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2011.05.24

資料 古墳 箸墓古墳 (2)  倭迹迹日百襲姫命

現在は宮内庁により第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)として管理されています。
倭迹迹日百襲姫命とは、『日本書紀』では崇神天皇の祖父孝元天皇の姉妹である。
 
ウィキペディアによると、
 『日本書紀』崇神天皇10年9月の条に、つぎのような説話が載せられている。一般に「三輪山伝説」と呼ばれている。

倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)、大物主神(おほものぬしのかみ)の妻と為る。然れども其の神常に昼は見えずして、夜のみ来(みた)す。倭迹迹姫命は、夫に語りて曰く、「君常に昼は見えずして、夜のみ来す。分明に其の尊顔を視ること得ず。願わくば暫留まりたまへ。明旦に、仰ぎて美麗しき威儀(みすがた)を勤(み)たてまつらむと欲ふ」といふ。大神対(こた)へて曰(のたま)はく、「言理(ことわり)灼然(いやちこ)なり、吾明旦に汝が櫛笥(くしげ)に入りて居らむ。願はくば吾が形にな驚きましそ」とのたまふ。ここで、倭迹迹姫命は心の内で密かに怪しんだが、明くる朝を待って櫛笥(くしげ)を見れば、まことに美麗な小蛇(こおろち)がいた。その長さ太さは衣紐(きぬひも)ぐらいであった。それに驚いて叫んだ。大神は恥じて、人の形とになって、其の妻に謂りて曰はく「汝、忍びずして吾に羞(はじみ)せつ。吾還りて汝に羞せむ」とのたまふ。よって大空をかけて、御諸山に登ってしまった。ここで倭迹迹姫命仰ぎ見て、悔いて座り込んでしまった。「則ち箸に陰(ほと)を憧(つ)きて薨(かむさ)りましぬ。乃ち大市に葬りまつる。故、時人、其の墓を号けて、箸墓と謂ふ。(所々現代語)

箸墓のことは、上のように、日本中の歴史家が、日本の正式の歴史書としている日本書紀に書いてあります。
 このことは、日本書紀が、720年ころに作られる時に、知られていたから、ここに掲載されたのでしょう。
 ウィキペディアの筆者の方が、上の様に書きながら、どうして、一般に「三輪山伝説」などと書かれたのでしょう。
 「三輪山伝説」と呼ばれているものは、古事記にもあります。日本書紀と同じ崇神天皇の所に書いてあります。
 と云っても、古事記には、「三輪山伝説」と書いてあるわけではありません。内容も、丁寧に読んでください。 日本書紀の内容と全く異なっています。

 古事記には、意富多多泥古のことは書いてありますが、大物主神のことは書いてありません。
日本書紀は、712年に完成した古事記に書いてあることが、間違っているので、自分達、藤原氏に伝わっている歴史に書換えたのではないかと考えています。
  
 きつい書き方になりますが、古事記に書いてある「三輪山伝説」は、藤原氏から見れば、許せなかったと考えます。
 日本書紀の編集者は、箸墓の被葬者は、倭迹迹日百襲姫命と分かっていたから、このように、歴史書に書いたことになります。

ただ、上の文章を考察してみます。
①倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)、大物主神(おほものぬしのかみ)の妻と為る。然れども其の神常に昼は見えずして、夜のみ来(みた)す。倭迹迹姫命は、夫に語りて曰く、「君常に昼は見えずして、夜のみ来す。分明に其の尊顔を視ること得ず。願わくば暫留まりたまへ。
 この部分に、倭迹迹日百襲姫命と倭迹迹姫命は、同じ、人物の筈ですが、どうして、日本書紀の編集者は書換えたのでしょう。 その意図が判りません。

②「則ち箸に陰(ほと)を憧(つ)きて薨(かむさ)りましぬ。乃ち大市に葬りまつる。故、時人、其の墓を号けて、箸墓と謂ふ。
 
箸墓が、倭迹迹日百襲姫命のお墓であることを記すだけではなく、なぜ、箸墓という名前が付けられたか、理由まで書いてあります。
 
 考古学者や歴史家が出る幕ではありません。
 宮内庁が、主張するように、倭迹迹日百襲姫命のお墓であるということは、言い伝えではなく、日本の正史に書いてあることになります。

 これを否定する材料は、調べが付きましたら、又、書いて見ます。
 
 しかし、倭迹迹日百襲姫命は、天皇でもないし、正式の名前すら、判らない「大物主神」の妻であるというだけで、崇神天皇や景行天皇よりも大きい、古墳が造られたからには、日本書紀の製作者には、書き残さなければならない理由があったのだと思われます。

 では、何だとなりますと、三輪山であろうと思っています。 奈良の桜井にある三輪山は、元々、鳥取県に造られたと考えています。桜井にある三輪山は、藤原氏が、無理やりに造ったもので、そこの祭神が、大物主というのも、藤原氏の作り話だと思います。

 では、そのようなことをして、何になるのだということになります。
これが判れば苦労は要りません。藤原不比等に聞くしかありません。

三輪山に鎮座する大物主神を祀る神社は、奈良でもっとも、実力のある神社だと思います。その名前は、『大神神社』と書いて、〔おおみわじんじゃ〕と言うそうです。どうして、『大神』を〔おおみわ〕と読むのか、そのようなことを言っている人は、大神=三輪明神
を理解しない人であると叱られるでしょう。では、理解しようとすればするほど、理解できなくなる仕掛けになっています。この仕掛けは、日本書紀、そのものにあります。
 
 1300年経過した歴史を解きほぐすことは、容易ではありません。
 
 箸墓は、宮内庁の人には、悪いですが、倭迹迹日百襲姫命のお墓ではないと思います。
 次回から、何回かに分けて書いて見ます。
 以前に、次のような記事を書いています。読んで頂ければと思います。

No358浦間茶臼山古墳と箸墓古墳
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2006-12-04

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