絹戦争(16)
中国は日本の絹が欲しいために、日本書紀各地を占領した。しかも絹の出ない所には、兵を進めなかったのである。
ヤマトタケルが熊襲と出雲の出雲タケルを征伐して、帰還すると、すぐに東に征伐に行く様に云われた。
この征伐のルートは〝大日本読史地図〟に示されている。
秩父、買い、信濃、諏訪、岐阜、桑名、福島と全て、絹の産地であり、絹に縁のある地名の密集地は網羅されていた。
しかも、これが全て銅鏡の出土地だった。近くには竜や、城、雷のつく地名も必ず見付かったのである。
何故ヤマトタケルは急に征伐を頼まれたか。実は中国が北朝鮮の支配権を失ったのが、315年である。この年に高句麗が独立した。
高句麗が独立したので、中国から南朝鮮沿岸沿いのルートが絶たれた。従って日本各地の中国軍は、本国との連絡が失われてしまった。景行天皇が九州征伐ができたのも、高句麗独立と関連していたのである。
第13話 建国の日は正しかった 83ページ より
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