天皇の在世中に2代、3代の天皇が即位して、しかも神武天皇より先に亡くなられたことは、古事記で、明らかである。
 皇紀を西暦より660年古いと決めたのは明治のやくにんが、日本書紀のトリックをね見破れなかったためだった。


第13話 建国の日は正しかった  65ページ より

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前回、以前に掲載しました 〔神武紀元 (1)〕を掲載しました。恐れ入りますが、もう一度、読んでください。

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2011.04.24

西暦は日本紀元 (1)

神武天皇の建国元年が西暦紀元元年と一致したのである。しかも辛西の正月が日本の紀元元年である。
 ここでは紀元とは何かを調べて見た。先づ西暦元年は、万人がキリストが生まれた年と思っている。
 先にくどくど述べたが、人の生れ年には証拠は何一つないのである。12月25日に、キリスト教が生れたのであれば、紀元はこの日から始めるべきではないか。
 平田俊春著の〝最新歴史年表〟では、キリストは紀元4年に生れている。念のため三省堂の〝コンサイス世界年表〟を調べた。
これでは紀元6年から前4年と推定されるとなっている。
 西暦元年はキリストが生まれた年と思っていた常識は間違っていた。しかも1900年前のキリスト程の大偉人でも、生れた年代が分らないのである。従って亡くなった年令も分らないのである。 
 年令が分ったらおかしい根拠が、ここにもあったし、常識とはいい加減なものである。


第13話 建国の日は正しかった  64ページ より

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2011.04.23

シルクロードは日本(16)

 “なぞの古代史”の終わりに、失われた十種属の謎について書かれている。古代にはユダヤ民族が12あった。
 この中の十種属の行方がしれないので、ヒヨットしたら、その中の一つは日本に来たかもしれないとだけ書かれている。
 わたしはこれを読んでビックリした。地名のパターンに謎が一つあった。青森から岩手にかけて、一戸、二戸、・・・と九戸まであり、最後は十和田村である。
 横道にそれるが、この数字の読み方はチベットと同じである。古代の数字の読み方が、ヒ、フ、ミでなかった証拠である。
 この十和田の隣が戸来村でしかもヘライと読むのである。これこそヘブライの略と考えてはいけないだろうか。
 戸とはヘブライの頭字で十種属消えた頃にはシルクロードは、既に日本に通じていた。
 この戸来村にはキリストが葬られた伝説まで残っているのである。
 東北にあった謎の地名のパターンが解けるのは何日のことだろうか。
 

第13話 建国の日は正しかった  63ページ より

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2011.04.22

漢字21 誓

調べる理由—古事記に、「各宇氣比而、生子。」と書いてある部分を倉野憲司という方が、翻訳する時に、「各誓ひて子生まん」と、「誓」の漢字を使っておられます。
日本書紀では、同じような使い方をする部分で、「誓約」と書いてあります。

 「誓」のことを調べます。

〔形声〕声符は折声とする。哲もまた折に従う。折りは草木を折る意で誓約する意があるらしく、また矢を用いることもあって、矢を「矢(ちか)う」とよむ。・・・・・・言、口は祝祷や誓約を意味し誓と哲とは字の立意が同じ。

意味 ①ちかう、約する、ちぎる。 ②あきらかにする、いましめる、つげる。③哲と通じ、つつしむ。 

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2011.04.21

シルクロードは日本(15)

書店に“なぞの古代史”で副題に、ユダヤ人と日本と書かれている。この外にも“天皇家とユダヤ人”の題名の本や、“ユダヤ人と日本人”が見付かるだろう。
3人3様全く別の角度から書かれた本である。
同時にわたしも又独自の意見を書いて来た。
 わたしは絹を主として、ユダヤ人が日本に来て居るべきだの意見である。更に正倉院の御物はヨダヤ人以外には、運んで来れなかったと述べて来た。
 月読命が天山山脈の遠方から、来ただろうとこれも地名を手がかりにした。
 月読命を手引きしたのは、ユダヤ人だと、わたしは述べて来たのである。
 岡山県のチベットと呼ばれる、ヒルゼンに大宮踊が無形文化財として、引き継がれている。
 この踊が天山山脈の麓の、クチャの踊りと同じだったし、大宮踊りとは、ここに古代に大宮人が居ったと考えられる。
 ここには天王の地名が4ヶ所もあった所である。


第13話 建国の日は正しかった  62ページ より

参考に、【蒜山大宮踊り】http://www.shok.co.jp/hiruzen/news/ev-oomiya.htmこの頃のことは、
日本大好き No111 日本の仏教伝来—4
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2007-06-29に書いています。

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2011.04.20

漢字20 霊 為 群 品

調べる理由—古事記の序文に〔然乾坤初分 參神作造化之首 陰陽斯開 二靈爲群品之祖〕の内の〔二靈爲群品之祖〕の部分の漢字を調べます。
 霊—読み方—レイ みこ たま かみ
〔会意〕旧字は靈に作り、霝+巫。霝は祝祷の噐てある。イキ(口の縦の棒を上に伸ばした形)
を列して、雨乞いを祈る意。
意味--①みこ、あまごい、②たま、たましい、③くしび、すぐれる、よい ④かみ、くものかみ、あめつちのかみ、みいつ、あきらか ⑤いのち、いきもの、⑥こころ、おもい、⑦さいわい、たすけ、いつくしみ

群―-読み方---グ、むらがる、むれ
〔形声〕声符は君。〔説文〕「輩なり」〔玉篇〕に「朋なり」と訓するが、もと獣の群集する意である。
意味—①むらがる むれ ②とも、たぐい、しな、みうち ③あつまる ととのう、ふわせる

〔群品〕という熟語があります。意味は、「万物」の意味ですが、「群」の漢字の意味からは、「万物」の意味は生じません。 「品」 の調べは省略します。

為—読み--イ、なす、つくる、おもう、まねる、ため

会意—象+手。「説文」 「母猴なり」とし、猴(サル)の象形とするか。卜文の字形に明らかなように、手が象を使役する形。象の力によって、土木などの工事をなす意。

意味--①なす、なる、もちいる、おさむ。名詞として、しわざ、わざ。
②つくる。施す。
③~を~となすを、思考上に及ぼして、おもう、いう。
④模倣的な行為に及ぼして、まなぶ、まねる。
⑤同一の関係を示す動詞。たり。
⑥介詞として、ため、ために。

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2011.04.19

シルクロードは日本(14)

日本民族は、秦や漢に圧迫された、少数民族が集ったものだと述べた。
 しかし秦や漢に圧迫されただけで、各地から日本にしかも、天照大神もスサノオの命も月読命も、ほとんど同時に、ヒルゼンの高天原に来るとは考えられない。
 先づ優秀な絹が産すると、ユダヤ商人が、吹聴したことだろう。ゴールドラッシュで、カリフォルニヤに人が集ったと同じく、シルクラッシュがあったと考えたいのだ。
 前漢の皇帝はシルクロードを、全く知らなかった。知らなかったなによりの証拠は、張騫の申出で始めて西域に行くことを許した。
 この張騫が前126年に西域から帰って、天馬が居ることを報告した。長安からシルクロードが西域に通じて居れば、こんな西域の情報不足は起こらなかった筈である。
 張騫が漢の都に帰着した頃には、既に月読命達は日本にやって来ていた。これは神武天皇の即位が西暦元年だったことから、推定できるのである。前漢の武帝は天馬が欲しくてこの後に西域に兵を出した。


第13話 建国の日は正しかった  61ページ より

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2011.04.18

漢字19 陰 陽 斯 開

調べる理由—古事記の序文に〔然乾坤初分 參神作造化之首 陰陽斯開 二靈爲群品之祖〕の内の〔陰陽斯開〕の部分の漢字を調べます。

陰--読み方---イン、かげ、くもる、ひそか
〔形声〕声符は侌イン 。「説文」陰は闇なり。水の南、山の北なり
と地勢による陰晴の義とし、また雲部に<雨の下に、云+今>の漢字を録し、「雲、日を覆うなり」とし、侌の古文二形を録する。侌は陰の古文。侌は云(雲気)を今(蓋栓の形)で蓋をする意で、気を閉じこめる意。陰陽は自(神梯)の前に気を閉ざした呪儀。神気を閉ざし、また神気を発揚することをいう。
意味
①とざす、おおう。
②かげ、ひかげ、くらい、奥深い
③くもる、しめる、うるおう。
④ひそかに、かくれる。
⑤陽に対して陰の性格を持つもの
⑥男にたいして女、方位で北、山の北側、川の南岸、
⑥性器

熟語―-【陰陽】陰と陽。万物のもと。

陽—読み方—ヨウ(ヤウ) ひ ひなた ひかり あたたかい いつわる
 〔形声〕声符は易。易は台上の玉光が下に放射する形。玉の光は、魂振りとしての呪能があるとされた。阜はもと自に作り、神の陟降する神梯の象。その神梯の前に玉をおき、神の威光を示す字であった。
 意味--①太陽、ひなた、ひかり。 ②あたたかい、山の南、川の北 ③あきらか、あらわれる、あかるい、さかん。 ④佯と通じ、いつわる。

斯―-読み方--シ、さく、これ
〔会意〕其+斤。〔説文「析くなり〕とし、其声とするが、声が合わず、また其は箕(キ)の初文であるから斤を加うべきものではない。おそらく几(机)の上にものを置き、これを析く意であろう。
意味---①さく、わる、わける、はなつ ②澌と通じ、つきる。 ④廝と通じ、いやしい。⑤これ、この、ここに、すなわち

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2011.04.17

シルクロードは日本(13)

九州から出土した弥生絹は、楽浪産の絹で粗悪品だったことは、科学的に証明されたのである。
 同時に中国から出土した絹は細くて優秀だったと書かれたのである。
 中国の皇帝は日本の倭絹と一緒に葬られた。
弥生絹とは楽浪絹だったとすれば、魏志倭人伝の錦の贈物の謎は解けたことになる。
 中後より日本に、より優秀な絹があったとすれば、古代史の謎のいくつかは、氷解するのである。
 “シルクロードと日本”の128頁には、シルクロードは紀元前後には、日本にまで通じていたと、その道の大家が書かれている。
 これより以前から日本の絹の名声は全世界に通じた板とわたしは叫びたいのである。
 イザナギの命は中山王国から、日本に亡命した来た。天照大神は揚子江の中流から日本に来た。スサノオの命は北朝鮮から伯耆にやって来た。月読命に至っては天山山脈の麓から、それ恐らく楼蘭から、はるばるやって来たと述べて来た。


第13話 建国の日は正しかった  60ページ より

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2011.04.16

シルクロードは日本(12)

“シルクロードと日本”は、雄山閣から56年12月に発行された最新本である。この中に125頁から129頁にわたって、シルクロードの養蚕と絹について書かれている。
 この中に九州かの遺跡から出土した絹を、弥生絹と呼んで九州で得られたものと書かれている。
 しかし九州は銅鏡が出土した時期の遺跡は、わたしのかんがえでは、古墳の主は中国から来た占領軍であった。
 従ってこの絹も日本製ではなくて、中国軍が持って来た品物の筈である。同著述によれば、この絹は楽浪郡の絹に最も近いと書かれている。

 魏志倭人伝で正始6年(245年)に郡に軍旗が渡された。これは郡の軍隊に対する、日本書紀攻撃の出動命令である。
 この時九州に進駐して来た中国軍が、戦死して、銅鏡を絹にくるんで、副葬品として、埋葬されたと考えたいのである。
 楽浪の絹と同じことは、来憂愁に中国の基地があった証拠と考えたい。


第13話 建国の日は正しかった  59ページ より

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2011.04.15

シルクロードは日本(11)

漢は日本の絹を入手したくて、吉備を占領した。この吉備の北の美作が絹の産地だったのである。
 句奴国すなはち久米国はこの美作の中央部である。絹を守るために、代々天皇の軍隊の本拠地にしてあった。
 既に述べたが久米郡大倭村(ヤマト)が軍隊の本部のあった所である。この南の広大なところが倭文村(シドリと読む。東、仲、西の三村)で倭文とは織物のことである。この村に錦織と桑の大字がある。
 魏の皇帝は、久米国王が絹の産地を守る総大将とは知らないで、中国は恐らくは、楽浪の絹を贈った。これが粗悪品だったので、久米国王は買収の手に、のらなかった。
 魏から贈物が来た5年後の、正始4年に、今度は日本から倭錦が贈られている。
 この贈物のヤリトリは、倭錦の方が優秀だった証拠だ。
 贈物のお返しに、先方より悪いものを、しかも同じ錦を出すだろうか。日本の絹の方が優秀だった何よりの証拠である。


第13話 建国の日は正しかった  58ページ より

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2011.04.14

漢字18 作 造 化 首

調べる理由—古事記の序文に〔然乾坤初分 參神作造化之首 陰陽斯開 二靈爲群品之祖〕の内の〔參神作造化之首〕の部分の漢字を調べます。

—読み方---サ、サ、ソ、つくる、なす
 〔形声〕声符は乍サク。乍は作の初文。〔説文〕「起すなり」と作興の意とする。乍は木の枝を強く撓めるの形で、垣などを作る意。卜辞に「墉を乍る」「邑を乍る」のように、大きな土木工事をする意に用いる。

意味
①木の枝をまげて垣などを作る。
②ものを作る。いとなむ。
③おこす、なす、たじめる、たつ
④なる、いたす
⑤もちいる。はたらく。
⑥その地位につかせる。任する。
⑦柞に通じる のろう
⑧鑿に通じる うがつ

―読み方--ゾウ、(ザウ) いたる、つくる。
 〔会意〕字の初形は(舟+告の漢字。(船の右が告の漢字)
ウカンムリ+下に舟+告 )に作り、(舟+告)は舟+告。舟は盤の形。告は木の枝に祝祷を収める器をつけて神の訴え祈る意。わが国の申し文にあたる。盤中に供え物を薦め申し文をつけてささげ神のいたるのを迎えることを造という。

意味—①いたる、いたす、いのる、つげる。 ②はじめる、つくる。 ③なる、おわる。④祭りの名前 ⑤にわか。

〔造化〕万物を創像する天地のはたらき。

 --読み方-- カ(クワ)、ケ、ゲ、かわる、しぬ、したがう
  〔会意〕人+匕カ。
   〔説文〕教へ行はるるなり~匕は亦(えき)聲なりと、教化の意とするが、字は死人の倒
    錯している形。匕がその初文。生死によって、ものの化することをいう。

意味---①かわる、しぬ。
   ②教え導いて道にしたがわせる。したがう。
   ③自然がものを育成すること。造化。
   ④うつり変わる、変化。


--読み方—くび、はじめ、きみ、もうす
〔象形〕頭髪のある首の形。古文は(首の上の二つの点のない漢字 シュ=A)に作り〔説文〕Aに同じ。古文のAなり。巛は髪に象る。之れを(髪の友の部分が春の漢字=Bシュン と謂ふ。Bは即巛なり。巛をふくめて象形の字である。儀容を示す頁(ケツ)の字からいえば、
Aは髪を整えた首の形であろう。・・・・・

意味
①くび、かしら、あたま
②きみ、かみ、おさ、諸人の長
③はじめ、さき、前、ことのおこり
④むかう、頭をむける、頭をさげる
⑤したがう、もうす、つげる、ありのままいう
⑥ものの上の部分、刀のつか、いしづき、ことのかなめ、もと。

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2011.04.13

漢字17 然 乾 坤

調べる理由—古事記の序文に「誰知其形 然乾坤初分 參神作造化之首」の内の
〔然乾坤初分〕の部分を調べる。

然—読み--ゼン、ネン、もえる、しかり、しかれども
会意—然の下の点を除いた漢字があります。読みはゼンです。コンピューターでは使えません。 その漢字+火。
 その漢字は犬の肉のことです。 犬の肉を焼いて、その脂が燃えるいで、燃える初文。
「説文」「焼くなり」火に従い「然聲」とするが、卜辞に犬牲を燎ゃいて天を祀る祭儀があり、文献にいう類にあたる。類は犬と米と頁とに従い、天を祀る礼。天神は犬牲を燎く臭いによって、その祭儀を享けるとされた。「しかり」「しかれども」は通用の訓であるが、その本義ではない。

意味
①もえる、肉が燃える。
②しかり、しかれども、しこうして
③すなわち、しかればすなわち
④かくなる、かくなす、うべなう、よろし
⑤是と通じ、これ、この
⑥如、而、爾、焉に通じ形況の後の接尾語

乾 坤--- この漢字を調べていません。
乾坤という熟語の意味が書いてあったからです。

「乾坤」---天と地。
 各々の漢字の意味に、天と地が含まれるような気はしませんが、

「夫混元既凝」の時に、書きましたが、「混元」の意味に、天と地が書いてありました。

そこに、「もう少し、後の方に、然乾坤初分 とあり「乾坤」という熟語が存在し、こちらも、「乾坤」で天地という意味があるように書いてあります。
 どうやら、一連の元になるが存在するらしいです。 と書いています。

「氣象未效」の言葉がありました。この部分の気と象に対する考え方に、
「混元」と「乾坤」という言葉を使って、天と地はどういうものかを説明したらしいですが、良く判りません。


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この資料を利用した記事は
『新しい日本の歴史』 http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2011-04-13に書いています。

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2011.04.12

シルクロードは日本(10)

正倉院は東大寺と同じ時に出来たとすれば749年頃で、正倉院の御物は、先帝からの引き継がれたものと書かれている。 
従ってカットグラスは600年頃までに、ユダヤ商人が日本にわざわざ日本の絹を手に入れるために、運んだと考えればよい。
 日本の絹が欲しいのであれば、売手市場だから、先方から出かけてくるべきだ。
 ユダヤ人は商人になって、世界の富を集めるために、国を滅ぼした、国際人で、商売が専業の民族である。
 外国文献なら、日本人は信用してくれる。魏志倭人伝に書かれた贈り物のリストを眺めてほしい。
 景初2年12月の、卑弥呼絵の贈物に錦と白絹が載せてある。238年のできごとである。
 この時の贈物は句奴国王(久米国王、日子坐王)に該当する。崇神天皇の義弟にあたる) を買収するために、魏の最高の品物が準備されたのである。
 魏ではこれ見よがしに、錦と白絹が準備されたのである。
しかし狗奴王国は買収の手に乗らなかった。


第13話 建国の日は正しかった  57ページ より

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2011.04.11

漢字16 為

調べる理由—古事記の序文に「臣安萬侶言 夫混元既凝 氣象未效 無名無爲 誰知其形
」の内の〔無名無爲〕の部分を調べる。

為—読み--イ、なす、つくる、おもう、まねる、ため

会意—象+手。「説文」 「母猴なり」とし、猴(サル)の象形とするか。卜文の字形に明らかなように、手が象を使役する形。象の力によって、土木などの工事をなす意。

意味--①なす、なる、もちいる、おさむ。名詞として、しわざ、わざ。
②つくる。施す。
③~を~となすを、思考上に及ぼして、おもう、いう。
④模倣的な行為に及ぼして、まなぶ、まねる。
⑤同一の関係を示す動詞。たり。
⑥介詞として、ため、ために。

この資料を利用した記事

『新しい日本の歴史』 http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2011-04-11

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2011.04.09

シルクロードは日本(9)

なぜ骨とう店にこだわったか。漢の銅鏡を思い出して欲しい。日本では古墳時代は4世紀から7世紀と〝正倉院への道〟に書いてある。
 この古墳から220年には滅んだ、漢の鏡が多数出土したのである。従って、古墳の主は銅の鏡を何百年も床の間に飾っていたと、考えざるを得なくなった。この床の間の鏡が電世鏡である。
 古墳の年代を絶対値でなしに、主観で決めた結果である。更に文化は進むよりも後退することの多かった、歴史的事実を日本だけは例外扱いした結論であった。
 イランのカットグラスはササン朝に造られた。この王朝は220年頃起こり、650年には滅亡したのである。
 滅亡寸前まで高度の文化があったと考えることも、歴史に反する。
 遣唐使が中国を訪れたのは716年である。この時には留学生が行ったので、カットグラスは骨とう店にしかなかっただろうと述べた次第である。はたしてお小づかいはあったのかと、心配の種がふえた。


第13話 建国の日は正しかった  56ページ より

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2011.04.08

漢字15 気 象 效

調べる理由—古事記の序文に「気象未效」がある。 この部分を調べる。

 效---読み---コウ、いたす、ならう、ききめ
 会意・字の初形は矢+支。支は打つこと。矢の曲直を正す意の字。
 「説文」「象(像)るなり」とし、交声とするが、もと交に従うじでない。

意味--①いたす、あきらかにする ②ならう、かたどる ③あらわのしるし、ききめ、
  ④模倣的な行為に及ぼして学ぶ。まねる、介詞として、ため、ために

岩波の読み下しでは、〔あきらかにする〕を採用しています。

気 ---読み--- キ、ケ おくりもの、くうき
  旧字に氣に作り、气声。
 意味--①客におくる食糧、食事のおくりもの ②空気、いき ③活動の源泉となるもの、元気のちから、いきおい ④人の気持ち、気立て、うまれつき、⑤気としてただよう、においかぐ  ⑥もののある状態、おもむき、ありさま ⑦季節を動かすもの、とき、

象—読み--ゾウ、ショウ かたち
象形、長鼻、獣である象の形
意味---①ぞう、きさ  ②像にに通じ、かたち ありさま ③のり ④橡につうじ、とちのき

熟語---気象---自然の形象(字通にはこのように書いてあります。
日本の辞書では、気象(気温・気圧の変化などの、大気の状態のこと。)
と書かれ、中国と少し、意味が異なるでしょうか。

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2011.04.07

シルクロードは日本(8)

正倉院には沢山の錦織がある。これはげんざいの技術でも、簡単にまねが、出来なかったと述べた。
 この織物については、げんざいではカーボン14を使用すれば、年代は正確に分る筈である。しかし絶対的な年代が公表されているのだろうか。公表して都合が悪いだろうと、素人はカングリたくなる。
 今一つ年代が分るのはイランのカットグラスである。これ位素晴らしいカットは誰でもが簡単に作れるものではない。従って、長期間、例えば何百年もイランて、作り続けたとは考え難いのである。
 このカットグラスは中国では出土例がないと書かれている。(杉山著 〝正倉院〟)
 カットグラスを持った壁画が、千仏洞に画かれている以上、カットグラスはカイロでなしに陸路を運ばれたと考えるべきだろう。
 〝河を忘れた古代史〟の西域、雲南ルートがあれば、遣唐使は中国の、骨とう店で買わなくてもすむ。唐の皇帝は西域の品をわざわざ中国の土産に、くれる筈はないのである。


第13話 建国の日は正しかった  55ページ より


上に書いてある〝河を忘れた古代史〟は、次で読んでください。
倭国ゼロ世紀 第12話 河を忘れた古代史
古事放談 3-3
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2009/05/3-3-b851.html

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2011.04.05

シルクロードは日本(7)

マルコポーロの見聞録で、中世のシルクロードを知りたいと思った。しかし文献本では地図がなくて、物足りなかった。
 古本屋で〝マルコポーロ紀行〟を見付け出した。明治45年に出版され、明治天皇も、御覧になった、当時のベストセラである。
 この本の132頁に地図があり、元のフビライの許に滞在中にビルマ旅行した時のルートが赤線で書き込まれていた。
 マルコポーロも雲南で金沙江を降り、〝河を忘れた古代史〟の表紙地図の、謎のカーブと書き込んだ地点から、ビルマに行ったことが分った。
 天山山脈の楼蘭から日本の最短ルートは、中国経由ではなかったのである。ユダヤ人も恐らく、最も安全、確実でしかも、早く行けるルートをたどった筈である。
 このルートならば、西域以西の珍宝を、あくどい中国皇帝に、取上げられなくてすむ。
 正倉院の御物は唐の時代に日本に運ばれた様に書かれている。しかし唐以前の製品は唐以前の製品は骨とう店で、手に入れたのだろうか。


第13話 建国の日は正しかった  54ページ より

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2011.04.04

漢字14  混元

調べる理由—古事記の序文に「夫混元既凝」がある。 この部分の混元を調べる。
『字通』によりますと、
混---読み--コン、まじる
〔形声〕声符は昆。昆は昆虫。群集して混雑する意がある。
〔説文〕「豊かに流るるなり」と混流の意とするのは。混混、滾滾。

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 『字通』では、混を含む熟語はいくつか挙げてありますが、元を調べない内に、「混元」が目に入ります。
この意味は、天地のはじめ、又は天地と書いてあります。

「混元」の混の漢字に、天地の意味はまったくありませんから、中国の資料に、「混元」を使った考え方を述べたものがあると思われます。

もう少し、後の方に、然乾坤初分 とあり「乾坤」という熟語が存在し、こちらも、「乾坤」で天地という意味があるように書いてあります。
 どうやら、一連の元になるが存在するらしいです。

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2011.04.03

シルクロードは日本(6)

〝河を忘れた古代史〟を、57年の年賀の代りに友人に差上げた。ところが津山市のM氏から有難い助言をいただいた。
 M氏は戦時中ヨーロッパロシヤで抑留生活を、おくられた。場所はボルガ河畔のカザンである。
 ここでドイツ人捕虜のシベリヤ学者から、バルチク海から、オホツック海まで、河を上り降りするだけで、ほとんど船で来られたとのことだ。
 「連川陸路」と称し、ボルガ、オビ、エニセイ、レナ河を通る、水の路だってあったのである。馬やラクダ以外の安全な、しかも食糧を心配しないですむ道である。更に道を間違える様なことは起こらない。
 西域から船だけで、日本まで通天河—金沙江—紅河を通ればよい。しかも既に述べた様にチベットの、ヤクの皮で作った船は、20人乗りの船でも、一人で肩にかついで、山を越えて上って行けるのである。
 一人乗りのラクダで砂漠を行く以外に、もっと高速で安全大量輸送手段があったのだ。


第13話 建国の日は正しかった  53ページ より

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2011.04.02

漢字13  夫

調べる理由—古事記の序文に「夫混元既凝」がある。 この部分の「夫」の意味を調べる。
夫—読み方--おっと、おとこ、かの、それ、かな

『字通』によりますと、夫は象形文字です。
【象形】大は人の正面形。その頭に髪飾りの簪を加えて、男子の正装の姿を示す。  妻は女子が髪飾りを加えた形。
 夫妻は結婚のときの男女の正装を示す字形である。
 「説文」「丈夫なり。大に従ふ。一は以て簪に象すなり」という。
  「それ」は発語。「かな」は句末の助詞。

 【意味】
 ① おとこ、大人の人、つわもの
 ② おっと、良人
 ③ 人夫、えだち、ぶやく 
 ④その、この、かの、それ、これ、かれ 指助詞

私の疑問---象形文字が誕生したころに、正装で結婚式をしたのだろうか。そのころに、夫妻という熟語が誕生したことだろうか。

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2011.04.01

シルクロードは日本(5)

イランや西域から長安を通らないことには、いくらユダヤ人でも、日本に来られないのであれば、ここで謎が生じる。
 第一に中国は絹があっては困ることになる。中国に絹があるのに、中国を珍宝を持って素通りしなければならない。
 帰りにも日本の絹を持って素通り出来るだろうか。税関に類するチェックは、全く中国になかったとは到底考えられないことである。
 長安を通らないルートがないことには、ユダヤ商人は日本に西域やイランの珍宝は運べなかったとかんがえられる。
 この考えから〝河を忘れた古代史〟の表紙に楼蘭から金沙江を経て紅河を下るルートを示しておいた。
 金沙江とは揚子江の上流で雲南での名称である。金沙江の更に上流のチベットと西域での名称は通天河になっている。
 地図を眺める時には、揚子江は川幅が何米の小川まで、表示できるだろうか。古代史を考える時に大切なのは大河よりも小川の存在の方が重要である。


第13話 建国の日は正しかった  51ページ より

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